オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

昭和の習慣や価値観は、ゴミ箱へ

2022-09-07 10:37:55 | 地球と生きる

 

 ダラダラ長かった昭和の時代の、敗戦後の復興という価値観では、既に存在する概念やシステムを弄ることはなく、ただその中で極める・熟達する、これが優秀なことだとワンパターンな時間が延々と続いて来た。

 平和とは程遠い、集団洗脳・集団拘束社会が分厚い層を作り、偏差値教育や暗記教育がそれを助長して来た。

 新しい価値観、新しい生き方、新しい日常習慣、こういったものは、すべて封印されていたからこそ、息苦しい社会はどんどん酷くなって来た。

 親の言うとおりに生きて居れば良い子で、先生や学校の言うとおりに勉強をしておれば優秀で、目隠しして国を信じておれば、明るく楽しい道が用意されている、そんな迷信がいつのまにか社会を染め抜いてしまっていた。

 人間とは、おなじ人間は二人といない。

 個々人には、それぞれの性癖や性格、体質や機能・能力という差異があるのが自然なことだが、その優劣を競うようになっている仕組みの元は、長く続いた昭和の残骸、これは素晴らしい、これは劣悪だ、そんな日常の洗脳された価値観が元になっているだけだ。

 俺が10代の頃は、そんな昭和の絶頂期でもあったろう。

 共通の価値を叩き込まれた国民大多数が、一つしかないルールの下で、競い合う社会になっていた。

 その時から、俺はそのルールを疑い、自分自身で、社会や他人と上手く関わり合いながら、自分にあったルールを作って、愉しく生きて行こうと群れには背を向けた。

 それから半世紀、そのまんま生きて来た。

 

 老いてくると、生命に関わる話が多くなってくる。

 医療や薬、病院に葬儀場、葬式の形態に墓地の管理やナニやらと、そんな話ばかりが多くなってる。

 家族や子供たちは、その残される遺産や財産の方に目が集中し、税金対策やナニやらで、人間同士の密な関わり合いなど二の次となっている。

 これが綺麗ごとばかりだった昭和の、本当の姿だろう。

 そこから落ちこぼれた人たちは、宗教に走ったり、引き籠ったり、犯罪に走ったり、イロイロだが、決して楽しく生きることなど出来ない社会となってしまってる。

 俺もガキの頃から集団から外れて生きてきたが、自分のことだけではなく、社会や他人と上手く関わり合いを持ち、自分の生き易い場所を作り、資本主義社会の中で自分の立ち位置を作ることに専念して来た。

 今いる環境・境遇の中で、それをやる。

 他人や社会と競うことはしなかった。

 俺は俺。

 

 浮浪の民のように、生まれてから半世紀以上も各地を転々として生きて来て、おかげで土着信仰だとか宗教の影響を受けることがまるでなくて、あるとすれば真夜中に極寒の雪山に登って、山頂で味合う日の出の太陽の暖かさに思わず手を合わせてしまうことくらい、だから俺にとっては大自然への感謝くらいしか、宗教心は無い。

 退屈で下らない家を離れたのも早く、親や爺婆の影響もすべて一度粉々にして育ち、神や仏への思いも、ほとんどナニも無いと言って良い。

 先祖やあの世や、霊魂や幽霊というものもすべてが解決済みで、真夜中に人のいない奥山を登り始めることばかりやっていると、注意を払うものは生きているものだけになっている。

 自分が神になって動くほかに、ナニも起こらないし、ナニも始まらない。

 神頼みや仏頼みなど信用しておらず、頼んで上手く行けば次にお礼や寄付と続く終らない営業には、苦笑しかない。

 島国土着の民ならば、延々とそんな祭りを続けているんだろうが、島国を浮浪している俺なんざ、生きているものだけをジッと見つめて過ごしてきた。

 受け身の生き方が出来なくなってる所以ではある。

 このコンピューター全盛の時代に、お化けや幽霊を怖がっているほうが、どうかしているぜよ。

 結婚式や葬式という風習を無意味に、頑なに守り生きている大人社会は、笑える喜劇。

 どんなに金儲けをしても、どんなに財産資産を手にしても、3代も持たない意味は、生きてる価値観にある。

 コロナ教の布教が世界でも一番に上手く行ってるのが、マスク原住民の日本だろう。

 そうして裕福な余裕のある家に育ち、高学歴の人たちのほうが、コロッと洗脳されている。

 義務教育と日常生活での洗脳が、価値観・感情・思考の基礎にキチンと寝そべっている。

 俺は小学校だけでも6回転校しているから、義務教育をキチンと受けれなかった。

 おかげで日本国家の延々と続く国民洗脳からは外れたところで、半世紀を過ごして来た。

 ずっと疑問ばかり、可笑しいことばかりなのは、仕方が無いことだろう。

 

 昨日は婆様の三姉妹の二番目の妹の葬儀に付き合って、横浜まで下の妹の婆さんも乗せて行って来たが、昭和の葬式に出席し、焼香だってみなキチンとロボットのように三度やってる中で、俺は一度の念だけ、こういう生き方をして来た者らしく、心を込めて・・・お疲れさん・・・だった。

 下らないね~、だらだら生臭お経に、棒読みの挨拶、式場の差配に言うがまんま。

 これが昭和の作り上げた礎だとしたら、砂上の楼閣にしても脆すぎる。

 そんな風習や習慣なんて、下らね~価値など無いもんだ。

 心のない、人と人の温もりのない関わり合いなんて、要らね~よ。

 ガキの頃と、俺はなんにも変わってない。

 

 さ、今日も在宅医療の打ち合わせや介護認定の見直し、緊急時の病院の選択に、運動がてらの買い物散歩に付き合ってやりながら、仕事でもあちこちを走り回って赤鬼になるさ。

 髪もボサボサだから、散髪にも行かねば。

 



最新の画像もっと見る