女装子愛好クラブ

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風俗ライター いそのえいたろう氏による日本女装風俗史2

2020年08月24日 | ★女装の本・雑誌
昨日の続きです。

 こうした女装クラブやバー形態は、どちらかというとマニア主体の同好の士を中心に。身内主義で、あまり外部からの人を良しとせず、人数を増やさず、会員制クラブ終始した。しかし、昭和五十五年になると女装のお遊びに一大ルネサンス襲来である。より多くの人により安く、しかもレジャー感覚の女装クラブの誕生という女装世界の黒船ともいうべき大衆商法が躍り出てきたのである。

 東京・日暮里に産ぶ声をあげた「エリザベス」のコスチュームエロスは時代の性の多様化とともに絶大なる支持を集めた。
 貸し衣裳、ロッカー完備、つまり身ひとつで女装が楽しめるという画期的なコンセプトは女装マニアとそれにつづく予備軍や潜在的なマニアを釘づけにしたといっていいだろう。
無手勝流というのは大げさだが、「エリザベス」の掲げたレジャースタイルの女装は、それまでの日陰的なマニア遊びから忘年会の二次会のノリで今日に至るわけだ。

 仕掛人は、田中稔だ。この人は大人のオモチャ業を営む野心家で奥さんが廃業した洋品店の在庫処理に困りはててヒネリだしたのが女性洋品の通信販売だった。

 「ふいに浮かんだのが性犯罪だった」というから面白い。新聞の三面記事には下着ドロや痴漢がウヨウヨ出ている。時あたかもテレビ番組の「ウィークエンダー」の下ネタレポートが人気を博していたこともヒントになったようだ。

 何故、下着ドロや痴漢がなくならないのか。と自問自答した答えは「性犯罪予備軍」の存在とそうした趣味の「マニア多数」と捉えたあたりが慧眼でもあるだろう。江東区の性犯罪を調べあげた。一ケ月三十四件。年間、四百件の犯罪件数と下着の因果関係の行きつく先は、公けに出来る「女装の店」となって少数は必ず多数にすりかわるという田中の狙いどおり、「エリザベス」は、飛躍大発展を遂げる。手挟な日暮里から神田神保町にビルー棟ごとの女装会館として華々しくオープンしたのが昭和五十五年八月である。雲霞のごとく濁流となって女装趣味の人に迎え入れられた。

 それ以降の「エリザベス」の支店網は東京を拠点に名古屋、大阪へ拡大一途。その余波を受けて大阪には平成三年女装クラブ「パレットハウス」が開店した。
 おそらく現在、マニア系やレジャー感覚の女装の店、つまりは女装オミズは全国に大小、四、五十は下らないだろう。
 性犯罪の抑止力になったかどうかは定かではないが、性の多様化と情報化の進んだいま女装という翼をひろげる場所にことかくことはないのは是とするべきだろう。

 やりたいことがやれる時代はいいことだ、といってしまえば簡単だが、忌み嫌われた女装倒錯者にとって、いまの時代は、風通しのいいことだけは確かなようであるだろう。
      出所 『性鬼伝』いそのえいたろう著 1997年 徳間文庫



>忌み嫌われた女装倒錯者にとって、いまの時代は、風通しのいいことだけは確かなようであるだろう。
このルポが書かれたのが1990年代後半。
それから四半世紀が経った現在、女装愛好者にとっていまはどのような時代なのでしょうか。


コメント
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