・・・ね~ね~、このお花はなんて言うの?
・・・あっ! お水が湧いてる! 触っていい?
初めて山を歩く小さな子は、そうやってくたびれた身体を休ませたい会話を始める。
・・・いいよ、ゆっくりしようか、疲れただろう?
そう答えてやると、首を横に振りはするが、嬉しそうに笑う。
子供なりのプライドがある、そうしてそれは山歩きには必要なものだと言っても良い。
煽ったり、急かしたり、答えを早く求めたりはしない、子育てそのものだと言っても良い。
その子のペースに合わせてあげるのは、大人の務めでもある。
そうやって小さな子たちと謎々の心の会話を楽しむのも、山歩きの愉しみではある。
・・・このオジサン、笑ってるけど解ってくれてる・・・そういうウインクひとつ、返してあげれば良い。
だんだん汗だくになって、泥んこになって、ぜ~ぜ~言って、山の頂まで行くのさ。
この頃は、俺の方が先にぜ~ぜ~言い始めてる。
・・・オジサン、だいじょうぶ?
・・・歳をとったベテランはな、ここからが平気なんだよ、ぜ~ぜ~から長く歩く、お前さんたちはぜ~ぜ~で止めてしまおうとする、その違いだな、生きて行くこともそういうことだ
他人や社会の本当の意味での弱者・無視されてる人たちに手を貸すということは、自分のことだけで他は知らん顔で生きてる人たちよりも、理不尽で不条理なことにも遭うことは多くなる、これは覚悟してなければならない。
世の中社会という、独り立ち出来ないあやふやな集団の都合とは相容れない行動と看做され、敵視されることも増えるというわけだ。
・・・そんな奴らは切り捨てておけ! 手を貸す以上はお前も切り捨てる!
これが善良なる庶民というものの実態で、国家の言うがまんまの奴隷社会の掟でもある。
60年、そんなことで生きて居ると、随分と優等生・模範国民と言われてる連中との摩擦は大きかった。
若い頃はカッカして感情的になることも多かったし、自惚れにも似た自負の空回りもあったが、30過ぎた頃からマイペース、そういうこともひっくるめて俺の出来ることを続けている。
まわりには一緒になって戦う!! という優しい連中もいつも多いが・・・やめとけ、それじゃ~相手とおなじこと、善意や正義感だけで出来ることでもないんだぜ、俺ひとりで充分だ・・・と、笑っている。
キレイゴトばかりの大人社会に背を向けた人たちや若者等は国家の統計にすら入らない異邦人扱いになってる。
ただね、楽しい連中はそういう奴らの方が多いのも確かだ。
まだ20も半ばのお兄ちゃんが、昨日の日曜日に突然にやって来てた。
近所のマンションをご紹介してあげて以来、なんだかんだ順調で、このたび結婚することになり、引っ越すというご報告だったが、手土産まで持って丁寧に感謝してますとの挨拶には、嬉しかったな。
退去後の掃除から戻って、福岡から家を見に来られるお客さんを待っている間、ぼ~っとしてた時だったから、余計に驚きもあった。
むかしは家族付き合いになってたり、家を借りてもやってきては、人生相談も多かった。
若いのに珍しい子だったな。
こういう子には、幸せになってもらいたいと願う気持ちも湧いてくる。
そうやって世の中社会は生きて行くもんだ。