思った事をそのままに

毎日綴る事は無いと思いますけど、日常の生活やその他に感じた事を思うが侭に書きたいと思います。

ジャニーズ事務所とメリー喜多川

2016-01-24 18:19:57 | 社会

SMAP騒動って13日のスポーツ新聞などの報道から始まってから、日本中で大きな騒動となる。だが、18日放送のフジテレビの番組で生出演して発言する事が決まり、ここで解決するんじゃないかと思った人が多いと思う。だが、メンバー誰もが解散する、しないをハッキリと発言しない。
彼らの発言で、SMAPの解散は無いだろうと思った人も多いだろうし、逆に不安が残る人も多かったんじゃないのだろうか。

SMAPの解散騒動はどうして始まったのかと思い始め、検索してみるとジャニーズ事務所の中では社長のジャニー喜多川では無く、姉のメリー喜多川副社長(本名・藤島メリー泰子)が独裁的支配を行っていると思われ、今回の騒動を起こしたのも彼女である事も間違い無いだろうな。
何よりもじゃニーズ事務所の取締役が喜多川家系だけで構成されている事が面白い。
またメリー喜多川が次期社長候補としていた近藤真彦と東山紀之だけを役員としているらしいが。

1988年にSMAPがデビューした当時はジャニーズ事務所は、SMAPには関心は無かったんだろうか、ほったらかしでプロデュースもせず、解散へ追い込む状態へ追い込んでいた。
この時に、SMAPのマネジメントを担当させてもらいたいと申し出たのが飯島三智。彼女の活発なプロデュース活動などにより徐々に人気は高まり、現在の状態に昇り高まっている。
現在のジャニーズ事務所で大きな存在価値を持つタレントであるSMAPを育てたのはジャニーズ事務所では無く、飯島三智である事は間違い無い。更に現在のジャニーズ事務所のタレント達をプロデュースするノウハウや、活動の基盤を作り上げた事も間違い無いだろう。

210年から11年頃に、ジャニーズ事務所には2つの大きな派閥が出来ていたようだ。その一つがマネジメント室長ともなっていた飯島三智の飯島派と、もう一つがメリー喜多川の娘であるジュリー藤島副社長の藤島派。
飯島派の所属メンバーのメインはSMAPだし、藤島派のメインは嵐、TOKIO、関ジャニ∞など。

飯島三智は10年頃まではSMAPだけを担当していた様だが、他に3グループと一人のタレントを任される事となり、SMAP以外のタレントをプロデュースしていたジュリー藤島との間に派閥が出来たとされている様だ。
因みにジャニー社長も派閥を持ち、V6など4つのグループと一人のタレント所属しているらしいが。

そしてジャニーズ事務所は社長であるじゃに喜多川はタレントの発掘や育成を行い、事務所のマネージメントやマスコミのコントロールなどをメリー喜多川がやっていたらしい。故に、事務所はメリー喜多川の独裁経営となって次期社長もジャニー喜多川では無くメリー喜多川が判断する様になっていた。
その第一候補が東山紀之で、次に近藤真彦だったらしい。だが、思う様にはいかなかった様で、東山紀之は2010年に女優と結婚してしまう事から諦める。次に近藤とも考えた様だが、マネジメントなど期待できないとして、次期候補は娘のシュリー藤島と飯島三智に絞られた。

この時からメリー喜多川は次期社長はジュリー藤島と決めていて、飯島三智は追放する事を決定していたのかもしれないな。
故に、この頃より飯島が担当するタレントを増加し、SMAPのプロデュースに集中できない様にし、追放する状況を作っていたのかもしれない。

そして、メリー喜多川は昨年の1月に週刊文春からインタビューを受けていたらしいが、その途中に飯島を呼び出し記者の前で直接、SMAPと一緒にジャニーズ事務所を出て行けと発言した。
次期社長でジュリー藤島と飯島が候補となっていたが、メリー喜多川は個人の能力などは一切無視し、次期社長は娘であるジュリーであり、問題となっている飯島はSMAPと一緒に事務所から出て行けと言い切ったらしいのだ。

だが、真に出て行けと発言したのはSMAPでは無く、SMAPのメンバーと飯島だ。SMAPの商標登録はジャニーズ事務所が所有しており、事務所を辞めたSMAPのメンバー達が改めてSMAPで活躍する事は不可能だ。
よって事務所を去った時点で解散する事になるんじゃないだろうか。
実際にはSMAPを出す意識など一切無く、飯島だけを追放する事だけを狙ってたんじゃないだろうか。

メリー喜多川の狙いなど飯島も即座に気付いてたんじゃないか。飯島がデビュー当時より育ててきた国民的アイドルグループであるSMAP。故に、彼らの人気は非常に高く、ファンでない自分でも彼らの曲に非常に惹かれる物が複数ある事も確かだ。
事務所からの退社を模索していたかもしれないが、自分が辞める事によりSMAPも解散する事になってしまう。簡単にメリー喜多川の言い成りになる事など出来なかったろう。

だが、メリー喜多川と飯島に記者会見の騒動から出来た大きな溝が埋まれる訳など無く、昨年9月には両者が弁護士も交えて飯島とSMAPの今後をどうするかの協議を行ったらしいが、結果は飯島を事務所を辞める事が確定的となったとか。
この頃よりSMAPが解散するんじゃないかといった情報が流れていたらしいが。

しかし、これまでしっかりと育ててきたグループを簡単に解散させたいなどとは思わなかったろう。出来れば残したいのと思ってたんじゃないだろうか。飯島は昨年の暮れには、退社を決断していた様だが。
それに沿ってメンバー達も解散を覚悟で事務所を去る事を決断しようとしたのではないか。
事務所を出ればSMAPとして活動する事は出来ないが、新たなグループでこれまで歌ってきたSMAPの楽曲を歌う事は出来るだろう。
これまでのSMAPで活動する事は出来なくとも、新しい自分達で活動する事が出来ると意識して。

しかし、メリー喜多川は追放しようとしたのは飯島だけで、SMAPまでも出そうとは決して思っていなかった事は間違いないだろう。
メリーは親交の深かったらしい木村拓哉の妻である工藤静香を通じ、木村を事務所に留まらせる様に仕掛けた。メリーは工藤静香を通じ木村にSMAPの楽曲の著作権に関する情報も流していたんじゃないだろうか。

常套では楽曲の著作権はJASRACに信託されている筈。事務所を出ようとしたメンバー達もその様に意識していたのはないだろうか。だが、日刊サイゾーの記事に、
「 問題は、SMAPの商標から楽曲の著作権まで、SMAPに関わる権利関係の一切をジャニーズが握っていたことだった。
「もしメリーさんが本気でSMAPの独立を促していたのであれば、飯島さんとメンバーにこの権利関係の売却を交渉するはず。でも、そうはしなかった。飯島さんが独立しても、実質的にSMAPの活動ができないのは明らかだった。コンサートを開いても『世界に一つだけの花』も『夜空ノムコウ』も、ジャニーズの許可が下りなければ歌えない。実は、メリーさんはそうした権利関係を熟知している人で、郷ひろみあたりの頃からきちんと管理するようになっていた」と関係者。」(2016/01/22)と書かれてある。

この事を知らされた木村や他のメンバー達は大きなショックを受けたんじゃないのかな。飯島は戸惑っていたろう彼らを一緒に事務所を辞めさせようとは思い切っていなかったろうし、木村や事務所の者達との接触から他のメンバーも臆する気持ちが強くなっていったんだろうな。

ネットでは公開処刑と称されているが、フジテレビの「SMAP×SMAP」の一部を生放送に変更しての謝罪を事務所から強制的にやらされたんだろう。彼らから謝罪の発言はあっても、解散はしない、グループ存続といった発言は一言と事も無かった。
そして日刊ゲンダイの記事に、
「実はフジが中継したメンバーの謝罪は、ネクタイの色から立ち位置、話す順番まですべてをジュリー副社長が考え、主導したんです。グループのマネジメントを飯島さんからすべて引きあげ、独自色を出すとともに、メンバーにはそれを受け入れるかどうか踏み絵を迫った格好でしたが、中居正広がこれに反発。『ジャニーさんに謝る機会を木村君がつくってくれて、今僕らはここに立てています』というセリフを拒否したんです。急きょ草剛が代わりに読み上げることでその場を収めたものの、中居と木村の不和が結果的に深まった。木村を中央に置いた並び順といい、リーダーの肩書を中居から取り上げ、木村に据えたような人事に中居や独立派の3人が不快感をもったという説もある。ジュリー氏率いる新SMAPは船出から暗礁に乗り上げているのかも知れない」(2016/01/23)などと書かれてある。

果たして、これからのSMAPはどの様になっていくのだろうか。


万年野党民主がおおさか維新の会を「ゆ党」?

2016-01-08 18:30:26 | 政治

4日から早くも開始されている通常国会で可笑しな事が起こっている。7日に与野党で衆院予算委員会の審議時間を協議したらしいが、野党の「おおさか維新の会」を民主党は与野党どちらでもない、「ゆ党」だとしたらしい。

「おおさか維新の会」には維新の党を離脱した、除籍された議員達により昨年10月に結成された政党。当たり前だがしっかりと国会議員が存在しているし、国会での政党としての活動は認められているし、誰もが野党として認知している筈。民主の馬鹿な議員達も。

岡田達は橋下と安倍首相が接近している事を凄く嫌っているんだろうな。安倍首相は憲法改正を強く主張してきていたが、橋下もこれに同意している。

おおさか維新の会の馬場幹事長が会見で、民主が「ゆ党」とする事に対し、
「おおさか維新は法案の賛否に関し「是々非々で決める」との立場をとっている。しかし、連立政権に加わっておらず、閣外協力も行っていないとして、予算委には野党として臨む考えだ。これに対し、民主党はおおさか維新が与野党どちらでもない「ゆ党」だと決めつけた。7日の与野党協議では、今回の予算委に限り与野党がそれぞれ時間枠を譲って、計24分をおおさか維新にあてる方向で決着した。

 ただ、おおさか維新は議席数や慣例に応じれば「本来は1時間5分の質問時間」が割り当てられるべきだと主張し、予算委への出席を見送った。改善が見られない場合は今後も出席しない方針。野党分の配分時間は返上していないが、与党からの配分時間は8日朝返上し「野党」を強調した。」(産経新聞2016/01/08)
と強く主張する。

対し、民主の高木国会対策委員長は馬場幹事長が6日の代表質問で「私たちは与党でもない野党でもない」と述べたとし、自分はその事にビックリした。本会議の発言は重いとし、今後も「おおさか維新の会」を野党とは認知しないと言い放つ。

幹事長の発言をネット審議中継で確認してみたよ。確かに「与党でも野党でもない」と発言はあった。だが、その前に「国民が政党に期待しているのは反対の為の反対に終始する万年野党では無く政府与党と切磋琢磨できる責任政党です。政権運営に緊張感を持たせる政権担当能力を備えた、責任政党の存在が、今日本の政治には必要なのであります。私達おおさか維新の会はいい物はいい、悪い者は悪いとハッキリ明確にし」与党でも野党でもないと発言して、新しい政党としてと語っていく。

民主などこれまでの野党の姿勢をハッキリ明確に発言し、野党であれ政党であればどの様な意識を持って国会に赴かなければならないのか、その政党の責任もハッキリと明言していると思えたのだが。

自分達の事をモロに指摘された高木は、冷や汗垂らしながらビックリしたのかもしれない。
更に、馬場幹事長の発言をそのまま認めれば、これまでの自分達の行動も認知する事になってしまう。
その為に、一部分だけを重大な発言だと認め、その他は一切削除する。これまでの民主らしい、姿勢がそのまま出ているんじゃないのかな。


平気で出鱈目を吐く、韓国メディアと政府

2016-01-06 18:47:10 | 政治

昨年の大晦日に朝鮮日報が従軍慰安婦に関し全く合点のいかないコラムを書いていた。一部抜粋する。「 13歳の時、静岡県内の慰安所で天皇の降伏放送(日本で言う玉音放送)を聞いたという元慰安婦の女性がいた。戦争が終わったのに、すぐには解放されなかった。「母のことばかり考えていた」と言った。

 敗戦直前、見かねた日本軍将校がこっそり脱出させてくれたという元慰安婦の女性も1人いた。だが、圧倒的に多数の元慰安婦女性はニューギニアで、パラオで、生まれてこの方名前も聞いたことのない南太平洋の小さな島で最後まで日本軍兵士の相手をした。」(朝鮮日報2015/12/31)と書かれてあるが、何よりも合点がいかないのが、「静岡県内の慰安所」とはどういう事だろうか。
ここに慰安所が設置され従軍慰安婦(元慰安婦の女性)がいたと、などとどうして書けるのか。とても考えられる事では無い。
大戦中に日本国内には旧日本軍兵士は殆どいなかったろうし、慰安所を設置する必要があったとは全く思えない。

そして、圧倒的に多数の元慰安婦女性はニューギニア、パラオの小さな島で最後まで日本軍兵士の相手をさせられたと書き切っている。
これを肯定するように、平成9年に「週刊朝日」がニューギニアでの旧日本軍の残虐とやらが報じたられていた様だ。

これを完全に否定しているのが産経の「iRONNA 吉田証言より酷い!「朝日」のニューギニア慰安婦報道」で反論が書かれてあるが一部抜粋すれば、
慰安婦は一人もいなかった

 性奴隷/慰安婦問題から報告したい。『週刊朝日』は1万2718人(朝日新聞は1万六千余人)の現地人女性が日本軍の性奴隷/慰安婦にされたと報じた。

 だが、31人の回答者全員、東都ニューギニアに日本人を含め慰安婦は一人もいなかったし、慰安所など一カ所として存在しなかったというのである。さらに、何人かは西部ニューギニアについても同じだったと指摘する。回答は先に引用した『戦場パプアニューギニア』の記述と完全に一致している。

 東部ニューギニアのラエから西部ニューギニアのデバまで足跡を残したという花輪久夫氏(陸軍二二飛行場大隊、曹長)は、「ニューギニアに慰安婦など居りません。断言いたします」と明言する。そして、「根も葉もないことを書き立てる」とし、野戦病院で身動きできない戦傷病患者を火炎放射器で焼き殺し、息のある者も穴に埋め、戦車のキャタピラで均したのは連合軍だったのだといい、日本軍の非ばかりを断罪する報道に痛烈な批判を寄せてきた。

 慰安婦を「聞いたことも見たことも無かった」とする吉川正芳氏(五一歩兵団司令部、中尉)も、一連の報道を「馬鹿げた事で話にもなりません」と書く。青木修兵衛氏(四一師団二三九連隊、副官)も慰安婦は「いなかった」と明言し、海軍・第三一防空隊一等兵曹の高野修作氏もまた、自分のよく知る「ウエワクに慰安婦はいなかった」と話すなど、全員が慰安婦の存在を真っ向から否定している。

 慰安婦が一人もいない以上、「性奴隷」もなにもあったものではない。それが1万人以上の自称「慰安婦」が名乗り出て、あれこれ証言したという事実の方が問題である。ニューギニアは貨幣のない世界であった。だから、慰安婦という職業もなかったろう。そのなかったはずの慰安婦がこれだけ出てくるのは、何ものかの入れ知恵がなければ起こるわけがないのである。

 それとも、朝日新聞社は東部ニューギニアに慰安婦がいたという確実な証拠を持って書いたとでもいうのだろうか。

混血遺児が一人もいない

つづいて強姦殺害である。右のように慰安婦はいなかったと書くと、そうならば強姦が日常的に起こったはずだと主張する人間が出てくる。日本軍といえば即、悪という反応だけで書き連ね、ウラを取るなど考えようともしない。強姦して殺害するなどという行為がそうそう起こるとでも思っているのか。

 「現地人たちは皮膚病などで不潔であり、そんな気を起こす日本兵が一人としていたとは思えない」と否定するのは梶塚喜久雄氏(四一師団、大尉)である。

 この見方は回答者全員に支持されている。「その通り。マラリアに冒され、栄養失調の将兵は全く性欲なし」と川田浩二氏(海軍主計大尉)も全面否定する。

 兵士は若い盛りに違いなかったが飢餓と隣り合わせであり、「当時、日本兵は栄養失調、マラリア、大腸炎等でとてもそんな気になる筈がない」と古川静夫氏(二〇師団、少佐)も指摘する。そんな余裕のある戦局ではなかったというのである。

 「現地人(当時は現代よりもっと不潔)は異様な臭気、排便後は肛門を土でこすって始末する。その様な対象にSexする気が起こるでしょうか。まして動物性蛋白質欠如による栄養失調の体で。ニューギニア戦の実態を知らないこと甚しい」といい、記者が何も分かっていないと記すのは海軍軍医大尉・渡辺哲夫氏である。

 できれば右の証言は書きたくなかった。また回答者も同じ気持ちだと思う。生還者は連合軍との戦場になったことで、パプアニューギニアの人たちに迷惑をかけたとの認識と、戦時中に彼らからよくしてもらえたからこそ生きのびたのだとの感謝の気持ちを強く感じている。

 オーストラリアによる人種差別政策が現地人の白人嫌いを引き起こし、これが日本に有利な働きをしたのは事実と思う。だが、前述の『戦場パプアニューギニア』によれば、「戦場で倒れた死傷者に対するパプアの対応は、豪州兵の感情に決定的な影響を与えた。死者は敵味方の区別なく丁重に葬る。負傷兵はいたわりながら、はるか後方の基地まで送り届ける。倒れている日本兵も同じ扱いを受け捕虜となった。豪州兵の間に深い感動がわき起こったのは当然だ」とあり、豪州兵の家族への手紙には、例外なくパプアヘの感謝の言葉が書きこまれていたという。

 現地人はわれわれ現代人にない、あるいはとうに忘れていた「やさしさ」を有していたのではないか。現地人を悪くいう人に出会ったことがない。

 遺骨収集などで訪パすることの多かった元将兵は、現地の人たちが今も協力的であることなどから、もっとも日パ友好を願っている人たちなのである。その日パ友好に水を差すようなことを書きたくはなかった。が、書かなければ冤罪が晴らせないのである。

 さらに強姦が事実でないとする客観的な状況証拠が存在する。 第十八軍の作戦補助参謀であった堀江正夫氏(少佐、元参議院議員)は一連の報道について、「荒唐無稽なのは常識で考えてもわかるではないか」といい、強姦殺害について次のように指摘する。

 「第一、強姦が事実なら、混血の遺児がたくさん出たはずです。しかし、ニューギニアに遺児は一人もいません」という。

 堀江氏の主張には説得力がある。朝日報道が事実なら、現地には日本人との混血がゴロゴロしているはずである。戦後、多くの人たちが遺骨収集のために東部ニューギニアを訪れた。だが、東洋系との混血児を見たという人はでてこないのである。

 後藤友作氏(軍属)は前後9回、延べ150日間、須藤レポートにあるクンジキニ村を含め、各地の集落を回ったが混血児を見ていないといい、梶塚喜久雄氏(四一師団)にいたっては百回もこの地を訪れているが同じ結果という。

 6回訪れた亀田英二氏(五一師団)は、「日本人との混血は見ていないが、白人との混血はいた」と話す。白人との混血者を見た人はほかにもいる。この混血児がどういう理由で生を受けたかはっきりしないが、日本人と白人とは清潔に対する感性が異なるのではないかとの指摘もある。

 ともあれ、東洋系との混血児のいないことは、この地を訪れた人なら一目瞭然だったはずである。記者ならぱ当然持つべき疑間すら持たずにルポを書く。書かれる方はたまったものではない。それとも、強姦したうえ片端から殺害したから遺児は一人もでなかったとでも主張するつもりなのだろうか。」(2014/10/29)とハッキリと記してある。
その他にも、当時の週刊朝日が報じていた内容を完全に否定する事を多数報じている。

またパラオ。ドイツの植民地だったが、第一次大戦後に日本の委託統治領となり、当時のパラオ居住していた原住民は少なく、第二次大戦が始まる前の人口は3万3千人程度だったらしいが、その大半を日本人が占めるようになっていた。日本国内からの移住が最大だったが、朝鮮半島からも多くの朝鮮人(国籍は日本)も移住している。
パロマで連合国軍との戦闘が開始されれば、日本籍を持つ日本人及び朝鮮人は徴兵されたと思われる。その為、移住した多くの日本籍を持つ者は戦死したが、原住民の戦死者は無かった。

委任統治領であったパラオに慰安所が設置されていたとは思えないし、居住者の殆どは原住民では無く日本籍を持つ者ばかり。パラオでも戦闘が始まれば、日本籍を持つものは戦闘に駆り出された。
原住民は旧日本軍だけでは無く、連合軍にも厳しい行動を強いられ、軍に関与する者として利用されていた。このパラオやニューギニアから元慰安婦が多数が生まれていたなどとは到底思われない。

韓国が従軍慰安婦を主張し始めた時には、朝鮮半島や中国の慰安所へ強制連行されたとしていなかったか。
韓国が従軍慰安婦を主張し始めた時と、今回の朝鮮日報の記者が書いているコラムは全く事実と相違っていると思えてならない。

昨年12月28日の日韓外相会談では、決して納得できる内容では無いのだが、韓国外相からも従軍慰安婦問題が不可逆的に解決と発言させた事が非常に大きい意味を持つ事は確かだ。
また、岸田外相が「慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し,これに日本政府の予算で資金を一括で拠出」すると発言し、韓国外相は「表明した措置が着実に実施されるとの前提で,今回の発表により,日本政府と共に,この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。韓国政府は、日本政府の実施する措置に協力する」と発言している。

また、韓国外相は「韓国政府は,日本政府が在韓国日本大使館前の少女像に対し,公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知」といった発言もしている。

この会談に関し、アメリカだけでは無く欧州やアジア(中国は別だが)などでも評価する国々が出ている。
世界の多くが、今回の会談による不可逆的な解決を評価している事は間違い無い。

会談後の会見後になるが、岸田外相が不可逆的な解決の要件として日本が財団設立の資金拠出の前提に、在韓日本大使館前の慰安婦少女像の撤退を要求している事をハッキリと明言している。

韓国政府は少女像の設置は民間が行ったことであり、ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦問題を象徴する少女像について「民間が自発的に設置したものであり、政府がどうこうできる事案ではない」とあらためて表明」(朝鮮日報2016/01/06)したらしいが、外交関係に関するウィーン条約は韓国外務省もしっかりと認知している筈だ。

岸田外相が撤去要請している少女像は在韓日本大使館前に設置されているが、これはウイーン条約22条ノ2で「接受国は、侵入又は損壊に対し使節団の公館を保護するため及び公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害を防止するため適当なすべての措置を執る特別の責務を有する。」に反している事は明らか。

不可逆的な解決の為の日本大使館前の少女像の撤去は絶対である事は韓国政府も認知しているだろうし、日本から財団設立の資金拠出の前に行うも当然だろう。
少女像の設置は民間がやったから政府が関わる事ができないは、下らん言い訳だ。そんな下らん言い訳をいって何もしようとしない韓国を世界の国々はどの様な意識を持つ事になるのだろう。

韓国外相はは28日の会談後の会見で、日本大使館前に設置されている少女像が国際法であるウィーン条約に違反している事を認めていたのだ。そういった認識があるのに、民間がやっているからといって何も出来ないとするは、韓国政府は自らに主権は無いと世界に非常に見苦しい姿勢を示す事になるんじゃないのか。

そんな立場に置かれた韓国政府及び国民達は、どんな意識を持っているんだろう。何ら恥辱を持たず、馬鹿みたいにわめき散らしているだけなんだろうか。馬鹿な民族だからな。