大政・小政の気ままな日誌

キャンピングカー(小政号)の出番が減って覚書のブログになっています。ボケ防止の為に毎日継続することを目標にしています。

長崎ほ今日も雨だった

2016年06月29日 | 政&トミぶらり旅
昨夜は早寝したので、夜が明けぬ間に目が覚めた。川の字で寝ているので、起き出すわけにも行かずに•••朝風呂も開いていない。

やっと夜が白み始めた頃、そおっとカーテンの隙間から街を覗くと、霧もなく稲佐山もクッキリと見えた。

朝の日課になったブログをアップして、朝ぶろ一番乗りで・・・・部屋に戻ると、親子でグッスリと就寝中

朝食は景色が綺麗なレストランで、バイキング・・・・この頃には既に街がガスって来て、小雨が降りだした。

雨は強くなって、観光どころではないだろうが、折角長崎くんだりまで来たのだからと・・・出島へ



出島は鎖国の始まった1600年代に、幕府の肝いりで長崎商人に作らせた扇型の小島、ここにオランダ人を集め居留させて

日本で唯一の貿易地とした。なんでも年間の家賃が、現代の時価にすると1億円になるとか・・・・

それでもこのような優雅な食事が出来て、明治維新まで続いたのだから、美味しい仕事であったのだろう。



住居と蔵が並ぶ出島が、今も再現されている。



きゃびたん橋「きゃぴたん」とは商館長のカピタンのこと



葡萄棚は可愛いブドウの房が実り始めている。



出島の歴史や出来事を説明してくれる、テレビがじっくり見ながら雨の止むのを待ちながら、のんびりと時間を過ごした。



雨も止んだが、昼には少し早いが・・・今回の旅行の目的地であった中華街へ



中国人の住居は丘陵地の唐人屋敷に限定されたが、大火で中国船の荷蔵が焼失したため、唐人屋敷前面の海を埋め立てて倉庫区域を造成した。
まんゆうき
これが幕末の鎖国政策の放棄により、唐人屋敷は廃墟となり、在住中国人は海岸に近い新地に移り住むようになった。

これが長崎新地中華街の起源・・・横浜中華街と比べると規模は小さいが日本三大中華街の一つ





お腹も空かないが、記念にと・・・・軽く



お腹を膨らませて、駐車場へ移動する頃に・・・晴れ間が広がって、稲佐山がクッキリと



出島の前に流れる川の護岸工事・・・これも当時の再現をしているとか、石一つも当時の再現するとか、さぞ大変な工事だろう。



雨はこれからも止まないだろうし、お土産も沢山買い込んでいるようだし、早めに帰宅することにしました。

それでも高速のサービスエリヤで休憩するたびに、お土産が増えていきます。

観光こそ十分出来ませんでしたが、買い物と食は堪能した旅行のようでした。

母娘買い物&食べ歩き漫遊記でした!

運転手の旦那記!