天気図を描いていて、直前まで迷った挙句に、群馬の奥の山々を、歩いて来た。
人の多い騒々しい山は御免なすって、人のいない山ばかりを選んで、獣たちと会話しながらのんびり歩き登るのは、いつものことだ。
いまさら山や海で、喧しいだけの猿な人間になぞ会いたくもない。
地球や宇宙の大自然の中で、猿には用がまるでない。
話してることだって、お子ちゃまな暗記知識を使った会話と、経験したつもりになってる自画自賛。
そんな幼児な人間の話など、どうでもええがな。
カッコウが鳴いておった。
ウザい人間が居ない山でしか、鳴かない鳥だ。
毎週毎週に、山に登ることが、当たり前のことになって何十年も経つが、夏は毎週、太平洋で沖に泳ぎ出るのも当たり前のことだ。
趣味だとかレジャーとして続けているのではなくて、いつも違うその場所その場所での現実を目に焼き付けて、行き帰りの人との関わり合い、日本人とはナニか? 俺はどう生きるべきかを考える為にやっている。
永久オストメイト・身体障害者となってからは、腹筋に穴を開けて腸を出して、そこに袋を付けて生きているが、日常生活は健常者よりも精力的に生きることを自らに課して、鍛え続けている。
ただただ植物のように生きて居るだけでは、意味がない。
だから笑い飛ばして生きる、これが出来なくなったら終わるつもりでいる。
ただ、腹筋だけは激しく鍛えられない身体になっているから、それ以外の筋肉や臓器を鍛えることで失ったモノを補うように動くようになってるが、文字通り、人体実験を自分の身体で続けている。
山登りでは、何時間も登り続けての頂上直下が一番に厳しい急登になることが多いが、腹に肛門を造設していることで、キツさは健常な頃よりも数段増して来ている。
それでも山登りを止めないのは、自分の為、まわりの者の為。
この身体で生きてゆくことに甘えを持たない為。
生きて居る以上は、健康で笑っている為。
時間はかかるようになっても、日帰りの登山で二つ三つ四つと縦走してはいる。
ひとつひとつの行動が、健常者には無い障害を常に意識しての動きになり、それが日常になったところで行動範囲は健常者以上のことが出来るようになる。
いつも経験と学習、笑っている意味も違ってくるし、頂上で眺め渡す景色も違ってくる。
人事を尽くして天命を待つ、よく聞く諺だが、話を聞いていると、そのほとんどの尽くしたという人事についてが、俺の日常に尽くしている人事の半分にも満たない自己満足で安易に終わりにしていることに、愕然とする。
あんたよくもま〜、その程度の人事で止めにして、あとは仏に手を合わせ、神に祈って、他力本願な日常でダラダラ天命を待っていることよと、呆れ返る。
すぐに答えを求めるのは、人生を逃げ回ってる卑怯者のやることだ。
おみくじ引いたり、宝くじを買ってる連中のことだ。
とことん自力で生きること、自らを神や仏を超える存在まで高めること、すべての責任は自分の内にしかないことを肝に銘じる。
仏に手を合わせることもなく、神に祈ることもなく、とことん妥協せずに人事を尽くす、半端者だらけの甘ったれた社会では、叶うことだらけになるさ。
当たり前の答えだろう。
それを現実と呼ぶ。
死ぬ気で生きるなんてガキの遠吠えを、大人になってもやってる猿には、解らないだろう。
そんな安易なキレイごとを抜かした時点で、撒き餌になっている。
メディアでは、障害者を支援し、そこで素敵なおセンチドラマを作ろうとする古臭い煽動報道ばかりだが、俺はいまだに日常で、健常な人たちを支援して生きて居る。
これはなんのジョークだろう??
障害者を利用して、金儲け、善人面する行為、恥ずべき景色だ。
あんたのオツムの具合が丸見えだ。
借金や負債を持つということは、支配されるということだ。
食い扶持作りで仲間を持ち、貸し借りを作るということは、自分に嘘をついている。
身動きできなくなるほど束縛されて、雁字搦めになってゆくことに甘んじて、あなたはそれを責任と呼び、生きている意味だとまで持ち上げる。
そこにある愛や恋なんて、誤解と錯覚と都合の良い勘違い、家族の為にと夫婦で住宅ローンを払い続ける為に自分を殺して生きる辛抱や忍耐など、まともな話なんかじゃない。
だから人類の日常は猿芝居ばかり、どんどん猿芝居の演出や脚本も、獣の本性からはかけ離れて行ってる。
生きることを、とことん突き詰めて社会と関わり合ってるいると、ナニを大事にして、ナニを捨て果てていれば良いのかも、よ〜く見えてくる。
喜怒哀楽なんて、染められた魂の一過性の反応でしかない。
もっと他にはないのか?
紀元前の頃とナニも変わらない人類としての日常が送れない、人類の前には立ち塞がっている洗脳というオツム硬直、これでは退化するいがいに逃げ道はなくなってしまってる。
高齢者たちの付き添いや介護看護の打ち合わせが目白押しになっておって、そこに売買の契約・決済が重なって来ておって、相変わらずに忙しい日常が始まった。
やっちもね~。