続強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

働き方改革をしました。

2018-06-10 16:30:35 | 懐かしい
今から25年前夫が社長になった時のこと
残業は8時までと宣言しました。
社内では大騒ぎだったと思います。でもまもなく8時には灯りが消えました。
27階建ての社屋、最上階のレストランは灯りが点いていました。
高速道路のそばで目立つビルでした。
夫はさまざまな改革をしました。年俸制、リストラをせず。会社を作って
社員を働かせる、警備会社、花屋、画廊、掃除の会社などを作り雇用を
確保しました。警備会社は本社でも勿論、銀行でも使ってもらいました。

年俸制は、TVでも取り上げられましたが、左翼的な経済評論家に
巧妙に曲げられた解釈をされ、取材された社長本人社員私も
納得いきませんでした。

あるとき夫が銀行に行ったら、警備員が社長!と声をかけてくれたそうです。
社員が警備員の制服を着て頑張っていたのです。夫は胸が熱くなったそうです。
またあるときは、我が家に檜のチップの枕が届きました。
檜のチップを作る会社に派遣されていた社員たちが、枕を送ってくれたのです。
綺麗な袋とカバーに包まれていました。夫は大切に使っていました。
香りがなくなると私が、檜のオイルを少し垂らしました。

社長になって一年で今までの赤字を清算しました。
社員たちが頑張ってってくれたのです。明るく活気にあふれていました。
クリスマスにはビルの灯りを利用して、クリスマスツリーを作りました。

やがて創業者が取りし切ることになり、
6年目にして社長は創業者に戻りました。社長退任の噂が出始めた
ある夜高速道路を走っていたら、もう10時になるのに、灯りが
ついています。夫は何にも言いません、私も勿論です。
世の移り変わりを感じました。  

その後夫は県の教育の仕事や、産業の仕事をさせていただき。
熱心に取り組んでいました。県を愛する人になりました。
高校野球の表彰式にも出て、次は県大会の始球式と言うとき病に
倒れました。
野球少年だった夫はそれが心残りだったと思います。

奇しくも今日は時の記念日です。夫は時計の会社の社長でした。
こんなことブログに書いて、
それはちょっと違うだろーと怒鳴る声が聞こえそうです。
でも私の記憶は間違いないわ。