ユッコ姉の日記

日々思うことをタリラリラン♪っと・・・。

主人・・・(夕食はー)

2006年05月15日 08時37分15秒 | 主人・・・
夕食は家族揃って食べ、TVは付けない。
これが、私の実家のルールだった。

子供の頃は、見たい番組があってもTVを消されてしまい、不満に思う事も多かった。
(現代のようにビデオやDVDなんて物は無かった時代、一度見損なうと二度と見れない)
でも今思うと、父親の仕事の話を聞いたり、学校の出来事を話したり、食事が終ってもなかなか席を立たず、
家族でわいわいしゃべっていて、とても良かったと思っている。
父の仕事の大変さも、自然に理解できた。

当然、結婚したら自分もそうしたいと思っていた。
でも、主人はそれが嫌だった。
子供達が、「お腹がすいたー!」と騒いでも、
「お父さんがもうすぐ帰ってくるから我慢しようね。」
でも帰ってきた主人は、「別にいちいち待っとらんでいいのに。」

夕食が始まる。
子供達は、私に言われてシブシブTVのスイッチを切って、テーブルへ座る。
みんな揃って、「いただきまーす!」
ところが主人は自分の分だけ居間に持って行き、自分だけTVでアニメを見ながら食べるのだ。
当然、子供達はどうしてお父さんだけ・・・と不満が出て、自分たちも居間へ行きたがる。

結局、全員居間でTVを見ながら、会話も殆んどなく夕食をとる。
もちろん、私もTV世代育ちだから、TVは大好きだ。
でも、家族の為、子供の為に、ほんの30分だけTVを我慢できないものか?
主人にしても子供達にしても、消化にも良くないし、家族としてもあまり良くないと思う私は、考えが古いのかなあ?



どうなってるの?・・・

2006年05月14日 09時09分41秒 | 私の病気・・・
今日は、現在の話を少し。

「実は・・・」の所で、下顎のズレの為、噛み合わせがガタガタになって来た事を書きました。
そこで、金曜日に少し遠くの大学病院まで行ってきました。

私は、下顎のズレによる顎関節症と同じような物だと思っていましたので、
神経が切れている以上治らないのは承知ですが、
これ以上酷くなるのを少しでも防ぐ為、
マウスピースとかバイオプレートとかを作ってもらおうと思って行きました。

一応、脳外の医師の紹介状と、自作の今の自分の状態を書いた物を持って行きました。

今までの総合病院とは大違いの丁寧な説明の後、とりあえずレントゲンを撮りました。
(歯医者で撮るのと同じタイプ)

大学病院の医師は、
「左の顎関節が少し小さい気がするので、CTも撮ってみましょう。」と言いました。

CTを撮った後、医師はそれを見て唸りながら、今度は、顎間接のみのCTを・・・。

午前9時頃病院に着いていましたが、全部撮り終わったのは午後3時。
いいかげん疲れた頃、医師が話し始めました。
丁寧に説明してくれましたが、簡単に言えば、左の顎関節がない!
初めのレントゲンは前からしか撮らないので、気付かなかったのですが、
その後の二種類のCTを見ると、明らかに左右の顎関節の形が違う。

私の左の顎関節は、裏側からだんだん消えていっていたんです。
恐らく、今は繊維質みたいな物がもやもやとあるだけでしょう。と、言われてしまいました。

手術からこんな状況になる事は考えられないそうで、
大学の方でも前例がないそうです。
他の科の先生方とも相談したいので、10日後位に大学側から電話します。
と、言われてしまいました。

その上、頭の中に金属のクリップがあるので、絶対にMRIは撮ってはいけない。
磁力でクリップが外れてしまう可能性があるからだそうで・・・。
金属クリップは、手術の時に神経を留めたのでしょう。と言うことでしたが、

マジですか~?
私、手術の後、総合病院の方で2回もMRI受けてるんですけど~~!
クリップが外れなかったのはラッキーだったということですか~?

いったい、私の頭はどうなっているんだ~
もう、なんだかヤケクソになった私は、帰りにケンタッキーに寄って、チキン27個購入。
家族5人で食べ切りました!
う~、しばらく油物は遠慮しますう~・・・。

主人・・・(あぶない、あぶない)

2006年05月13日 08時31分49秒 | 主人・・・
2番目の子が2歳を過ぎた頃、その子供に障害があることがハッキリしてきた。

深夜、子供の事がショックで眠れない私は、真っ暗な台所で一人シクシクと泣いていた。
そこへ、トイレに起きてきた主人。

「なにやっとるんや?」
私は泣きながら
「あの子、どうしてあんなん何やろう。
主人、
「あ、そ。」

そう言うと、さっさと部屋に戻って寝てしまった。

子供のことで、これほど私が悩み苦しんでいるのに、こいつは全く関係ないという顔をする。
夫婦なのだし、ましてや2人の子供の事ではないか!
もっと、他に言う事があるだろう!!

私は、思わず目の前にあった包丁を手にとって、あいつと子供を殺して自分も死のう!と、思った。
枕元まで包丁を持っていったけど、子供の寝顔を見たら、とてもそんな事は出来なかった。

手術後・・・(②)

2006年05月13日 08時28分23秒 | 私の病気・・・
3週間目には個室から相部屋に移った。
付き添いは、時々母が顔を出すだけになった。

さて、だんだん元気になってくると、気になって来るのは自分の体。
ベットで身動き取れない時から、左の目・耳・口の異常は感じている。
顔面左の異常も感じていた。

検診に来る医師も、毎回違う医師が来る。
彼らに聞いても、自分の担当患者でないと、まともに答えてはくれない。
主治医に会えるのは、週に1,2回のみ。
その主治医に聞いても、ハッキリした事は言わない。

仕方ないから、夜、ナースセンターにいた主治医を捕まえて聞いた。
三叉神経・滑車神経・外転神経が切れている事を聞かされる。
「センセーひどいよー。これでもエステシャンなのにー。」笑いながら言う私に、
「仕方なかったんや。申し訳ない。」と医師は頭を下げた。

トイレに行って、あらためて鏡を見る。
眼帯をはずすと、左目の瞳は完全に目頭の部分まで寄っていた。
口を開くと、下顎が大きく左にずれる。
左鼻の奥まで指を突っ込んでも全く痛くない。爪に少し血がついた。
左頬や、少し伸びた坊主頭を叩いたり、抓ったりしてみても何も感じない。
顔に水を当てても、左側は冷たくない。
泣こうと思った。
でも、左の目からは涙が出ない。
それどころか、泣こうとすると、痛みを感じないはずの左頬に激痛が走る。

暫くの間、鏡の前で左頬の痛みが治まるのを待った私は、
鏡で自分の顔を見ながら・・・笑った。

自分でも不思議と落ち着いていた。
神なんて信じていない私だが、さすがにこの時は思った。
障害児を抱えて、この歪んだ顔のままで生きて行けと?
そのうえ、私は泣く事さえも許されないのですか?
神様、私は今までそれほど悪い事をしてきましたか? と・・・。



主人・・・(本性みたり?)

2006年05月12日 08時05分50秒 | 主人・・・
阪神の震災の時、我が家の辺りは震度4程度だった。
揺れると同時に私は子供3人を抱え込んで布団を被った。

揺れが治まってから、すぐ隣の部屋にいるはずの主人の様子を見に行くと・・・。
主人は大きなタンスを押さえていた。

「何してるの?」
「タンスが倒れてきたら危ないやろ!!」

おいおい、フツー、まず私達の元に駆け込んでこないか?
襖1枚挟んでいるだけだぞー。

この時、こいつはもしウチが火事になっても、私達のことは置き去りにして
自分だけさっさと逃げるな!と思った。

これ以後、私は何かあったら、子供を抱えてすぐ逃げる事のできるように、
常に枕元におんぶ紐を置いておく事になる。

この時、一番下の子がまだ生後6ヶ月だった。


手術後・・・(1)

2006年05月12日 08時01分48秒 | 私の病気・・・
術後3,4日間ほどは、あまり記憶が無い。
毎日、頭痛と吐き気に苦しんで眠ってばかりいた。

叔母が祖母の付き添いを変わってくれたので、母と妹が2人で私に付いてくれたのだが、
昼夜関係なく襲う頭痛と吐き気にうめき、暴れる私。
6時間おきしか飲んではいけない鎮痛剤。座薬や安定剤も出ていたようだ。
吐き気はしても、点滴だけだから吐くものもなく、胃液まで吐く。
点滴に、尿道官、背中の腰の辺りにも管がついているから、
2人で、体をさすったり、押さえつけたり、かなり大変だったようだ。

一応、完全看護で付き添いはいらないはずの病院だが、看護師だけでは、絶対ムリだ!
だいいち、あの状態で、ナースコールなんて押してられない!

何人か見舞いに来てくれたが、あまり覚えていない。
せっかく来てくれて申し訳ないのだが、それどころではない状態。
(今後、もし私が誰かのお見舞いに行く時は、術後1週間以後にしよう!と、後で思った。)

術後、7日目に背中の管を抜いた。
8日目には起き上がる許可が出て、食事も取れるようになった。
すると、今度は違った意味での苦痛が始まった。
排便だ。
体はまだ殆んど動けないから、当然、おむつである。
一応看護師も来てくれるが、生理まで来た私は、母や妹に代えて貰う事の方が多かった。
なにより、尿道官をつけて、ベッドに横になったままでは中々出ない!
やってもらっている方が言うのも申し訳ないが、あれはホントに嫌だ!
身内ならなおさら嫌だ。恥ずかしいのと申し訳ないのと・・・。
老人が嫌がる気持ちが、よーーーくわかった。

10日目のMRIの検査。
11日目にやっと尿道官をはずしてもらった時にはホントに胸を撫で下ろした。
車椅子で、トイレに行けるようになる。




主人・・・(子供の責任?)

2006年05月11日 08時33分32秒 | 主人・・・

最初の子がまだ1歳くらいの頃。
私が台所で洗い物をしていると、突然子供の大きな泣き声が。
子供は隣の部屋でTVを見ている主人の横でおもちゃで遊んでいたハズ。
あわてて様子を見に行くと、子供が鋏で手を切って、血だらけになっていた。
幸い大した怪我ではなかったが、もし口の中に入れていたら...と思うとゾッとした。
すぐ隣にいたはずの主人。
「どうしてちゃんと見てなかったの!」
「何で俺が怒られなかんのや!こいつが勝手にやったんやろ!」
「?・・・。」

勝手にって... あんた、まだこの子は1歳だよ。
だいたいこの鋏だってあんたがさっき使って、そのまま出しっぱなしにしてた物でしょう?

親がすぐ傍にいて、こんな小さな子供が怪我をしたら、それは親の責任ではないのか?
あまりの主人の逆切れに、もしかして私の方がおかしいのかしら?と考えたほど。

いやいや、そんなことはない。
翌日、念のためかかりつけの小児科へ子供を連れて行った私は、そこの先生に
「親が傍におって、何をやっとるんや!」
と、こっぴどく叱られた。

今思うと、この時点で、主人の考え方がおかしい事に気付くべきだった・・・。

手術の時に・・・

2006年05月11日 08時24分23秒 | 私の病気・・・
私が入院して、まだ自由に動けた初めの1週間の間に
私は、同じ病院内に入院していた知り合いの病室を訪れていた。
彼女は私達夫婦の仲人をしてくれた人だった。

とても元気のいい、おしゃべりが大好きなおばさんだった。
私より半年ほど早く入院していた彼女は、喉頭がんの手術を受けていた。
手術を受けた時には、もう手遅れの状態だったと聞いている。
話す事が出来なくなり、意識もあるのかないのか殆んど眠っているようで、
たくさんの機械を付け、喉から大きな管を付けられて、見るからに痛々しい姿だった。

私が病室を訪れた時、病室には付き添いは誰もいなかった。
私は、眠っているような彼女に話しかけた。

「おばさん、大変だけど良く頑張ってるね。実はさあ、私も今入院してるんだよ。
脳腫瘍だって。もうすぐ手術するんだ。」

その時だった、しゃべる事もできない彼女の目から涙が零れ落ちた。
意識があるのか、聴こえてるのかもよく分からない状態だった。
でも、確かに彼女は瞑ったままの目で涙を流していた。
私は、あふれてくる涙を止めることが出来なかった。

彼女がなぜ泣いたのかは分からない。
ただ、私は彼女が私の為に泣いてくれていると感じた。
「まだ若いのに、まだ子供も小さいのに、可愛そうに。」という
彼女の声なき声が確かに聞こえたと思った。

その叔母さんが、私の手術の日に亡くなったということを聞かされたのは、
私が手術を終えてから、1ヶ月ほどたってからだった。

主人は、私の意識が戻るのを確認した後、
彼女の葬式に行ったと言っていた・・・。


手術・・・

2006年05月10日 08時38分59秒 | 私の病気・・・
いよいよ入院となった。
はじめの1週間は、殆んど検査だった。MRIを撮ったり、カテーテルをうけたり。

ちなみに、輸血用血液だが、最近は身内の物は出来るだけ使わないのだそうだ。
昔は身内の方がいいと思われていたが、最近の研究では、
身内の血液は濃すぎてあまり良くないという事らしい。
医師は、私の場合殆んど必要ないだろうと言っていた。
ちなみに私は少数派のAB型だが、身内にはAB型がうじゃうじゃいる。
でも、それが使えないとは・・・。少しもったいない気がした。

検査時間以外は殆んど自由だったので、生まれて初めての入院で、元気いっぱいの私は
病院内をうろついたり、知り合いの病室に顔を出したり、毎日読書三昧で過ごした。

手術の前日、病院内の床屋に行って、頭を丸坊主にした。
わざわざ病院内にあるのだから、てっきり入院費に入ってる物と思っていたら、
別料金で、現金が必要だった。
ちょうど、写真が趣味の従兄弟が見舞いに来たので、
こんな機会は滅多に無いから写真を撮ってくれと言ったら、
カメラを持って来てないからムリ。と言われた。
仕方ないから、自分の携帯で自分の顔を何枚か撮った。

当日、ストレッチャーに乗せられて手術室へ。
手術台に乗せ代えられるとすぐ、「ちょっと注射しますねえ。」と言う声と共に腕にチクリ!

私は、「おしっこ漏れちゃう、おしっこ漏れちゃう・・・」という自分の声で目が覚めた。
もう手術は終っていた。
(後日、麻酔は、1・2・3・・・と数えるもんだと思ってた私は、こっちにも覚悟ってモンがあるんだから、
 麻酔するならちゃんと、そう言ってよー!と主治医にぶつぶつ言った。

ここから後は、家族に聞いた話になる。
手術は、最初7、8時間と聞いていたが、9時間に及んだ。
途中何回か医師や看護師の出入りがあったが、何も言わなかった。
手術待合室には、主人と両親と従兄弟と叔父叔母など総勢10人位いたらしい。
子供達は、3人とも家で留守番をしていた。

手術が終了して、主治医が出てきた。
「予想より出血が多かったので、500ほど輸血しましたが、
 腫瘍はすべて取り除く事が出来ました。
 ただ、腫瘍が思っていたより大きかった事と、いくつかの神経を巻き込んでいた為、
 それらの神経を切断せざるをえませんでした。・・・・」
そこから後は、医師が何をしゃべっていたのか、みんな良く覚えていないと言う。

腫瘍は、3~4cm程あったそうだ。

主人・・・(何がいいたい?)

2006年05月10日 08時34分20秒 | 主人・・・
今朝の主人と私の会話。
主・「パンチングボールとダンベル出していいか?。」
私・「なんで?。」
主・「俺、糖尿やでな。もう、手遅れかもしれんけどな。」
私・「糖尿やったら、病院行けば?。」
主・「病院行ったって何もでえへんて。保険も降りへんしな。証書見てみろや。」
私・「病院でちゃんと見てもらえばいいじゃん。」
主・「パンチングとダンベルで予防しとったのに、誰かに片付けられてまったでな。」
何、それ? もう手遅れなほど重症なら病院で何も出ないわけないじゃん。
生命保険? 私が何言っても聞かなくて、あんたが勝手に入った保険でしょ?
私が入らせたみたいな言い方しないでよ!
私が入らせたのは「対応が気に入らん!」って言って、自分で辞めちゃったじゃない。
パンチボールとダンベル? 買ってから1ヵ月位しか使ってなかったじゃない。
結局、埃被って邪魔になったから、押入れに片付けたんでしょうが!
そりゃあんたに黙って片付けちゃったけど、自分だっていつもの場所に置いてない事に
全然気付かなかったじゃない!
それほど、使ってなかったって事でしょう?

まったく、ウダウダ言わずに素直に、
「少し運動したいで、パンチボールとダンベル出すでな。」
と、言えば済む話じゃないのか?

ようは、お前のせいで体調が悪くなったんやで、お前がパンチングボールとダンベル出しておけ!ってこと?
あーーー、腹立つ!
なんでいちいち、こんな嫌味ったらしい言い方をするんだーー!?