敵地にあまりに早く進行したために、滑走路の整備もままならない、
そのような前線の基地飛行場には、内地の飛行場では使わないような特殊な前輪が用いられるのが常である。(..でまかせだから、本気にしないでね)
ラジコンやのおやじが こんな大きいの付けるの?と、
あきれた声を知らぬふりして、付けてみました。
あはは!これだと滑走離陸できます。でも空中の姿がちょっとね!
姿といえばこのプロテクターも近くで見ると、ちょっとね、
も少し、上手になって、滑走路もきれいになったら外そうかな?
基地隊員にはっぱをかけねば!
大型タイヤの採用。
私が見るとそんなに大きく感じません。
不整地では当然の選択。
ヘッドガードも装甲が足りない戦車にキャタピラをつけているみたいでいけてます。
友達のおやじさんが彩雲乗りで、いろいろ聞いた話の中に、隣の一式陸攻の部隊は主翼タンクに被弾すると簡単に燃えてしまうので、厚いブヨブヨのゴム板を主翼にべったり貼り付けていたそうです。これで飛ぶのかと聞くと「飛ぶ燃えるよりは百倍まし」
と言っていたそうです、そんなことを思い出しました。
ワンショットライターの一式陸攻のクルーたちは、我に追いつくグラマンなしの彩雲がどんなにうらやましかったでしょうね。
追尾を振り切って興奮したパイロットから
「我に追いつくグラマンなし」
と基地へ打電しろと言われ
その言葉の対暗号符がなかったので
平文で送信し
あとでえらい怒られたそうです。
その息子に頼まれてそのおやじさんの誕生祝いに
私が彩雲のプラモを凝りに凝って、パイロット付きで渡したところ、先程のようないろいろな戦争の話を聞かせてくれました。もう15年ほど前の話です。
戦後東京湾に浮かぶ戦艦長門の艦長室に忍び込んで備品の鏡を持ってきた話とか、イヤーそれはたくさん語ってくれました。で制作側としては機体の中の色とか聞きたかったんですが、全然覚えていなく、言われてみれば私の最初に乗った車のダッシュボードの色なんて覚えてないわなーと思った次第です。
それは貴重な話を、聞いてきたのですね。うらやましい、私も戦争中の飛行機の話とか好きで、結構本も読んだのですが、生の話はすごいですね。
ちなみに私の死んだおやじは、16歳で満州飛行機に就職して、エンジンのドリル穴ばかり掘らされていたとか、翌年戦争が終わって、満州で泥棒暮らししていたとか、色んな事言ってました。