こんばんわ。埼玉は激しい雷雨でした。
地元の公園での盆踊りも途中で中止。
せっかく集まった子供たちも雷が鳴りだすと、慌てて家に帰りだしました。
雷鳴を聞きながら、先日国会図書館で研究調査用資料としてコピーした1968年3月の風俗奇譚を整理していたら、遠洋航海の船員さんから風俗奇譚に載った美人女装子の三木綾子さんへの交際願いの投稿を見つけました。
この方は船員で遠洋航海で風俗奇譚で無聊を慰めているようです。
興味深かったのは、港に着くと女装者がいるバーを訪ねていることです。
三木綾子さまへ
前に一度、本欄をお借りして綾子さまにおたよりを差し上げたものでございますが、ご返事もいただけず、お元気で活躍のこととは思いますが、たまには美しい姿を誌上になりとあらわしてほしいものと望んでおります。
わたしども、いつも故国を遠くはなれた船上に生活するものにとって。風奇はいろいろな空想やら奇抜な催しなどあってどのくらいぶりょうな単調な生活を慰めてくれることか。
なかでもわたしの好んで読むのは、女装関係の記事と写真です。不自由な船にあっても、わたしは必ず新刊の風奇を入手できるのです。それというのも、わたしのあこがれとも希望とも言える女装の実態に接しられ、若いわたしの血はおどり、空想ははてしなく広がっていくのです。
直接交際をお願いするわけにもいかず、せめて文通なりともと考えております現在です。
わたしの若い同僚に風奇の綾子さまの美しい姿を見せてこれは男性だよ、と説明したところ、みんな歓声をあげてこれが男かと大騒ぎしたほどです。
船員には、ホモの者が多いといわれるのは事実です。わたしの乗り組んでいる船にも、その傾向が時おり見られますが、わたしや二、三の友人は男同士ではいやだというより、相手が男姿では気分が出ないといったほうが正確です。そんな気分が、わたしどもを風奇のファンにした原因です。
毎日毎日が青い海原を見て暮らす荒くれ男たちがいちばんよろこぶのは、港について酒と女を求めて上陸するときです。わたしや友人たちは、そんな時でも、異国に池女装のホモはいると聞いているので、それとなく探すのですが、土地不案内では、ほとんど不可能です。
一度、シンガポールで、それらしいバーがあり、行って見ましたが、なるほど、女装した者が二、三人おりましたが、普通のバーに女装者が時おりあらわれる、またそれが一種のよびものになっているという程度で、全然期待はずれでした。
女装者そのものも、思ったほど美しくもないし、誰が見ても男と一目でわかる程度のものでことばもじゅうぶん通しないせいか、ガッカリでした。
その点、横浜の「ピノキオ」や神戸の「雪之丞」は、美人ぞろいです。しかし、生来内気なわたしには、手さえロクロク握ることもできませんでした。
富貴クラプのかたがたは、いずれもりっぱな職業を待った社会人ばかりと聞いておりますので、内気なお忙しでもお交際願えるのではないかと期待しております。横浜、神戸に帰ったときは、たいがい半月ぐらいから二十日ぐらいの休暇もありますので、もし許されるのでしたら、そんなおりにお目にかかりたいものと考えております。
わたしの乗っている船や会社名は、会のほうに知らせてありますので、重ねて、綾子さまにこの記事がお目に届くよう投稿いたしました。 〈K・T生〉 出所 風俗奇譚1968年3月号
追伸です。
見出し画像は前回ご紹介した神宮外苑で初めての女装外出をされた怜子さんです。
地元の公園での盆踊りも途中で中止。
せっかく集まった子供たちも雷が鳴りだすと、慌てて家に帰りだしました。
雷鳴を聞きながら、先日国会図書館で研究調査用資料としてコピーした1968年3月の風俗奇譚を整理していたら、遠洋航海の船員さんから風俗奇譚に載った美人女装子の三木綾子さんへの交際願いの投稿を見つけました。
この方は船員で遠洋航海で風俗奇譚で無聊を慰めているようです。
興味深かったのは、港に着くと女装者がいるバーを訪ねていることです。
三木綾子さまへ
前に一度、本欄をお借りして綾子さまにおたよりを差し上げたものでございますが、ご返事もいただけず、お元気で活躍のこととは思いますが、たまには美しい姿を誌上になりとあらわしてほしいものと望んでおります。
わたしども、いつも故国を遠くはなれた船上に生活するものにとって。風奇はいろいろな空想やら奇抜な催しなどあってどのくらいぶりょうな単調な生活を慰めてくれることか。
なかでもわたしの好んで読むのは、女装関係の記事と写真です。不自由な船にあっても、わたしは必ず新刊の風奇を入手できるのです。それというのも、わたしのあこがれとも希望とも言える女装の実態に接しられ、若いわたしの血はおどり、空想ははてしなく広がっていくのです。
直接交際をお願いするわけにもいかず、せめて文通なりともと考えております現在です。
わたしの若い同僚に風奇の綾子さまの美しい姿を見せてこれは男性だよ、と説明したところ、みんな歓声をあげてこれが男かと大騒ぎしたほどです。
船員には、ホモの者が多いといわれるのは事実です。わたしの乗り組んでいる船にも、その傾向が時おり見られますが、わたしや二、三の友人は男同士ではいやだというより、相手が男姿では気分が出ないといったほうが正確です。そんな気分が、わたしどもを風奇のファンにした原因です。
毎日毎日が青い海原を見て暮らす荒くれ男たちがいちばんよろこぶのは、港について酒と女を求めて上陸するときです。わたしや友人たちは、そんな時でも、異国に池女装のホモはいると聞いているので、それとなく探すのですが、土地不案内では、ほとんど不可能です。
一度、シンガポールで、それらしいバーがあり、行って見ましたが、なるほど、女装した者が二、三人おりましたが、普通のバーに女装者が時おりあらわれる、またそれが一種のよびものになっているという程度で、全然期待はずれでした。
女装者そのものも、思ったほど美しくもないし、誰が見ても男と一目でわかる程度のものでことばもじゅうぶん通しないせいか、ガッカリでした。
その点、横浜の「ピノキオ」や神戸の「雪之丞」は、美人ぞろいです。しかし、生来内気なわたしには、手さえロクロク握ることもできませんでした。
富貴クラプのかたがたは、いずれもりっぱな職業を待った社会人ばかりと聞いておりますので、内気なお忙しでもお交際願えるのではないかと期待しております。横浜、神戸に帰ったときは、たいがい半月ぐらいから二十日ぐらいの休暇もありますので、もし許されるのでしたら、そんなおりにお目にかかりたいものと考えております。
わたしの乗っている船や会社名は、会のほうに知らせてありますので、重ねて、綾子さまにこの記事がお目に届くよう投稿いたしました。 〈K・T生〉 出所 風俗奇譚1968年3月号
追伸です。
見出し画像は前回ご紹介した神宮外苑で初めての女装外出をされた怜子さんです。