191108_ドイツが統一されて30年が経過した。ドイツの現状と「ドイツのための選択肢」(AfD)という政党について
2019年11月8日 産経新聞 p.6
1989年11月9日、東ドイツ政府は、東ドイツ国民が西ドイツへ出国することを許可した。そしてその一年後、西ドイツ国と東ドイツ国は統合された。
1989年から30年が経過した。
今、東ドイツはどうなったか。
東ドイツでは、(社会主義国であった東ドイツの)国営企業が民営化する過程で、多くの企業が閉鎖され、失業者が大量に出た。
一例をあげれば、ポーランド国境に近いシュプレンベルク(Spremberg)という町でも、最悪時の失業率は24%だった、という。
東ドイツの住民が「おれたちは、取り残された」と不満を持つ中、2015年、シリア・中近東・アフリカからの難民が、ドイツにも大量に押し寄せた。
その時は、ドイツのメルケル首相は、難民を受け入れた。
メルケル首相の心の中には、過去ヒトラーが行った異民族虐殺という歴史的事実が、トラウマ(こころの傷)として残っていたためだ。
しかし、東ドイツに住む人は、メルケル首相が、ドイツ人である自分たちを顧みず、外国人である難民を優遇することは、受け入れられなかった。
東ドイツでは「ドイツのための選択肢」(AfD)という政党が作られ、この政党は、第一党の「社会民主党」に次ぐ、第二の政党となっている。
2019年11月8日 産経新聞 p.6
1989年11月9日、東ドイツ政府は、東ドイツ国民が西ドイツへ出国することを許可した。そしてその一年後、西ドイツ国と東ドイツ国は統合された。
1989年から30年が経過した。
今、東ドイツはどうなったか。
東ドイツでは、(社会主義国であった東ドイツの)国営企業が民営化する過程で、多くの企業が閉鎖され、失業者が大量に出た。
一例をあげれば、ポーランド国境に近いシュプレンベルク(Spremberg)という町でも、最悪時の失業率は24%だった、という。
東ドイツの住民が「おれたちは、取り残された」と不満を持つ中、2015年、シリア・中近東・アフリカからの難民が、ドイツにも大量に押し寄せた。
その時は、ドイツのメルケル首相は、難民を受け入れた。
メルケル首相の心の中には、過去ヒトラーが行った異民族虐殺という歴史的事実が、トラウマ(こころの傷)として残っていたためだ。
しかし、東ドイツに住む人は、メルケル首相が、ドイツ人である自分たちを顧みず、外国人である難民を優遇することは、受け入れられなかった。
東ドイツでは「ドイツのための選択肢」(AfD)という政党が作られ、この政党は、第一党の「社会民主党」に次ぐ、第二の政党となっている。