SMAP騒動って13日のスポーツ新聞などの報道から始まってから、日本中で大きな騒動となる。だが、18日放送のフジテレビの番組で生出演して発言する事が決まり、ここで解決するんじゃないかと思った人が多いと思う。だが、メンバー誰もが解散する、しないをハッキリと発言しない。
彼らの発言で、SMAPの解散は無いだろうと思った人も多いだろうし、逆に不安が残る人も多かったんじゃないのだろうか。
SMAPの解散騒動はどうして始まったのかと思い始め、検索してみるとジャニーズ事務所の中では社長のジャニー喜多川では無く、姉のメリー喜多川副社長(本名・藤島メリー泰子)が独裁的支配を行っていると思われ、今回の騒動を起こしたのも彼女である事も間違い無いだろうな。
何よりもじゃニーズ事務所の取締役が喜多川家系だけで構成されている事が面白い。
またメリー喜多川が次期社長候補としていた近藤真彦と東山紀之だけを役員としているらしいが。
1988年にSMAPがデビューした当時はジャニーズ事務所は、SMAPには関心は無かったんだろうか、ほったらかしでプロデュースもせず、解散へ追い込む状態へ追い込んでいた。
この時に、SMAPのマネジメントを担当させてもらいたいと申し出たのが飯島三智。彼女の活発なプロデュース活動などにより徐々に人気は高まり、現在の状態に昇り高まっている。
現在のジャニーズ事務所で大きな存在価値を持つタレントであるSMAPを育てたのはジャニーズ事務所では無く、飯島三智である事は間違い無い。更に現在のジャニーズ事務所のタレント達をプロデュースするノウハウや、活動の基盤を作り上げた事も間違い無いだろう。
210年から11年頃に、ジャニーズ事務所には2つの大きな派閥が出来ていたようだ。その一つがマネジメント室長ともなっていた飯島三智の飯島派と、もう一つがメリー喜多川の娘であるジュリー藤島副社長の藤島派。
飯島派の所属メンバーのメインはSMAPだし、藤島派のメインは嵐、TOKIO、関ジャニ∞など。
飯島三智は10年頃まではSMAPだけを担当していた様だが、他に3グループと一人のタレントを任される事となり、SMAP以外のタレントをプロデュースしていたジュリー藤島との間に派閥が出来たとされている様だ。
因みにジャニー社長も派閥を持ち、V6など4つのグループと一人のタレント所属しているらしいが。
そしてジャニーズ事務所は社長であるじゃに喜多川はタレントの発掘や育成を行い、事務所のマネージメントやマスコミのコントロールなどをメリー喜多川がやっていたらしい。故に、事務所はメリー喜多川の独裁経営となって次期社長もジャニー喜多川では無くメリー喜多川が判断する様になっていた。
その第一候補が東山紀之で、次に近藤真彦だったらしい。だが、思う様にはいかなかった様で、東山紀之は2010年に女優と結婚してしまう事から諦める。次に近藤とも考えた様だが、マネジメントなど期待できないとして、次期候補は娘のシュリー藤島と飯島三智に絞られた。
この時からメリー喜多川は次期社長はジュリー藤島と決めていて、飯島三智は追放する事を決定していたのかもしれないな。
故に、この頃より飯島が担当するタレントを増加し、SMAPのプロデュースに集中できない様にし、追放する状況を作っていたのかもしれない。
そして、メリー喜多川は昨年の1月に週刊文春からインタビューを受けていたらしいが、その途中に飯島を呼び出し記者の前で直接、SMAPと一緒にジャニーズ事務所を出て行けと発言した。
次期社長でジュリー藤島と飯島が候補となっていたが、メリー喜多川は個人の能力などは一切無視し、次期社長は娘であるジュリーであり、問題となっている飯島はSMAPと一緒に事務所から出て行けと言い切ったらしいのだ。
だが、真に出て行けと発言したのはSMAPでは無く、SMAPのメンバーと飯島だ。SMAPの商標登録はジャニーズ事務所が所有しており、事務所を辞めたSMAPのメンバー達が改めてSMAPで活躍する事は不可能だ。
よって事務所を去った時点で解散する事になるんじゃないだろうか。
実際にはSMAPを出す意識など一切無く、飯島だけを追放する事だけを狙ってたんじゃないだろうか。
メリー喜多川の狙いなど飯島も即座に気付いてたんじゃないか。飯島がデビュー当時より育ててきた国民的アイドルグループであるSMAP。故に、彼らの人気は非常に高く、ファンでない自分でも彼らの曲に非常に惹かれる物が複数ある事も確かだ。
事務所からの退社を模索していたかもしれないが、自分が辞める事によりSMAPも解散する事になってしまう。簡単にメリー喜多川の言い成りになる事など出来なかったろう。
だが、メリー喜多川と飯島に記者会見の騒動から出来た大きな溝が埋まれる訳など無く、昨年9月には両者が弁護士も交えて飯島とSMAPの今後をどうするかの協議を行ったらしいが、結果は飯島を事務所を辞める事が確定的となったとか。
この頃よりSMAPが解散するんじゃないかといった情報が流れていたらしいが。
しかし、メリー喜多川は追放しようとしたのは飯島だけで、SMAPまでも出そうとは決して思っていなかった事は間違いないだろう。
メリーは親交の深かったらしい木村拓哉の妻である工藤静香を通じ、木村を事務所に留まらせる様に仕掛けた。メリーは工藤静香を通じ木村にSMAPの楽曲の著作権に関する情報も流していたんじゃないだろうか。
常套では楽曲の著作権はJASRACに信託されている筈。事務所を出ようとしたメンバー達もその様に意識していたのはないだろうか。だが、日刊サイゾーの記事に、
「 問題は、SMAPの商標から楽曲の著作権まで、SMAPに関わる権利関係の一切をジャニーズが握っていたことだった。
「もしメリーさんが本気でSMAPの独立を促していたのであれば、飯島さんとメンバーにこの権利関係の売却を交渉するはず。でも、そうはしなかった。飯島さんが独立しても、実質的にSMAPの活動ができないのは明らかだった。コンサートを開いても『世界に一つだけの花』も『夜空ノムコウ』も、ジャニーズの許可が下りなければ歌えない。実は、メリーさんはそうした権利関係を熟知している人で、郷ひろみあたりの頃からきちんと管理するようになっていた」と関係者。」(2016/01/22)と書かれてある。
この事を知らされた木村や他のメンバー達は大きなショックを受けたんじゃないのかな。飯島は戸惑っていたろう彼らを一緒に事務所を辞めさせようとは思い切っていなかったろうし、木村や事務所の者達との接触から他のメンバーも臆する気持ちが強くなっていったんだろうな。
ネットでは公開処刑と称されているが、フジテレビの「SMAP×SMAP」の一部を生放送に変更しての謝罪を事務所から強制的にやらされたんだろう。彼らから謝罪の発言はあっても、解散はしない、グループ存続といった発言は一言と事も無かった。
そして日刊ゲンダイの記事に、
「実はフジが中継したメンバーの謝罪は、ネクタイの色から立ち位置、話す順番まですべてをジュリー副社長が考え、主導したんです。グループのマネジメントを飯島さんからすべて引きあげ、独自色を出すとともに、メンバーにはそれを受け入れるかどうか踏み絵を迫った格好でしたが、中居正広がこれに反発。『ジャニーさんに謝る機会を木村君がつくってくれて、今僕らはここに立てています』というセリフを拒否したんです。急きょ草剛が代わりに読み上げることでその場を収めたものの、中居と木村の不和が結果的に深まった。木村を中央に置いた並び順といい、リーダーの肩書を中居から取り上げ、木村に据えたような人事に中居や独立派の3人が不快感をもったという説もある。ジュリー氏率いる新SMAPは船出から暗礁に乗り上げているのかも知れない」(2016/01/23)などと書かれてある。
果たして、これからのSMAPはどの様になっていくのだろうか。