千早赤阪村は金剛山の西山麓に位置する長閑な山村である。主なスペックをあげてみると、人口は5000人程度、面積は37平方キロ、主産業は農林業、主な産物は米、学校施設は義務教育まで、医療施設は個人診療所、スーパーやコンビニは見当たらず・・・・・・・といった案配だろうか。特徴として「楠木正成」の生誕地として知られ、太平記の舞台とも成った地域である。大阪で唯一の村としても有名だろうか。こうした村内で、行政の司令塔として存在するのが村庁舎である。失礼な表現だが、従来は2階建ての一寸貧相な施設だった。紆余曲折あった模様だが、とうとう現在地での建て替えという案で固まったようだ。
工事が始まってかなり時間が経過し、大凡の外観が露出してきた。こぢんまりとはしているが結構瀟洒な外観である。何よりも分相応といった作りが好ましい。ややもすると豪勢な建築を競う風潮が無きにしも非ずだが、庁舎としての機能が出来ていれば十分かと思える。個人的には高く評価している。
村は面積は広いが大半が山林で残りを棚田が占めている。住宅地は僅かで大きな団地等はほぼ見られ無い。昔風に表現すると、禄高1万石で約1万人の人口扶養だから逆算すると5千石の禄高ということになるだろうか。大名とは言い難く大身の旗本・・・・といった状況かな。確かに当地には独立した藩の存在は無かったようだ。まあ外観評価はともかく、住めば都、とは適切な表現かと思う。長閑な山村は人を癒やしてくれる。スピードの速いストレス社会で適応障害を起こすような人々には最適な環境なのかも知れない。新しい庁舎で住民登録を為さるのも検討の余地ありかと。
斯くして村行政の司令塔は着々と進行中の模様だ。真新しい庁舎が機能し出すのは新年度だろうか。若き行政マンやウーマンも多いようだ。新庁舎で心地よく働き、能力を発揮してもらえたらと期待を込めている。さあて、我々は農作業に勤しみますか。
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