あいにくのお天気で、高い山は諦めて、なんとか大丈夫そうな場所に出掛けて来た。
菜の花が咲き誇っていて、あとはモノクロの景色ばかり、海や半島も、富士山も隠れてしまっていたから、逆に黄色い菜の花が鮮やかに見えていた。
俺は多くのいろんな荷物を背負って生きているが、下りてゆく頃には、軽くなっていた。
高天が原とは、日本中にあり、人はそこから天に還ってゆく。
俺が毎週のように高い山々に登っている意味は、そんなことでもある。
紀元前の、太古の時代より、日本人はそうやって生きて居た。
なんのことはない、その後の嘘くさい歴史や伝統には目もくれず、淡々と続けている。
良いもんだ。
無事に葬儀と火葬も終え、180センチ近くに伸びた高校2年の孫に抱えられて、自宅に戻って来て一段落。
解っているだけでも、この孫が17代目の子孫となる。
葬儀をお願いした僧侶は、奇遇も奇遇、聞けば広島出身で千葉に流れて来て、おなじ高校の5年先輩だったと驚いたもんだが、ま~ま~身内だけでのんびりと送ってやれて、良かったんじゃ~ないか。
だからと言って親交を温めるなんて惨めったらしく寂しい現代人のような交流はしようとも思わず、いつも一期一会、またご縁があればお会いするでしょうと笑ってお別れしてきたもんだ。
俺とおなじ納骨する大寺院とのご縁や、偶然に出会った僧侶も広島の高校の先輩だとか、葬儀の前に俺の傍に微笑みながら歌を歌ってやって来て、聞けば高校の校歌だったから、懐かしさに一緒に歌ってしまったもんだ。
この頃は、こういうご縁で破顔一笑することが多くなってる。
別に宗教には興味はないが、破天荒に過ごして1年余計に通った高校の話は懐かしかったし、広島弁での法話も愉快だったな
出会いが多いと、奇遇なご縁も多くなり、みなそれぞれに激しい生き様を抱えて生き延びている姿に、合掌するしかない。
銀座で自営を始めて30年、神棚にはいつも自分が入り、他には神や仏はおらず、あの世も霊魂もナニも無いと悟り、自らが神や仏となるように人の目があろうがなかろうが関係なしに、自分と向き合って生きて来た。
その結果が、数え切れないほどの他人との関わり合いとなって、すべてを負っている。
ロボットのように機械的に生きることのできない人間は、心だとか魂だとか目に見えないモノをこさえては祈って来た歴史があるが、であるならば自分はナニをしても良いのか? 集団で生きて行くうえで自分だけ儲かればそれで良いのか? という命題についての思考は止まり、検証すらしなくなっている。
あの世や霊魂は無い、神や仏もいない、それならばそれぞれが神や仏になるように生きて行く時代になっていると、なぜ考え及ばないのか? が俺には解らない。
神や仏のように生きるとは? 弟子をとり、信者を増やして金儲けのシステムを作ることではないだろう。
宗教は口伝をして弟子を作った段階で終わる。
あとは我欲にまみれた枝葉の話になる。
神や仏など、そこには微塵も無い。
この国は八百万の神々が天変地災という地球の慟哭にもめげずに、豊かに共存していた国だった筈だが、どうしてこんな自分に自信を持たない国になったのか?
誰かの言葉を待っている、誰かが動くのを待っている、みんなでキョロキョロ蠢いている、哀れな島国になってしまったもんさ。
そうして集団でメディアに洗脳されて大絶壁へと誘導されて行ってる。
なにをか、いわんや。
ただただ感謝して生きるのみ。
あとは己がどう生きるかだが、それは己の生き様でしかありえんがな。
言葉や演説や能書き垂れやメディアを使った発信なんて、ただの猿芝居。