あなたが大好きだから、一緒にいたい・・・それで夢中になって一緒になったは良いが、それまでただの景色でしかなかった相手の両親や兄弟・親族・お友達がゾロゾロと濃い顔して登場して、薄気味の悪い親族仲良しゴッコを見せられるようになると、素敵な夢物語も破綻して、呑気に愛だの恋だのとほざいてはおれなくなって、体力的にも経済的にもそれらが負担となってくると、地獄で閻魔の一族に襲われたような重圧が酷くなり、そこに子育てという重責が加わってくると、精神・神経の脆弱な現代人はヤケのヤンパチで行き詰まり、にっちもさっちも行かなくなるケースも多い。
人間社会で生き延びて行くには、いろんな価値観を自分のモノとして、頑として動かない自分を作って置かなければ、これからの時代はもっと大変な生き地獄にもなって行くだろう。
自己責任、この意味を甘く考えていると、俺のようにあちこちで自由自在に大笑いして生きることなんて、出来る訳もないんだよ。
どれほどのことを、この65年でやって来たか、言葉で伝えることなんか、出来るものでもない。
ナニがあっても常に全体を、人類社会の全体を眺めながら宇宙や地球と共存する、その日常自体が地獄だと考えて気を抜かずに生きていることが出来る人間なんて、そんなにいるもんでもないわさ。
家柄や学歴や企業や組織の名前を代名詞にして生きる軟な大人たちとおなじで、高級マンションに高級車、ブランド品で身を固め、名の通ってる品物で日常生活を彩る猿の衆も、みな世界の価値の大転換では藻屑となればエエ。
裸の自分で悠々と生きていられないようでは、どのみち老いて死ぬまで迷いの森で彷徨うしかない。
宇宙の中の太陽系で、地球という星で生まれた人類、それ以上の規定やくくりはナニも要らないだろう。
この国がどうなろうが、この島国の民がどうなろうが、どうでもいいといえばどうでもいい。
ガキの頃から日本中のあちこちで、底の浅い猿芝居ばかり見せられて生きて来たから、こんな爺ィに成り果てた。
突き詰めて生きてくると、いつも社会の枠外へと飛び出してしまい、女や子供に囲まれて生きて居るようでもある。
ひとつの家庭、ひとつの家なんて日常はとうの昔に捨て去って、あちこちであちこちにあちこちのドラマが出来ている。
まだまだ、精力に余力があるならば、あちこちで大暴れすることもある。
小さな幸せ、小さな家庭、小さな恋愛、小さなナントカ、ひとつだけの宝物、ガキの頃からそんな社会の洗脳には興味がなかった。
果てもなく、大きな生の軌跡、宇宙や地球と同化した命、それだけを眺めて生きて居る。
そこでは山や海と同じで、ゼニカネなんて尻拭き紙か鼻紙になるのが関の山だ。
馬鹿馬鹿しいと斜に構えて生きるのではなく、それなら好き放題に生きてやろうと大笑いしてずんずん進む。
常識とか良識とかなんて、捨て去って半世紀が経っている。
汗水流して、働かなくて良い暮らしが、さも素敵で良いことのように信じてる猿の群れでは、余計な予防医学や保険や保障ばかりで日を過ごし、本来の人体の健康な体力や精力は衰えるがまんま、自然免疫も壊して異常を来たしてしまい、守銭奴の末路よろしく、ガタガタな家族に、不幸しかない家だけが、その結果として手に残る。
無意味に豪華な墓石の下には、ガラクタ骸骨だけが獣の骨とも言えない弱弱しい欠片ばかり、埋まって行く。
もうさ、一家にひとつの墓なんて、いらんだろう。
俺は、俺の代でそう生きて居る。
死んだら終わり、後にはナニも無い。
跡継ぎなんてキレイゴトなぞ、必要も無い。
そもそも俺の後を継げるような生を、生まれて貫いて来ているツワモノなんて、二人とおるかいな。
馬鹿馬鹿しい。
幾つかの取引の集金・決済が重なって来ているが、すでに次への話の構築も始めている。
サラリーマンや公務員の皆様が、何年もかかって稼ぐ代償を、とっとと稼いで高い山へさ出掛けるさ。
人間の社会のことなんて、穴だらけ、幾らでも普通に稼ぐ方法は転がっているが、群れの中でのセオリーに従ってばかりでは、インチキして詐欺を重ねて、悪さして儲けるしか、能はないんだろうね。
可哀相でも無い、死ぬまで競争に煽られて、阿呆なロボットの喧騒・狂騒に成り果てている。
黄色い猿の集団か・・・あ~あ、だな。