今日、何気なくYouTubeを開いたんだが、その時に河島英五の動画なんかが紹介されていて、思わず開いてしまった。ギターとピアノとあったけど、自分はギターを選んで開いてみると、10代の頃に夢中になってた英五の「酒と泪と男と女」の弾き語りが映されてる。
何とも言えない気持ちになったね。もう、長い間英五の歌ってる姿ってのは一寸だけ流れる事はあっても、最初から最後まで歌いきる姿が映るのってなかったからね。本当に、何とも言えない気持ちにされてしまった。
他にも「時代おくれ」やその他の曲も紹介される様になってたけど、「酒と泪と男と女」は英五だけが歌ってるんだと思ってたんだが、カバーしてる者が結構いたのかな。声がどうなのかなと思ったけど、ちあきなおみのカバーもあったし、何よりも近藤房之助と木村充揮がコレボで歌ってる動画もあるが、バックは近藤そのものなんだけど、ボーカルは英五になりきってる感じ。
思わず近藤にも夢中にさせられてしまった。
他にも正やんの「22才の別れ」があったり、若い頃の剛の「乾杯」があったり、上田正樹の「悲しい色やね」があったり、マツの「愛のメモリー」なんかも見つけて、思わず見てしまった。
今月16日に発生していた、韓国フェリー「セウォル号」の沈没事故。当初は暗礁に衝突した事が原因ではないか、などと妥当な推測がされていたが、時間が経つに連れ、「セウォル号」の乗組員達が非人道的行動を行っていた事が明らかとなってきている。
最初、事故が発生した当時は乗客には逃れる様にするのでは無く、客室に留まる事を指示していた。だが、乗船などで船体に事故が発生した時には、必ず船体から逃れる為の行動をとらなければならない。
だが、船長や乗組員の殆どはそういった指示は行わず、客室に留まる事を強調し、恐らく自分達が脱出する事前に、船は沈没するとして客室から逃れる事を指示したのではなかったのだろうか。
本来ならば、そうでは無く傾きながら沈没しているのであれば、船長などは、沈没している反対側へ乗客を素早く移動する事を支持し、乗客を外部から救助しやすい位置に置くように指示しなければならなかった。
だが、その様な事など一切行ってなどいない。
読売新聞の記事に「セウォル号」のブリッジに集まった船長など乗組員と、助けを求めたと珍島沿岸海上交通管制センターの交信内容が記されている。
幾つか抜粋すれば、「管制 セ号、現在、乗客が脱出できますか セ号 今、船がかなり傾いて脱出は不可能」、
「管制 浸水の状態はどうか セ号 今、50度以上左舷に傾いて人が左右に動けない状態で、船員も救命胴衣を着て待つように言ったが……実は着たのかどうか確認もできない状態で船員たちもブリッジに集まって動けない状態です。早く来てください」、
「セ号 海洋警察は来ていますか? 来るのにどれだけかかりますか 管制 セ号、今D号が接近中だが横付け出来ない状態で待機中」、
「D号 貴船、我々の船D号がすぐ横にいる。脱出すれば人命救助します 管制 周辺に(別の船2隻が)移動中です。乗客たちが脱出したら即時救助お願いします D号 現況は、セ号の船首側に浮遊物があり接近できません。今、沈没直前のようです」、
「管制 警備艇到着15分前です。放送して乗客たちに救命胴衣を着用させてください セ号 現在、放送もできない状態です」、
「管制 放送できなくても最大限出て乗客に救命胴衣を着て厚着するよう措置してください セ号 本船が乗客を脱出させたらすぐに救助されますか 管制 ライフリング(救命浮輪)でも着用させて(海面に)浮かせて、早く!」、
「管制 セ号。人命脱出は……船長が直接判断して人命脱出させてください。こちらはそちらの状況が不明なので船長が最終判断をして乗客の脱出をさせるか早く決定を下してください セ号 そうじゃなくて今脱出させればすぐに救助できるのか聞いている」
管制センターは乗客の救出の措置を求めるが、船長達は放送は出来ないと訴える。対し管制センターは、放送できなくても最大限ブリッジを出て、乗客に救命胴衣を来て厚着を求める措置を求める。
だが、船長達はこれらの要求を全く無視していた。まして、放送は出来ないとしているが、その様な事など無かった筈だ。
船体が傾いてから、沈没するまでにはかなりの時間が掛かっている。乗客に適切な指示を出す時間は十分にあったのではないのか。だがその様な事など一切していない。
乗組員の一部には、乗客の救助を選考し、自ら命を絶ってしまった者もいる様だが、ブリッジに集まっていた者達にその様な意思などなかった。
乗客を預り、乗り物を動かし移動させる者には、乗客の命も預かっている、守らなければならないといった重大な責任も負わされている事は間違いの無い筈だ。これは船舶だけでは無い。
他の乗客を扱う乗り物を操縦する責任者には同じ責務が負わされている事は間違い無いだろう。
「セウォル号」の船長や乗組員達も自分達が助かる事よりも、乗客を如何に素早く助ける為の手段を取らなければならなかった。だが、これらの者の殆どは事故発生から、乗客の安否など無視していたんだろうな。
だからこそ、自分達が助かる事ばかりを意識し、本来守らなければならない乗客を傾いた船舶へ置き去りにして、先に逃げ去った。
見殺しされる様になった乗客の家族達は、船舶乗組員達や政府に対し激しい怒りを顕にしている。どちらも乗客の安全を重視した対応を行う意思、徹底した指示など一切無かったのだろう。
朴大統領はこの沈没事件を、自分の責任では無いと主張したがっているのだろうか、「船長と乗組員は、普段訓練をやっていたのか。基本的な規定さえ守っていなかったのに、会社や監督機関は何をやっていたのか。徹底して明らかにしなければならない」、「国民が公務員を信じず非難するとすれば、(公務員は)責務を果たしていないのと同じで、存在理由がない」と強くと咎めるが、「献身的に働く公務員にまで不信を抱かせる、自らの地位を守るために、上司や他人の顔色ばかりうかがう公務員は、政府から必ず出て行ってもらう」などと語っているらしい。
今回の沈没事件の最も大きな責任は朴にあると思えるが、自分の責任は一切言葉にせず、その他の者ばかりに責任転嫁をしている。
完全な責任逃れだ。乗組員達に求められるのは、自分達では無く乗客の安全を第一とする意識をしっかりと持ち得ていたか否かであり、この責任意識は国が船舶会社などに徹底した指示をしなければならない。
韓国政府はこの責任をしっかりと実施していたのだろうか。まして、監督機関は何をやっていたのかとしているが、それは国にあったのではないのか。監督機関が何をやっていたのか明らかとしなければならないと言うのであれば、朴が何を指示し、どの様に動かしていたのかを明らかにしなければならない。
韓国の公務員には、非常識な行為を行い更迭された者もいる様だが、被害者の家族が批判しているのは単なる公務員だけでは無い。朴もその一人に加えられている。朴は、「他人の顔色ばかりを伺う公務員は、必ず政府から出て行ってもらう」と発言しているが、朴もその一人では無いのか。
故に、自らの責任を認める言動を一切行わず、他の者に責任転嫁を行い、自らは責任逃れをしようとしている。
事故対策本部は事故当初から設立されていただろうと思うが、そこで指揮・行動を行っているのは政府官僚だろう。
朴は勿論、閣僚などが直接対策本部に加わり、指揮を取るといった事など無いのではないか。
国民の安全を常に重視し、今回の沈没事故による被害者を無駄の無い救出活動により少しでも早く、一人でも多く救出しなければならない、被害者家族の辛い思いを早く和らげなければならないといった、強い責任感を持っていたなら、自ら先頭に立つ対策本部を設立し、自ら積極的に活動しなければならなかった。
だが、あいつにはその様な意識など一切無い。
適当な責任逃れの発言だけを行っている朴こそが、最も早く政府から消えなければならないのではないのか。
今年度から消費税が8%にアップされて、批判の声もある様だが、自分のとこでは介護を必要とする者もおり、社会保障に回してもらえるなら仕方ないなと思ってるんだが。
また、自分は大きな買い物をする事が無いので、税率アップを余り気にする事はない。一寸値段が上がったかなと思える程度で、大した差は無いと思えるから。
だけど、買い物した時に一寸気になる事があるんだよ。キャッシュではスーパーとかドラッグストア、或いはホームセンターなんかで買い物してるんだが、店によって値段の表示の仕方が異なってるんだよね。
税抜きと税込みの値を表示している店が多いんだけど、中には税抜きの値だけを表示している店もある。
そこには税抜きなんて文字が無い。だから、これは税込みの値段なんだろうなと思い、選択しレジへ持って行くんだが、そこで表示されてた値段に税が掛けられた値を請求される様になる。
これには、一寸参っててね。いい加減にしてくれと、そんな事するんだったら、ちゃんと税抜きの値と表示しておいてもらいたいし、何なら店の前に値段表示は税抜きだと、最初から紹介していてもらいたい。
何だか、こっちは騙された気分になっちまうよ。
どのような商売でも同じだろうけど、客に対しては、ちゃんとした値を示す事が当然の事じゃないのかな。
その値を確認してもらって、買うか買わないかを判断してもらう。
そんな事せずに商売してるなんて、可笑しい。店のほうは消費税アップをどのように意識してんのか知らんが、客の事をしっかり考えて商売してもらいたい。
こんな事せずに、いい加減な事して、まるで客を騙してるような店では、買い物したいとは思えない。
今月自分の作った写真サイトをやっとアップしたつもりだったんだが、何故かどうしてもアップしてくれない写真もあって、そのレンタルサーバーを諦めて改めて写真サイトの編集を行っているんだが、意外な事が分ってきて、それを直すのに何だかグッタリしてきてる。
ソースを作ってる時には、全く気づかなかったんだが、自分には全然気づかなかったんだが、編集の為に見てみると、無駄な書き込みがぎょうさんあって、自分で呆気にとられてるよ。何でこんな馬鹿な事やってたんだろうって。全部を直すとなると、ほんとに大変だよ。量が多いから。
本当に参ってる。
次のレンタルサーバーは一応2つ位に絞っているんだが、そのサーバーに申し込めるのは何時になるのかなとも思えてきてる。だが、自分が撮った写真を残す為の大事なサイト。少しの人でも見てくれれば、それだけでも嬉しく感じるんだけどね。
どんなに遅くても、来月中にはアップできるようにしたいと思ってるんだが、最近は持病の影響もあって体力が落ちてる感じもあるし、どうなるのかなって気もしてる。絶対にアップする為に、頑張るけどね。
この後から、また編集を始めるつもり。
もう数日前の話となってしまうが、一人の女性の発案から始まったらしい日本国憲法9条のノーベル賞平和賞受賞を目指した行動。
どういった思い付きからの行動なのかはハッキリとは分らないが、9条を平和憲法とし、世界に広げたいとして行動を始めているらしい。
だが、ノーベル賞の受賞できるのは個人か団体と定められている。個人が憲法9条に平和賞の受賞を求めようとも、憲法への受賞は認められてなどいない。
その事をノーベル賞実行委員会へ申請を繰り返した後から知ったのだろうか、受賞は憲法9条では無く、「日本国民」という団体としたらしい。
その為に、ネットを利用した署名活動を始めた。
この行動が市民団体「9条の会」とやらに伝わると、その活動はより活発となり、何故か「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会が発足し、一般市民だけでは無く大学教授などからの署名も多く集まったらしい。
実行委員会の共同代表の中に、思いつきで発案しただろう女性も含まれているが。
今年の1月なのだろうか、ノーベル賞実行委員会の求めに応じ署名した者の内、推薦資格を持つ大学教授など47名から憲法9条の平和賞受賞を求める推薦状が送られていた様だ。
ノーベル賞実行委員会より、今月9日に「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会へメールで推薦の受理が伝えられていたらしい。
まず、憲法9条とはどういった内容なのだろうか。まず、第2章、戦争の放棄として定められている。
1項に、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項に、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
と定められている。まず、2条に陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。とされているが、日本には既に自衛隊が存在している。
そして1項に「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とあるが、日本は自衛隊というよりも、軍隊を保持しているが戦争を求める為では無い。
故に、自民の憲法改正草案では第1項には自衛権は存在しているとしているのかもしれない。
国際紛争を解決する手段としても武力行使などは、永久放棄としている。では、国際紛争とは何か。国家間での争いではないのか。現在の東アジアの国々は中国の急速な軍事拡大による、武力威嚇など非常に警戒視している。
日本もその一国に加わっている。中国との間には、尖閣諸島問題があり、中国は尖閣諸島侵略の為に軍事行動を行うのではないか、といった情報も流れているかと思われるが。
また、アセアン諸国に対しても中国は武力威嚇を活発に行い、アセアン諸国やアメリカなどから激しい批判をされているのではないか。
こういった行動をする国に対し、果たして外交だけで日本の平和を守る事が可能なのだろうか。
まず、不可能だろう。武力行使による侵略を計画しているのであれば、外交などに応じる必要も無いだろう。
何よりも、世界の国々の憲法に9条と同じ内容のものがあれば、世界各国は武力保持の必要は無く、外交のみによって世界平和を実現できるのかもしれない。だが、9条を含む憲法を持つ国など世界には無いんじゃないだろうか。
安倍政権が憲法9条の解釈変更を求めているが、女性の発案は、これを批判しての行動だったのだろうか。馬鹿な政治家も含め9条を解釈変更、或いは改正批判により、一体何から日本を守ろうとしているのか。
発案した女性は、日本の敵を作っているのは日本ではないか、何故敵を作らなければならない。などとも言っているらしいが。
先にも書いたが、9条と同じ内容を含んだ憲法は、まず世界各国には存在していないだろう。世界の憲法に含まれているのなら、世界の国々は武力の行使など行わない世界平和を実践しようとするかもしれない。
だが、現在の世界でその様な意識を持った国は存在していないだろう。
日本国憲法第9条は平和憲法でも何でも無い。GHQが日本に新たな軍事力を持たせない為だけに作った、日本の平和には意味のない法だ。
この法に絶対に従わなければならないというのであれば、中国などより武力行使されれば、日本はただ侵略されるだけであり、ただ米軍に助けを求めなければならない。
米軍もしっかりと活動してくれなければ、日本は完全にお仕舞いだ。
まして、日本には既に自衛隊というしっかりとした軍隊が存在している。敵国の武力行使に対し、武力防衛を可能としているが、GHQの一国であったアメリカは自衛隊の存在をしっかりと認めているし、欧州各国も何も否定などしていないだろう。
戦後当時にはどのような意味があったのか知らないが、現在の世界情勢では全く意味の無い法である事は間違い無い。
そして、最も不快感を感じさせられるのが、平和賞を受賞するは「日本国民」とした事だ。
その理由が、「9条を保持し、70年近く戦争をしなかった日本国民の受賞に意味がある。みんなが候補として平和を考えるきっかけになれば」という事らしい。
第2次大戦終戦後、日本は確かに戦争などしていない。簡単な事だ、周辺国から武力行使をされる事が無かったからだろう。韓国からは李承晩ラインにより、多くの漁民が犠牲になり、竹島侵略までも行う、非常識な暴行をされたが。
対し、日本は李承晩ラインを解除する為に日韓基本条約で韓国の歴史歪曲した戦勝国、日本の植民地などの主張を認め、多額の賠償金を渡してしまった。
昨年の5月からだろうか、ネットなどにより署名活動を行っているらしいが、4月11日の時点で、署名をした者は僅か4万余りに過ぎないらしいじゃないか。
日本人口は、現在でも一億人余りは存在しているだろう。その中で、成人は何千万人存在しているのだろうか。
署名した者には十代の者もいるかもしれないが、殆ど成人ではないか。その中での4万人余りというのは、1%よりも遥かに少ない僅かな者だけである事は間違い無い。
なのに、「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会の実行委員の岡田えりこは「受理されてうれしい。受賞者は個人か団体となっているが、受賞者を日本国民としたことを委員会は受け入れてくれた。これで日本国民一人一人が受賞候補者になった」と言っているらしいが、同じ思いでいるのは署名した者やその他一部の者達だけではないのか。
自分も日本国民の一員であるが、9条にノーベル平和賞を求める意思など全く無いし、「憲法9条にノーベル平和賞を」の連中に賛同する意思も無い。
実際に受賞される事などありえないだろうと思うが、勝手に受賞者の一員とされてしまっている事が非常に不愉快でならない。