蒲田耕二の発言

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四季の危機

2020-06-29 | 文化
コロナ禍でさまざまな劇団やホールが経済的に窮乏しているとニュースは、すでに目にしていた。しかしその波が、四季のように、比較的に経営が安定していると見えた大劇団にまで及んでいるとは知らなかった。

こういうことは普通、みだりに公言すべきではないのだが、劇団自身がネットで窮状を訴え、クラウド・ファンディングの募集を公示している以上、オレも率直に連帯を表明する方がベターと判断した。何よりも、2002年の『マンマ・ミーア!』以来、長年にわたってお付き合いしてもらってきた恩義がある。

劇団四季の上演スタイルについては、一部で「古い」「新味がない」「役割は終わった」等々の評価を下す向きもある。オレも時に、あまりに生マジメな舞台作りに違和感を覚えたことがあるのは認めなければならない。

しかし、四季のオーソドックスな正攻法スタイルは、演劇上演の基本、あるいは王道というべきものだろう。何も、ここからすべてが育っていったというつもりはないが、蜷川もケラリーノも松尾スズキも三谷幸喜も野田秀樹も、四季と浅利慶太の楷書風の上演スタイルがあったからこそ、それぞれの個性が対照的に際立ったとは言える。

基本がなければ発展もない。

もしも四季が活動を停止することにでもなれば、それは1個の劇団の消滅ではなく、一つの文化の死を意味する。

四季は、ジロドゥーから米英のミュージカルまで、なじみの薄かったジャンルを日本に定着させ、レパートリー・システムと専用の劇場によってロングランを成功させるという前例のない興行形態を根づかせた。この劇団は、類例のないパイオニアなのだ。文化の創始者なのだ。

こういう存在の衰退に、手をこまぬいていてはならない。

演劇などエンタメに注力するよりは、まずワクチンの開発や医療現場にリソースを回すべきだとの考え方もあるかも知れない。しかし、文化なくして生きながらえて、人間が人間でありうるだろうか。

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