続強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

靖国神社の桜

2018-03-16 13:49:30 | 辛い
靖国神社の桜が開花しそうです。
靖国神社には私の長兄が祀られています。陸軍伍長です。
西部ニューギニアサンサポールで戦死しました。
小指ほどの黒い塊がお骨でした。

戦後生きて帰って来た方が、我が家を訪ねてくださって。
食べ物がなくてトカゲやカエル何でも食べたことを話して
くださったそうです。
お芋を植えてもなかなか育たなかったそうです。
兄は工兵だったので、連合軍の鉄条網を爆破するために
突撃しましたが、敵の戦力に負けて戦死したそうです。
相手の豊富な食糧を奪うための攻撃だったそうです。

大きい兄さんと呼んでいた私に、強子が一年生になったら
帰って来るよ、と言って寒い朝早く発って行きました。
私は小さかったので、近所の小母さんと家にいました。

あるとき池部良さんの、 江戸っ子の倅 読んで朝鮮半島を
出発した船団のことを知リました。船団が爆撃されて、
池部さんはハルマヘラでご苦労なさいましたが、
兄は助かったものの、ニューギニアに行かされました。
本を読んで池部さんの船は、天津山丸、兄は亜丁丸だとわかりました。

兄が天津から南方に行くと知らせがあった時、私たちは良いなあ^~
バナナやパパイヤ、パンの木があるそうだ~と喜びました。
兄が行き着いたところは、地獄の島でした。

地獄の日本兵(飯田進氏  日本軍兵士(吉田裕氏) 
ニューギニア戦線の真相  アジア太平洋戦争の真実 

私は魔境に生きた(島田覚夫氏
終戦も知らずニューギニアの山奥で原始生活10年

極限の戦場(久山忍氏
西部ニューギニア戦線、飢餓地獄を彷徨した将兵の証言

江戸っ子の倅7(池部良氏
この5冊でやっと不思議だった兄の戦死の様子が分かりました。
両親が知らなくてよかったと思いました。
まだ生きているのに、蟻や蛆にたかられた若者を思い辛く重い
気持ちになります。
いつも毎朝靖国神社のお札に向かってお祈りしていますが
辛い気持ちがますます募ります。
桜が散るころお参りに行こうと思います。
それにしても無事帰って来た上層部の人間が遺族会の役員をしていた
ことが分かりました。何なんでしょう、

無事帰って来た方々もマラリヤ、重症の水虫、精神的な病に苦しんだそうです。
近所のお茶屋さんのおじさんは戦地から無事帰って来ても、
何もせず家の中でぼんやりしたりにこにこ笑ていました。
何にも知らない私たちは、南洋ボケ、なんて言っていました。
残酷な子供でした。申し訳なかったと思います。