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母の入所のことを書きました

2020-12-08 10:26:44 | 日記
 母のことを書きました。西本願寺の男性中心の会「宗門の明日を考える会」から依頼されてエッセイを書きました。
 提出した原稿が公になりました。
 下記に記したのは元原稿ですですが、そのままです。


 母の「ビハーラ本願寺」への入所
 源 淳子
 わたしの母は、1920(大正9)年、島根県奥出雲の本願寺派の寺に生まれ、今年100歳になります。一人娘なので、寺を継ぎました。
 96年間を自坊で過ごし、坊守として生きてきた母の人生が大きく変わったのは、京都府下(木津川市)に住む娘であるわたしと同居することになったからです。2017年4月、甥の結婚によって、家事全般を甥の妻が一手に引き受けるようになりました。それまでは92歳のときに認知症になった母を弟が看ていました。
 その事情を知った日に、わたしは、「母を引き取る」(「引き取る」はよくないことばですが、実感です)ことを決めました。ジェンダーの問題に関わり、家制度の名残のおかしさ、介護を長男の妻(まして孫の妻)がすることをおかしいといってきた者としての決断でした。
 1週間後、介護度1の母との同居が始まりました。「娘の家に住む」ことが母には理解できませんでした。「ここはわたしが住むところではない」のことばにわたしは疲れ、言う度にその理由を書いて渡しました。
 同時にデイサービス、ショートステイの手続きをする一方で、認知症の勉強を始めました。しかし、実際の母の認知症は違い、その特徴である「徘徊、被害妄想、暴言暴力」のない母なのに、なぜかストレスがたまります。
 母は施設に通い始めましたが、7月の介護認定が介護度3になり、それは環境が急に変わり、順応できなくなったせいでした。
 昨年12月ころから、わたしが母へ暴言を吐くようになり、わたし自身の虐待に気づきました。一度だけ、ウンチの失敗を自分で片づけようとする母の手を思わずたたいてしまいました。わたしは暴言を吐いては落ち込み、母はわたしに丁寧語を使うようになりました。
 暴言をやめたいと思っても、虐待はエスカレートするばかりです。それを防止するには母とわたしを離すしかないと思い、施設への入所を望みましたが、介護度3では順番は回ってこないのです。
 母の介護度を再度調べてもらい、介護度が4になり、重くなったというのに、わたしは「入所が近づく」と喜びました。しかし、入所の知らせはなく、虐待をしてはいけないという自分と実際に暴言を繰り返す自分に苦しみ続けました。
 2020年7月のある日、女性住職をしている友人が、「『ビハーラ本願寺』の老人ホームで研修をした」というのです。そこの緩和ケア施設は知っていましたが、彼女の話で老人ホームがあると知りました。「ビハーラ本願寺」へすぐに連絡を取り、相談に行き、入所を申し込みました。99歳の母を73歳の娘が看ている老老介護のなかでわたしの虐待があることも話しました。母のような坊守や住職のために設けられたので、母の入所は喜んで迎えてもらえる予感がしました。
 8月半ば、入所ができるという連絡を受け、入所日が決まったら、わたしの虐待がなくなりました。「西本願寺がつくった施設へ入る」といったら、「お数珠をもっていかねば」といった母の姿、ビハーラ本願寺へ入所した日に阿弥陀様の前で「なんまんだぶつ」と称える母を見て、母の最期の場はここでよかったとしみじみ思いました。そして、わたしは虐待の加害の苦しみから解放されました。
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