膝の半月板を治しながら、片目は見えなくなっておっても、腹の袋の傷の治療をしながら、バイクや車に乗って、あちこちを走り回っている。
肉がえぐれた個所がパウチを貼り付ける個所だから、動くだけで痛みが出る訳だが、ゆっくりしてる暇もなく、今日も遠方に運転して出掛けて行く。
服を着る前に、膝にサポーターを装着して、腹にはベルトをまいて、他の痛い個所には湿布を貼り、ようやくに人並みの着替えが始まる。
薬は葛根湯くらいで、自己治癒能力で対応する。
自然に生きて持ってる免疫で、この地球上で生きて行けなくなれば、終わりで良い。
余計な怪しい人工のモノは、取り入れない。
そう、生きてる人間が一番に信用がならん。
怪しいコロナ教の布教に対して、反ワクチンの騒動が世界中で、始まっている。
俺はそのどっちでもない、身近に高齢者をたくさん抱えているし、仕事でも身寄りの無い高齢者にたくさん関わっているから、俺が動かなければ死んでしまう、そういう必然で生きている。
国や公的な機関は、最後までは面倒を見ない。
メディアでは決して流れない現場がある。
自粛もできず、現場ばかりを走り回って、それでも高齢者たちにおかしなバイラスを撒かないようにと、用心しっぱなしで、それだけでもいい加減に疲れるもんだ。
医療機関の大変さなど、キレイごとの幼児の甘え。
身体はボロボロになっている。
怪しいコロナ怖い教も、怪しい反ワクチン騒動も、皆で社会を形成しているという善意を失ってしまって、強引な強制にしてしまうから殺し合いにまで発展する。
余計な騒動を抑えるために、余計な規制や法律が出来、その繰り返しが現代社会の息苦しいまでの雰囲気になってるだろうに、どうして馬鹿どもは大騒ぎして、混乱を極めるのか?
メディアに洗脳され、メディアに洗脳されてはいけないと洗脳され、しょせんは金儲けの餌にしかなってはいない。
どっちもどっち、すべては尻の赤い猿芝居。
2年前から言っているが、社会はこうして崩壊して行く。
飲食店を経営したりそこで働くには、ワクチンをキチンと接種して、自粛・営業制限には従って、その対価として助成金や補助金を国からもらう、そういう話だった筈だが、実態はそうはなってない。
金はもらうが、客を失いたくない、だから体調が悪くともコロナでは無いと勝手に自己判断して、勤務はそのまま、従業員もいなくなってるから休んではいられない、だから仕方が無いんだというのが実態だろう。
店頭の明かりは消してはいても、なかでは通常通りに客が飲んでいる、こういう光景はあちこちにある。
そこに座って飲んでいる者は、国民を自粛に追い込んでいる言い出しっぺの連中が多かったりする。
ワクチン接種証明書だって提示義務は表むきで、なくても酒は出しますよ! も多く、偽造したりしてもそもそも杜撰な飲食店では解りはしないと、そんなザル規制だろう。
無駄で合理性とはほど遠い、これはゼニカネ儲けが絡んでいるからだ。
コロナ・ワクチンと言えば金になる公務員や政治家、大企業にメディア、助成金や補助金をもらう側も経営難をコロナやワクチンのせいにして、補助を求めているだけの猿芝居だろう。
そもそもただのインフルエンザの異種であった感染症を、大袈裟に報道して世界を自粛に追い込んだ訳がある。
それを最初から知っていた連中は、自粛などせずに、いつものインフルエンザとおなじ、他人に移さないようにと気を使って丁寧に対応はしていても、普通に過ごしている。
そもそも感染症という目に見えないモノを、どうやって排除するというのか?
地震の研究家が、決して地震を100%当てられないのと同じで、医者や専門家に自由に喋らせておけば全人類はシェルターに籠って、独りで生きていなさいとなる。
放射能がなければ人間は生きては行けない事実をおざなりにして、単細胞に放射能怖い騒動を起こしたのと同じだ。
矛盾だらけ、子供らにどうやって貴方の日常を説明しているんだ? 聞いてみたいもんだ。
俺は最初から広言して、その通りに生きて来た。
コロナ教という新興宗教の布教活動に皆さんがせっせと馬鹿面して励んでいるのを横目に見ながら、たくさんの困ってる人たちの元を走り回って来た。
免疫が弱くなってる人たちには、俺が感染症を運ぶ訳にはいかないから、混雑する場所には行かず、電車やバスは使わずバイクや車で移動し、マスクや手洗いはキチンとこまめにやっている。
助成金や補助金などビタ一文でない自営で、そうやって2年間、自分でバブルを作って生きている。
これから世界はどうなるのか、それでもまだ見えない人がいるのなら、大人と言う衣服を脱いで、幼児の服を着て生きて行くべきだろう。
メディアで答えを探すの? 誰かに聞くの? 大笑いな自信喪失・自己喪失、よくもま~そんな貴方まかせで、一丁前の大人づらして生きて来れたな~と、感心するわいな。
予防医学という詐欺医療行為が盛んになり、健康で長生きするという無意味なフレーズが、さも生きてる目的でもあるかのような独り歩きを始めるようになって、不健康に長生きしている高齢者が、溢れ返ってしまった。
息をしておれば良い、ベットで寝たきりでも生きておれば良い、長生きさえしておれば、そこには金儲けのネタが幾らでも転がっている、これを現代社会の不治の病・本当の意味での難病と、俺は呼んでいる。
することもなく、ただ漫然と生きて居っても、腹は減り、欲望はあり、感情も揺れ動く、ただただ身体が自分の思うとおりに動かなくなって、貴方任せの医療行為に身を任せて過ごしている。
これを 生きている というのかどうか?
自分しかいない日常と、生きている現実の社会、接点はどうするのか?
随分と楽をして、健康で長生きだけを望んで生きて来た高齢者世代を眺めていると、感情や思考が停止してしまうこともよくある。
なにが楽しくて生きているの?
死ぬこともできずに生かされているだけではないの?
医療や薬学という範疇に生きてる大人は、もっと根源的な意味について考えるべきだろうが、ただただ日々の処理に忙しいだけで、猿の自慰のように無感動に繰り返している。
溜まるから、出す、患者がくるから、教わった通りの処理をしている。
人間の世界も、価値の大転換をしなければいけなくなっている。
このままだと、放っておいても人間の社会は崩壊して行くだろう。
民主主義とはナニなのか?
よくよく考えてみることだろうな。