昨日の土曜日、衣替えのついでに本棚の整理を行いました。
すると本棚の奥の奥から懐かしい本が出てきました。
『時刻表2万キロ』宮脇俊三著(河出書房新社 1978年刊)です。
おお懐かしい。
購入した大宮のO書店のレシートも出てきました。
これは1979年の日付になっています。
大学に入ったものの、生来の人見知りから友達もすくない。
サークルにも入り損ねた。
自宅と大学の往復につまらなさを感じていたころに、この本に出会いました。
用もないのに国鉄に乗りに行く。
それも1日数本しか走っていない路線を組み合わせる。
子どものころから電車好きでしたからもこの本の虜になりました。
そして宮脇俊三さんのように、大学の休みに北海道・東北・四国・九州などをただ国鉄に乗りに行くために旅に出ました。
高松出航0時25分の連絡船で宇野に渡り、1時40分発の新大阪行急行「鷲羽1号」のグリーン車に乗った。グリーン券は来るときに三ノ宮で買っておいた。しかし新大阪までではなく、急行券共に三ノ宮までである。新大阪までだと200キロをわずかに超え、急行券共で1700円高くなるからであった。
三ノ宮に6時49分に前き、釣竿やゴルフの道具を持った早起きの客がまばらに乗る国電で新大阪に行き、6時14分発の「こだま」の始発で米原に6時59分に着いた。
駅弁と罐ビールを携えて金沢行急行「くずりゅう1号」に乗換える。六両編成の電車内は閑散としている。朝のビールは六腑にしみわたり、ひと眠りすると、もう福井であった。
金沢着9時44分。10時00分発急行「能登路8号」に接続する。ディーゼルカー六両の編成で、前四両が能登線の終点蛸島行、後二両が輪島行となっており、「能登路」というヘッドマークをつけていた。きょうもよく晴れている。
出所:『時刻表2万キロ』宮脇俊三著 河出書房新社 1978年刊
>駅弁と罐ビールを携えて金沢行急行「くずりゅう1号」に乗換える。六両編成の電車内は閑散
>としている。朝のビールは六腑にしみわたり、ひと眠りすると、もう福井であった。
この文章がこの本の中で1番すきなところです。
未成年だった当時の私は、朝にビールを飲める汽車旅にものすごく憧れました。
流石に単行本は絶版ですね。
河出文庫に入っているようです。
すると本棚の奥の奥から懐かしい本が出てきました。
『時刻表2万キロ』宮脇俊三著(河出書房新社 1978年刊)です。
おお懐かしい。
購入した大宮のO書店のレシートも出てきました。
これは1979年の日付になっています。
大学に入ったものの、生来の人見知りから友達もすくない。
サークルにも入り損ねた。
自宅と大学の往復につまらなさを感じていたころに、この本に出会いました。
用もないのに国鉄に乗りに行く。
それも1日数本しか走っていない路線を組み合わせる。
子どものころから電車好きでしたからもこの本の虜になりました。
そして宮脇俊三さんのように、大学の休みに北海道・東北・四国・九州などをただ国鉄に乗りに行くために旅に出ました。
高松出航0時25分の連絡船で宇野に渡り、1時40分発の新大阪行急行「鷲羽1号」のグリーン車に乗った。グリーン券は来るときに三ノ宮で買っておいた。しかし新大阪までではなく、急行券共に三ノ宮までである。新大阪までだと200キロをわずかに超え、急行券共で1700円高くなるからであった。
三ノ宮に6時49分に前き、釣竿やゴルフの道具を持った早起きの客がまばらに乗る国電で新大阪に行き、6時14分発の「こだま」の始発で米原に6時59分に着いた。
駅弁と罐ビールを携えて金沢行急行「くずりゅう1号」に乗換える。六両編成の電車内は閑散としている。朝のビールは六腑にしみわたり、ひと眠りすると、もう福井であった。
金沢着9時44分。10時00分発急行「能登路8号」に接続する。ディーゼルカー六両の編成で、前四両が能登線の終点蛸島行、後二両が輪島行となっており、「能登路」というヘッドマークをつけていた。きょうもよく晴れている。
出所:『時刻表2万キロ』宮脇俊三著 河出書房新社 1978年刊
>駅弁と罐ビールを携えて金沢行急行「くずりゅう1号」に乗換える。六両編成の電車内は閑散
>としている。朝のビールは六腑にしみわたり、ひと眠りすると、もう福井であった。
この文章がこの本の中で1番すきなところです。
未成年だった当時の私は、朝にビールを飲める汽車旅にものすごく憧れました。
流石に単行本は絶版ですね。
河出文庫に入っているようです。