人類の世の中社会は、報道だけで歪み切ってしまってる。
現実はいつも静かに其処に在るが、それを解釈する方法だけで、オツムが翻弄されている。
みなさん軽いオツムばかりで生きているから、幼稚な大混乱に巻き込まれる。
去年は、孤独死しそうだった爺様を救急病院に入れることで新年が始まり、なんとか暖かいベッドの上で旅立たせてやり、年末はまさかの元気だった独り暮らしの爺様の孤独死を発見することで一年を終えた。
春には、コロナ禍でも時間の猶予の無い話、具体的に説得して準備していたことのひとつ、93歳の認知で癌の爺様と、87歳の婆様を田舎の古く広い実家から上京させて、家も大量の家財もすべてを片付けてやり、暖かいし楽になったと喜んでる二人を眺めて今年は新年を迎えているが、他方の高齢者が要介護やら入院手術と、これまた走り回ってそろそろ仕事に本腰を入れる。
去年の春先に原因不明の酷い眩暈に襲われて、完治するまで1ヶ月を要し、体力の落ちた身体で山登りを再開し、その時期に息子ひとりと娘ひとりが結婚し、休むことなく動き回って居ったが、夏には引っ越しを終えて日常を取り戻しつつあった高齢の両親の世話で毎日動き回り、また眩暈が始まっておったが、一度やった病は二度目には医者要らずで、毎週まいしゅう太平洋で遠泳を続けておった。
一昨年に続いて、今年もコロナ怖い教に皆さんが優等生信者になってる時でも、自分でバブルを作り、しっかり儲けて忙しい仕事もやりながらの話だが、皆さんは、助成や支援や国家に餌をもらいながら呑気に生きておっただろう。
秋には左膝の半月板をやってしまい、いまだに完全ではないが山登りを再開させていたら、次は右目の黄斑変性症という失明するかも知れない加齢の病気になったようだ。
ずっと右目は歪んで見えておったが、忙しくて自分のことはいつも後回しで、仕事もその間も続けていた。
過労から腸が破裂して、死にかかった挙句にオストメイトとなって身体障害者で復活したが、その後も休んでゆっくりしないせいで次から次へと、いろんな怪我や病気に襲われている。
擦り切れるまで、生き切る、これが俺の願い。
戦争の時はガキだった癖に、戦争が大変だったと嘯いて長生きしてる幸せな高齢者たちとは違って、こうやって休むことなく生きて居ると、人間の身体は60年くらいでガタガタに消耗するのが本当だろうよ。
俺は自分で人体実験をやってるようなもんだ。
それも成金守銭奴がやってるような、人工の怪しい医学や薬学には振り回されずに、健康にやっている。
身体障害者で片目になっても、笑って休まずに生きて行くんだろうが、愉しいと言えばこれほど愉しい生も無い。
あちこちに育てあげた子供らも最後の息子が今度は高校生だから、後悔のまるでない人生も、もうひと頑張りか。
誰の手も借りず、自分で生きて行けなくなったら、いよいよ終わりになる。
それまでは周囲の声など耳には入らず、社会や国家も屁を喰らえで、どんどんどんどん前に生きて行くべよ。
俺が休んで休憩してる姿なんて、みっともなくて想像もできんわいな。
さ、本格的に仕事に精を出してゆく。
邪魔になるモノは、すべて吹っ飛ばして行くぜよ。
俺がお見事に逝ったなら、あとはお前らで好きに生きて行けや。
大笑いだ。