オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

富士山を真っ赤な血の色に染める

2024-03-15 10:57:07 | 地球と生きる

 

 

 治験をたくさん積み重ねてきたインフルエンザワクチンですら、それを研究・開発している連中や利益を上げる株主・経営陣の顔すら知らない製薬会社や、どこの馬の骨やも知れない学者や専門家や、胡散臭い公務員らに政治家らがもっともらしく主張を繰り広げているのはもっと怪しいメディアが媒体、素直に聞いて信じてしまい、命に関わる話なのに、従順に体内にそれを受け入れている者がこの国では多すぎる。

 大切な子や孫にすらそれを強制して、心中を無理強いしている大人社会が日本には目の前にあるが、コロナワクチンではそのド阿呆さが世界でも飛び抜けてしまった。

 洗脳されやすい単細胞猿が住む島国、メディアの報道一つで群れをなして断崖絶壁からでも飛び降りてゆく民族、大平洋戦争の末期には日本人が心の拠り所にしている富士山を、真っ赤な血の色に染めてやれば間抜けな戦意を喪失するだろうという、漫画のような作戦までアメリカ軍は持っていた。

 昔から、この国はそんな猿が住む国だと世界からは笑われているさ。

 いままさに島国にやってきている外国人観光客らは、そんな足元を見透かして笑って話し掛けてくるが、毅然と笑い返してる日本人がどのくらいいるのかどうか?

 善良なる庶民の皆様方が、猿の自惚れと自画自賛だけで作り上げて来た国家の実情だ。

 

 とっとと死んでいなくなってしまえや・・・ニコニコ笑ってはいても、大人社会からの退屈な能書きを聞いている孫や子供や若者たちの本音は、そんなとこだ。

 ナニが楽しくて生きているのかがまったく見えないメディア洗脳に踊るだけの大人社会は、俺がガキの頃に想っていた愛想が尽きるという思いからナニも変わってはいない。

 そこで惨めな人間同士の争いに終始して、見栄やプライドという養豚場のブランドを競っているだけ。

 日本人とは、かくも哀れで悲しい民族となり、憐れみの中でのたうち回る。

 新型コロナワクチンの弊害は広範囲に及び、これから老いて行く身には多岐に渡って難病・奇病を引き起こして行くだろうが、それもまた原爆とおなじで生身の人体実験をされているということさ。

 形だけは近代化した国家で、猿のまんまの国民を使って、人体実験は始まってる。

 島国という立地と、自然災害の多い国家を使って、やりたい放題になっている。

 

 それが簡単に遂行できる原因の一つが、現役を引退した連中が形を変えて生き残るとか、単なるOBでも支援金を集め合ったり会合を開いたり、協会やメディアの解説やらで小遣い稼ぎをしていたり、こういう島国日本の村社会にあるのは昔からだ。

 俺なんざ、銀座の街で自営を始めて30年になるが、町会やナニやらへの寄付はしているが、別に参加する訳でもなく、酒を飲み合う訳でもなく、メンドウな村社会の関わり合いには最初から背を向けている。

 祭りにしたって同じことで、参加している古株らとの個別の関わり合いはあっても、別にそこで一緒に大騒動をする気はなくって、仕事を離れたら俺自身の愉しみにすべてを注ぎ込んで、村社会には姿は無い。

 大学の同窓会・青年会議所やライオンズクラブ的な村社会の飲酒会合は、昔からこの国の国民を互いに監視し合う為の別部隊として作って盛んにやっているが、国家としての行く末を考える機会を与えない、酒池肉林で終始してしまってる。

 政治でも経済でも、そんな根の上で続けているからこそインチキばかりになり、国家としての力は衰退一途、情けの無い奴隷植民地のまんまで令和も進んでいる。

 

 春闘だとか、ベースアップだとか、勝ち取っただとか、満額回答だとか、餌を貰う連中を無意味に錯覚させてその気にさせるフレーズがメディアでは溢れかえっているが、お笑いか? と、自営の俺なんかは興味もない。

 良かったね、としか答えがないし、その本当の意味などそんなに遠くない日に解るだろうから、せいぜいメディアに乗せられて楽しくやっておればエエんとちゃうか?

 たとえば物価がもっと上がらざるを得ないとなれば、先に消費者を黙らせる為に大企業や公務員の給料だけを体裁だけ少し上げて置く。

 不動産の世界では、バブルとなって地価が暴騰している時に、国は住宅ローン減税や費用の支援などの優遇策をイロイロと小出しにするが、これなんかも地価が充分に下がってから不動産を購入した方が遥かにお得だと、昔から相場は決まっている。

 メディアを使って国民の生活が良くなる!! という時は、すぐにもっと悪くなるという喜劇が用意されているのさ。

 いまや新聞やテレビは犯罪者集団と、可愛く騙されて応援している消費者と、利益を配分されている取り巻きしか見てないだろうし、ネットメディアだって地域の詐欺師が集うヤラセとサクラの瓦版になっている。

 毎日の現場でのたくさんの関わり合いの方が、遥かに中身が濃いし実体がある。

 今の俺なんざ、日々の消費なんてほとんどなくなっておって、随分と皆さんとは消費の額がかけ離れてしまってるだろうくらいに、金がかからない生活が出来上がっている。

 消費といえば毎週毎週のガソリン代と高速代くらいが主になっているが、これも3年前に燃費の良いメンテナンスも楽なガソリンの小型車に代え、高速代は障害者割引で半額、笑っている。

 別に無意味な消費などせずとも、悠々と自由自在に自分を謳歌出来る日常を作り上げてあるし、多くの関り合いと積み重ねた経験が多彩な彩りを演出してくれている。

 生きてるすべての価値観の違い、そういうことだろう。

 

 余暇は与えられるものでなく、自分で作り、自分の想像力で常に愉しむもので、仕事ではない余暇という意味を、もう一度考えてみることだ。

 メディアに教えられて、道具を揃えて、ルールや規則を学び、練習に励み、みんなでワイワイやってるのは、これも養豚場の豚とおなじ閉じ込められた空間遊びでしかない。

 増してやそこで競い争って勝ち負けを賭けるなんざ、最低な余暇だろう。

 余暇とは仕事ではない自分の時間の過ごし方、俺はガキの時分から道具やルールすら自分で考えて、誰もやらない地球遊びを続けている。

 登山や遠泳だって実際は山遊び海遊びという感じで、使っている道具は自作のモノや他の流用品が多くって、金のかからない愉しみを自由自在に謳歌しておる。

 ルールや規則は地球の原則に添ってるだけ。

 遊びや余暇の使い方までキッチリ管理され、選択肢を与えられてウキウキ選んでいるお猿さんたちは、哀れなもんだ。

 

 オランダから世界覇権を手に入れた英国は、船に乗って武力で地球上の海を制覇して、あちこちの未開の地を奴隷植民地として手中に収めたことになっているが、実際のところは先ずは残酷至極な殺戮を見せ、呆然自失となったところで麻薬と酒と宗教とセックスという娯楽・悦楽によってそれを成し得て、あとは教育という集団洗脳と情報の管理で統治を進めて行っただけ。

 大雑把な豪放さが、それを上手く進めて行ったとも言える。

 オランダから英国に世界覇権が移ったのは大陸ではない島国を本拠地にした方が都合がよく、実際の覇権を操作していたのは、欧州の王族やそれらに金を融通していたユダヤ商人、キリスト教の総本部等のまんま変わらず、それは英国からアメリカに世界覇権が移ってもナニも変わらなかった。

 そんな彼らは政治や金融経済だけでなく、文化・芸術の世界を弄り創造して、自分たちの歴史を美化することだけに努め、勤勉で従順な植民地の奴隷たちが新しいモノを作れば富とともに奪い上げ、その発祥についての歴史も偽造して仲間内で利権を分け合って今日に至っている。

 日本の歴史も相当に弄られているが、しょせん仮想の歴史は現実を自分で生き続ける生身の人間によって粉々にされて行くものだ。

 彼らの力の衰えと、嘘の上塗りが既に醜い化けの皮をボロボロにしていっている。。

 そんな先進国で常々言っている多極化とは、与える選択肢の多極化にすぎないが、BRICS諸国が始めている多極化はそんな人類の偽造された歴史の再検査と、真実を共有する試みが根底にはある。

 それに勘づいて現代社会の良識や道徳や人間社会の破壊を、いまだに手中にしているメディアを使ってアチコチで始めている彼らは、そこで生じる社会の断末魔の混沌によって、自分たちの気配や形跡を消してしまおうとしている訳だ。

 LGBTの騒動や、麻薬や大麻の騒動や、暴力的な騒動や、宗教同士の騒動や、よくよく見て居れば単純な構図の中で、繰り広げらている。

 こういう地球上で繰り広げられている猿の演芸会がはっきりと見えていなければ、奴隷国家に甘んじている島国では、愉快には生きては行けない。

 まず先に自分の価値観を、洗脳から解放すること、日常の習慣から離れてしまうこと、有りもしないモノははっきりと無いと言い放つこと、疑問に思うことは選択肢から探すのではなくて自らの五感で現場に行き感じること。

 俺は小学校で六回転校して義務教育の洗脳から逃れたおかげで、ガキの頃からそれを実践して65年が過ぎた。

 相当に、皆さんとは思考も感性も知識もぜんぜんに最初から違う、自由自在で愉快な日常の中を生きている。

 お勉強やお受験な思春期は、残念ながらいっさい送っていない。

 その代わりに、人間のことは隅々に至るまで解り、社会では怖いモノなどナニもなく、自信満々に笑っている。

 17歳の時、臨済宗大本山の禅寺で修行をして、禅の高僧と毎晩話し合っていた時に、俺はこんなとこで生涯を終える為に生まれて来たのでは無いと悟り、社会でグチャグチャになって揉まれに揉まれ、堕ちるところまで堕ちてから出発してみたいと伝えて、そのまんま寺を出奔した時から、いまの自分作りが始まっている。

 そりゃ~怖いモノもなくなって、腹の底にはもっと怖ろしい自分を持っているさ。

 

 



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