雲上快晴

プーさん爺じが、何の変哲もない日々を綴る

神指(こうざし)城と高瀬の大木

2009年06月04日 | 徒然
 直江兼続が、会津鶴ヶ城に変わる城として築城していたのが「神指城」、その大きさは鶴ヶ城の2倍以上もあったとか。

 結果として、この築城が家康からの詰問のきっかけを作り、兼続があの有名な「直江状」によりきっぱりと家康の難癖を撥ね返したために、家康の上杉討伐・小山評定・関が原の合戦に繋がっていくのである。

 家康の上杉討伐の旗揚げによって築城は中断され、関が原の戦いで東軍が勝ったことにより上杉家は米沢に移封されたために、ついに完成を見なかった幻の城。。。。

 その神指城の北東端に悠然と立っているこのケヤキが、国の天然記念物にも指定されている「高瀬の大木」、樹齢500年以上も経っているそうだ。

  その大木の脇に立って、いくつかの「もしも」を想像してみる。

 「もしも、この城が完成していたら・・・」

 「もしも、徳川と上杉が戦っていたら・・・」

 「もしも、小早川が東軍に寝返らなかったら・・・」

      Back to the future


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1 コメント

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もしかして ()
2009-06-10 08:19:35
退職後は造園屋さんを目指していますか?
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