オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

なんだかんだで、みんな阿呆やな

2020-03-25 10:49:26 | 国際政治

 

 2~3ヶ月の消費ストップと、半年くらいの風評攻撃があれば、世界の経済はガタガタになる、大企業を潰すにはその程度でも充分じゃ~ないのか? 10年以上も前のファンドバブルの頃からある笑い話だ。

 そのくらいに情報に頼って生産者も消費者も集ってお祭り騒ぎをする時代。

 メディアが勘違いして力を持ったような錯覚に陥っても、しょせんチンドン屋はチンドン屋だ。

 間抜けは本業に生き甲斐を持ってない成金ばかりだから、副業・手を拡げて自分で被害を大きくして行くものだ。

 子供らや若者たちには、この狂い果てた哀れな大人社会をよ~く観察していなさい・・・笑って教えてやってる。

 

 世界の株式市場が新型肺炎コロナごときで激しい上下動を繰り返し、WHOの過剰な反応に呼応するかのような世界の大混乱が続いているが、これを主導しているのは他でもない、AIロボットだ。

 人間が理解不能になって固まってしまうような、激しい動きに終始している。

 人工ウイルスに人工知能、これらが暴走を始めているということでもある。

 笑えもしない、呆れる人類の大騒ぎ。

 冬が終わり、いつもの春が来ているというのに、季節感すらなくなってる世の中社会がある。

 

 東京オリンピック延期は、中止の先延ばしでしかなく、じきに中止と言うんじゃ~ないのか?

 面白いもので、5月の末から6月くらいには、この愚かな新型肺炎コロナの感染騒動は、終息したりして、困ったもんだね~。

 問題はコロナではなくって、高齢化社会と、医療崩壊と、情報錯綜の方だろう。

 第3次世界大戦の開戦はウイルスによって為されたが、次の趣向は? どんなおかしな原因で世界の金融経済の足を引っ張るのだろうか?

 サバクトビバッタか??

 ウイルスは終息しても、この金融経済破壊のダメージは、すでにあちこちに出て来ている。

 実態経済と、仮想の市場、この乖離は、昨夜のロンドン・ニューヨークの金(ゴールド)価額の乖離にも似ている。

 

 さて、年中あちこちの山に登る者ならばみな知ってることだが、昨年後半の2度の大型台風の影響で、人気の無い登山口への林道が崩れてたり、通行止めになっていたり、迂回路も崩れていたり、山の中に入って行くとそんな状況に出食わして、エライ目に遭うことが続いている。

 まだまだナニも解決なんざしておらん。

 東北大震災の爪痕も、まだまだ残って手付かずの場所だってあちこちにある。

 後回しが、そのうち忘れられた場所になり、そうしてそれが普通になる。

 仕方がないから適当な場所に車を停めて、そこから獣道を伝って尾根道まで登りスタート、そんなこともある。

 ただ、そんな状態のまんまの方が身勝手な人間が入らないので、俺は好きな感じではある。

 獣たちも、そう想ってる。

 日本列島をアイロンで潰せば、真上からみた国土は何十倍にも広がってゆく。

 国土のほとんどが山と谷でギザギザに盛り上がっている。

 だから夏だけは海で遠泳しているが、あとの季節はまたそのギザギザを歩き回って遊んでる。

 そういう奥山の頂は、訪れる人もいなくなり、可愛いタヌキが景色を眺めておったりする。

 トコトコ大汗かいて歩いて山頂まで登り、ゆっくり静かに煙草を吸っておると、俺の歩いた道を、臭いを嗅ぎながら登って来るキツネがおったり、愉しいことは多くなる。

 俺は人間よりも、山で獣の姿を見てる方が、この頃はホッとする。

 嬉しくなる。

 どんどん人間の世界から、心は離れて行ってるようでもある。

 

 そんなことを想っていても・・・

 銀座で半世紀以上もレストランをやってるオーナーシェフからの依頼があれば、東北の田舎から新卒採用でやってくる若者と一緒に、江戸川区に5万円の借家を案内・契約に出掛けたり、大田区では数億円のマンション用地の取り纏めに出掛けていたり、コロナ騒動で仕事がストップしてしまい、家賃が払えなくなった零細企業の話し合いをしてたり、相変わらずに忙しいまんまで、移動する車や電車の中から空をいつも眺めているが、あ~、いい加減に金儲けも飽きたぜよ!と、雲を追いながら溜息も出るが、養ってる連中が大勢おって、已むに已まれぬ我が身に苛立ち、ひとり瞼を濡らす日も・・・そんな日は、神には有るはずもない。

 

 さ、今日も元気に俺の仕事を作ってこなして解決してゆくだけだ。

 定時に出社、与えられた仕事をこなし、定時に退社な~んて、俺には死んでも出来ない退屈な日々。

 餌をもらって生きてるペットか? 

 10代の頃、苦笑いして胡散臭く想っておった大人社会が、今でもそのまんま目の前に、在る。