周りから見ている人には判らないだろうが、僕は、きっと、フルアタック中。
『 退職者という評価の中で 』
退職して無給になった僕を見て、きっと、こう思う者もいるだろう。
「 仕事にきちんと勤めてこそ、評価は出るし、人生設計につながる 」
「 仕事を辞めた後に出来る事は、せいぜい、趣味の延長程度でしょ 」と。
幼い頃から他者が決める評価しか知らない者にとって、その評価基準以外の生き方は趣味なのだろう。
が、所詮、仕事なんて、決められた時間、決められた服装で、求められた業務をこなし、得られる対価で評価される仕組みに過ぎない。 それは、コースが決まっているレースのようなもので、迷う事なく、遅れる事なく進む事が称賛され、コースを外れる者は不適合者の様に扱い、社会的経済効率を高めてきたシステムの一環に過ぎない。
しかし、人の人生の価値は、仕事という決められたコースで決まる筈はなく、職業や役職、収入の多寡で決まる筈もない。まして、仕事時間以外、余暇の過ごし方で決まる訳がない。
人生の価値は、自身でコースを決めて、人生の目標を持っているか否かで決まるものだと思う。 そして、僕は今、NPO法人 代表理事 として、他者には出来ない仕事を持ち、進んでいる。
『 きっと、フルアタック中 』
決められた服装、決められた時間も無く、他者と比較も出来ない荒野の中に居ると、誰もが思うだろう。
「 何しているの?」
「 どっちに向かっているの? 」と。
それは、実際に歩んでいる僕自身さえ時々思っている事だから、無理もない事だ。 普通の仕事の様に、決まった時間、求められる業務、得られる対価の多寡など、評価の基準も比較する相手も居ないから、無理もない事だ。
でも、きっと、今はフルアタック中だと信じている。 同じような道を歩んでいる者が居ないなら、きっと、誰も正しい評価を下す事は出来ないからだ。 だから、例え歩みが遅く感じる時があったとしても、自分自身で低い評価で虐げる事なく、信じて続けるしかない。
人生が続く限り、歩みを続ける限り、どんな新しい出会いや世界が待っているか期待できる。
いづれ、有給の副職に就くとしても、きっとこの歩みは続けられる様に。