それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

翻訳に必要な教養

2019-03-20 22:44:05 | 教育

 毎日新聞が、大阪市地下鉄の公式サイトの外国語ページを閉鎖したと報じている。
 英訳に関する多数のミス(誤訳)が見つかったためと言うが、思わず吹き出してしまうような例が挙げられている
○「堺筋」→Sakai muscle
○「3両目」→eyes3
○「天下茶屋」→World Teahouse
  マイクロソフト社の自動翻訳ソフトを利用し、確認をきちんとしていない結果だというが、どうも、恐ろしいほどのミスである。
 上記の例のうちの二つは固有名詞である。固有名詞は、基本的には、発音どおりにローマ字表記をすればよいのであり、翻訳ソフトを使用すると、AIは、懸命にビッグデータを検索して「筋(すじ)」とは「筋肉」だなどと、涙ぐましい努力をするのである。World Teahouseなどは、なぜこんなたいそうなものが大阪にあるのか意味不明であろう。
 「3両目」は、「3」+「両目」と分解し、「両目」が三つと考えたのであろう。算数のようで、意味不明。
 これらが多数の誤りのうちの一部であるのなら、他にも滑稽なもの、一目で間違いが分かるはずのものが多数存在したはずである。だれかがちらりと見て疑問を感じていたら避けられたのではなかろうか。責任者はマイクロソフトというわけにはいかない.何や自動運転の自動車の事故の責任問題を連想してしまう。
  ここに見られる誤用問題の根底にあるのは、教養の問題というより、常識のレベルの問題であるが、この誤用例はおもしろい。すべての英語表示を見たいと思って、ネット検索をしたが、見つからなかった。読み物としては秀逸だったに違いないのに……。大阪メトロを利用するでろう外国人の楽しみも奪ってしまった。


来日外国人の抱える問題

2019-03-20 10:13:32 | 教育

 毎日新聞の報道によれば、日本に住民登録した、小中学校の就学年齢の児童・生徒の少なくとも2割に当たる葯16,000人が、学校に通っているかどうか未確認であるという。
日本国民でない外国人は、子どもを教育する義務を負わないため、子どもの就学状況が未確認とする自治体が多いのだという。
 大変な数の子どもたちが、学校に行っているかどうか分からないという状況であるということは、学校に行かずに放置されているケースが少なくないということである。親が仕事に行っている間、一人で、あるいは子どもたちだけで時間を過ごすことが少なくないということである。子どもにとって良好な生育環境でないことは明らかである。
 私自身は、小学校の教育研究のアドバイザーとして、外国籍の児童のいる学校、学級での授業参観と分析に参加することが少なくなかったが、そこで見た児童は、懸命に学習に取り組み、発言内容も、なかなか的確であった。校長さんの話では、多くの児童が、親よりも早くマスターした日本語の能力を活かして、役所や学校などとの間のコミュニケーションを助けているのだという。未就学の子どもたちも、学校に行く機会を与えられるなら、活躍の可能性が十分にあり、尊重もされたであろうし、なによりも、望ましい形で、異国の人間、文化に触れ、見聞も広くなり、人間形成上も多くの益があったはずである。
そういう機会もなく、いわば放置されている子どもたちが少なくないとすれば、彼らは、日本という国や日本人を好きになってくれているであろうか。 
 その昔、オーストラリア人の家族と一緒に半年ばかり暮らしたことがある.両親は、二人の小学生を、日本の小学校に通わせることを希望し、知り合いの校長の好意で、その願いがかない、少々遠い学校までバスで通学した。心配したが、真面目に、明るく、通学しているようであったが、学校での様子を訊くと、先生の言っていることは、全然分からないし、先生も、「トイレット」くらいの英語しか分からないということであった。しかし、同級生に疎外されることもなく、異国の体験をしたようであった。成長した今も、日本がきらいではないことを願っているし、信じてもいる。
 
  東京福祉大で多数の留学生が所在不明になっているという。大学は、所在不明学生を「除籍」扱いにし、実質的には、責任を逃れていたようで、実態把握進まなかったという事情もあるようだが、教育機関としては情けない。留学生の側にも、勉学というよりも労働のために来日するケースもあるようだが、少子化で定員割れの大学としては、留学生はありがたい存在であり、できるだけ多くを引き受けたいという事情もあって、こういう事態に陥ったということであろう。インタビューされた元留学生の一人が、授業の内容がつまらなかったと言ったが、それは、学生の責任か、大学の責任か、双方の責任か、よくよく考えてみたい。労働力不足を外国人労働者の招致で解決しようという安易な考えに通じるところがないだろうか。

 これも、私の経験で恐縮だが、かつて、海外の現職教員に、2年間、日本の大学で研修してもらう制度があって、タイと韓国の現職教員を引き受けることがあった。指導教員としてだけでなく、同時に身元引受人にもなるという、いやも応もない仕組みであったが、国立大学の成員としては断りにくい面もあった。しかし、研究費の点でも、勤務条件の点でも何の配慮もなく、これで、研修生が問題でも起こしたら、身元保証人としての責任も生じると半分憤っていたが、「問題が生じたら、最終責任者は文部(当時)大臣です。」という事務担当者の訳の分からない説明があり、その実効性のなさ、無責任さにあきれたことがあった。格好のいいことはしてみるが、地味なことや、責任は回避するという役所や大学のいつもの姿勢であることを実感した。大学も、小、中、高校と同様にブラックな職場であり、苦労したあげくに感謝もしない研修生を送り返すことになったとしたら、一体、何のための国際貢献ななのどであろうか。しっかりしたバックアップ態勢模様いせず、表面だけを繕うと、結局は感謝されることの少ない行為に終わる。

 未就学の外国籍児童、生徒の問題に戻ろう。保護者が日本で住民登録をしている場合、その子弟で義務教育段階にある者の扱いは、日本人の児童、生徒に準じるという程度の対応をしたい。前期の小学校の校長さんの話では、日本人の場合は無償配布である教科書は、外国籍の子どもの場合は、別途、届け出をして入手するのだという。特例扱いである。校長さんは、少しも面倒がる様子はなかったことは大きな救いであった。税金でまかなっている検定教科書であるから、外国籍の子どもには……という考えもあろうが、外国人の場合も保護者のほとんどは、納税者である。なにより、多くの外国籍の子どもたちが日本で配慮の足りない扱いを受け、成長後に日本に好感を持てない大人になることを危惧している。

 受け入れ体制の整備は、大前提である。行方不明になった研修生(外国人労働者)の場合、低賃金のために来日に際して作った借金の返済不能のための行動という面もあるようだが、悪質な口入れ屋、ブローカーがなぜ存在するのか、なぜ、日本が公的な窓口を用意しないのか、狡猾な職員・役人が出現しないという保障はないが、状況は、ずいぶん改善するはずであろうし、わが国に対する信用度も高まるであろう。
 


「僕的には……」

2019-03-17 22:26:58 | 教育

 奇妙な日本語を耳にすることが多い。
 「僕的には、難易度が高いかなあとは思います。」
 これでコミュニケーションができているところが怖い。
 「僕的には」=「僕には、ぼくとしては」
 「難易度」=「難度」
 「かなあ」=「不要」
 「とは」=「と」(「は」は不要)
 これを見ると、無駄が多い。こういう日本語を用いていると、日本語のよさを失うばかりか、ものの見方・考え方、感じ方にもよからぬ影響が出てくるのではないかと心配である。上記の例を、少しばかり掘りさげてみよう。
1 ○○的……初めて耳にしたときには、違和感とともに新鮮さもあったが、聞き慣れると、ただただ耳障り。省エネのためにも、「的」は、削除しよう。
2 「難易度」とは、「難度」か「易度」か。「易度」という言葉は、手元の中型国語辞典にも掲載がない。なぜ「難度」と言い切らないのか。ちなみに、和英辞典で「難易度」に対応する英語を探すと、difficultyが見つかる。まさしく「難度」である。「難易度が高い」では、意味不明である。
3 「かなあ」は、若者の間では、日常的に使用されている。自分の考え方、感じ方を表明するのに、断定せずに、「かなあ」とは何事かと思うのだが、婉曲に(遠回しに)表明するというエチケットなのであろうか。無用のことであるあ。
4 「とは思う」は、スポーツ選手などへのインタビューの折に必ず耳にする。スポーツマンらしく「と思う」と言い切って欲しいと願って、頭の中で、「は」を消去している。
 「あえて言うなら(特に言うほどのことではないが)」というニュアンスがあって、歯切れ(思い切り)が悪いのである。
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 上記の例文を、「私的に」言い換えれば、以下のようになろう。
 「私には難しいと思います。」
 (「とても」「かなり」を「難しいの前に置くこともあろうが)
 なんとすっきり分かりやすいことか。

  他にも、「見れる」などの、「ら抜き」の表現に出会うことが多い。これも若者に多い。言語は、省エネの方向に変化するとも言われるが、上記の事例のように、省エネとは逆の方向に進むこともある。
 おもしろいことに、「ら抜き」表現は、テロップ、スーパー・インポーズを伴う場合、ほとんどが「ら抜き」を修正しているのがおもしろい.世代間のせめぎ合いか。


大学不正入学

2019-03-15 11:22:49 | 教育

 このところ日本でも、大学入試にからむ不正が問題になっているが、アメリカでも50人の人間が、名門大学裏口入学にからむ詐欺行為関与の容疑で訴追された。
 入学試験は、受験生の保護者や、関係者の資産の多寡、社会的地位、民族、地域性、性別等による差別を受けない、公平な制度であって欲しい。
 ところが、どういうわけか、金持ちは、お金さえあれば世の中の問題は何とかなるものだと割り切ってしまい、権威や社会的地位のあるものは、自らの言動に必要以上の権威があると信じ込んでいるようだ。
 ことは、教育に関する問題である。世の中のいろいろな事象のうちには、「理想はともかく現実は……」という考えのできるものもあろうが、教育や学校に関することでは、「理想」で、すべてを判断するようでなくてはならない。「現実はともかく、理想的なのは……」という発想に立つ、いわば人間社会の「聖域」であって欲しい。かつて、教員採用試験に贈収賄があって問題化したが、不正採用の教員がいる学校など、言語道断である。
 いろいろな差別のある社会である。しかし、個人として努力して勉学に励むなら、望みの大学に進学が可能となる入学試験というフェアな制度がある、というのはある種の救いである。不正入試は、首尾よく入学した個人の問題だけでなく、公正さを欠く手段のために本来入学できたはずの受験生の入学の機会を奪い去ることになっているのである。

 表目には浮上しにくいが、多くの私大による寄付金制度にも問題がある。わが子の事例で実感したが、年に一度は「寄付のお願い」文書が届いていた。内容はびっくりするほど高額の寄付金で、しかも二口以上をお願いしたいとある。仮に、入学後に多額の寄付金を約束して合格させてもらえば、不正は目立ちにくい。私学助成金という公費による援助を受けながら、臆面もなく寄付金をねだる下品な大学は、助成金カットないしは認可取り消しにすべきである。少子化の今日、いずれ消え去るであろうが。たいていの私学には、創設者の建学の理念が、堂々と掲げられており、目にするのも恥ずかしい思いをするが、建学後のだらしなさを思うと、高貴な香りがすることもある。寄付金なしには経営不能な大学を創りはしなかったろうし、少なくとも多額の私財を投じる行為だったはずだからである。
 不正入学の背後には、大学側に協力者がいたはずである.組織的でないことを祈るが、
法人化後の国立大学でさえ、経営戦略会議なるいかがわしいものが存在する時代である。大学も経営の観点が必要であることは否定しないが、それを旗印にするようでは、利潤を最優先する企業と同じで、とうてい、教育機関とは思えない。産学協同や軍学協同を否定する時代に学生であったことを懐かしく回想している。


『カメラを止めるな!』考

2019-03-11 22:04:14 | 教育

 話題の映画『カメラを止めるな!』をテレビで観た。前評判に惹かれてのことであったが、簡単に感想を書いておきたい。
 期待が大きかった分、厳しい評価をすることになったが、ご容赦あれ。
 ○テーマ:特に明確なテーマはない。問題提起も曖昧。評価は、<△>
  ○作品構造(構成):完成作品と制作の裏話という構成のドタバタ劇 評価<△>
  ○役者の演技:素人臭いが、まあまあ頑張っている.連続ドラマのレギュラーにも、観ていて恥ずかしくなるレベルの本職俳優がいるので、相対的に、「頑張っている」と思ったのかもしれない。メイク等はおざなり。低制作費相当。評価<△>
  ○営業手法:制作費300万円、著作権問題という特徴と問題は、結果として極めて効果的な宣伝になっている。結果として高額の興業収入があったことは、大成功。この点の評価は、<◎>  (作品そのものよりも考えさせる力があった。)

 付記:副音声にも工夫があったようで、手法としては現代的でおもしろいが、利用しなかった。