岡山後楽園 幻想庭園
離れて想うふるさとのことー 歳のせいか?夕張に次ぐ赤字財政の岡山県、度々訪れて楽しんだチボリ公園撤退、旭川での花火4000発と減少…寂しい、ネット画面に 憂いる。其の中 後楽園での幻想庭園には是非行きたいと楽しみに帰った。 4日間の帰岡 『晴れの国 岡山』は連日,連夜エアコン浸り。 日が落ちて夕暮れの後楽園 『日本三名園』夏特別 幻想庭園に行った。園内は魅力的な照明で作られ至る所惹きつけられる。闇夜を照らす半月と岡山城の天守閣がこれもライトアップされていて一際素晴らしい。大勢の人がそぞろ歩いている。竹林を大きく揺らす風、樹木が風にそよぎ、庭園内は、別天地の涼しさです。 旭川からの自然の川風が心地よい。終園まで歩いた。デジカメに、この感動の夜景がきれいに写せない。庭園内を歩いて身体、5感で感じてこそ味わえる、この素晴らしいひとときでした。この暑い夏の日の思い出にと、それでも,シャッターを 押しました。
誕生寺
法然上人(浄土宗開祖)生誕の地 この地、誕生寺村が故里 此処で小学校の同窓会が行われた。地元の2名の方が頑張って企画して下さり56名中22名が集った。懐かしの小学校の運動場、公民館で小学校時代に戻り何時までも話は尽きなかった。その中、何かにつけて、お寺と関わる小学校時代、お会式の日 学校も休日でお寺で歌う。其の歌の意味も解らないままに…練習した音楽室など…又、戦後間もない時代で一時的に疎開して来られ何時の間にかいなくなった友どうしているのでしょう。
そんな時代でも野山を走り歩き懐かしい。出席できて感謝です。欠席者34名は…
お寺の門 後ろが門前まち通り
本殿
逆木銀杏 法然上人(幼名勢至丸)が修業地、菩提寺から杖に持ち帰り挿して根付き芽吹いた逆木銀杏は樹齢800年たくさんの実が今年もついていた。銀杏羊羹が銘菓です。
1147年(久安3年)比叡山へ修行に出る勢至丸、1人息子と再び別れを悲しむ母は、翌年には、亡くなった。この6年前に1141年に父 漆間時国の人望を嫉まれ突然に夜襲を受けた。9歳の勢至丸に 父は、臨終の場で 『仇を討つのでなく仏道を歩み、安らぎの世を求めよ』と勢至丸に遺言を残して43歳の人生を終えた。
片目川 勢至丸が射った小弓は、敵大将 定明の右目に命中して敵は退散した。定明が傷ついた目を洗い血を流したこの川には、片目潰れた魚が住むようになった。宝物館に実物があります。
大仏さま 子供の頃から大きな大仏さまを仰ぎ手を合わせた。お寺の奥に今は、心 洗われ、癒される。子供の頃は悪い事をするとみんな解るのだと…こわいなどと~
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