内科医とは、やってくる患者の話を聞きながら、そのストレスを解消するための会話に努力する医者のことだ。
外科医とは機械で言えばメカニックのことで、技術で肉体の悪いところを直接に切り刻み修理する医者のことだ。
古くは散髪屋と外科は同じ人間が患者に対応しておったから、だから現代でも使われている散髪屋の白・赤・青のクルクル回ってる看板は、もともとは外科医の看板でもあった。
逆に言えば、散髪と言う行為は立派な医療行為でもあった。
内科医と外科医とは、そのくらいに発祥が異なっておって、意味の違う仕事だった。
内科医は神父や坊主のような会話が主になっておって、患者のストレス軽減が主な仕事だった。
そういう見方で現代社会の内科医の仕事を眺め渡すと、まともな内科医はほとんどいなくなってることに気が付くことだろう。
薬を処方する人間、予防医学を施す人間、余計なお世話と余計なお節介ばかりやってる人間が、現代の内科医だ。
まともな人間の話が出来る内科医なんて、探すだけ無駄なこと。
今は内科医で診察された患者が処方箋をもらって薬局に行っているが、じきに処方箋薬局が内科医の仕事もこなすようになるだろう。
内科医という医療行為自体が資本主義に取り入れられ、いかにも医者のような風体を取り繕っているが、その本来の仕事は対面会話によるストレス軽減ということで、落語家や漫才師とおなじ種類の職業だった。
例えばインフルエンザという病だって、放っておけばじきに治るものを、内科医の余計な医療と投薬で他の肉体の個所に禍根を残す治療ばかりやっているけんども、あんたそれをワザワザ望んで予防接種なんて怪しい行為を国家で推奨してる、これこそが日本総愚民化政策のなれの果てだ。
テレビや新聞はその為の広告塔でしかないのは昔からだが、いまや国民自らが愚民!愚民!と動き出してる。
怖ろしい話だが、俺には単なる喜劇にしか見えない。
余談だが、俺は車を多い時では5台くらい所有してるような車好きだけんども、それぞれのメーカーの営業ではなくメカニックと仲良くなっておって、車の修理や点検はやるようにしている。
ロクな営業がいない、そういうことだ。
営業と内科医の仕事は似ているが、別にいなくとも世の中社会は困らないだろう。
販促や広告宣伝がなくとも、口コミで商品の価値は拡がるし、その方が確かなニーズを獲得できる。
これは不動産業界でも言えることで、営業の煩わしい古典的な手法は、反吐が出るような惨状になってる。
俺が自分のことを周旋屋だと言っている訳は、生きることや生活全般に関わるメカニックとして接し、それぞれの専門分野の優秀なメカニックの斡旋も商売にしてるからだ。
その人の仕事や生活を考えて、それに合ったものを提供する、買う必要のない人には売らない。
そういう周旋屋を30年近くも続けていると、放っておいてもご紹介とリピーターの件数が成約数の9割を軽く超えて来て、他社と競合することも少なくなり、広告宣伝にはいっさい金をかけることもなくなってる。
この頃は外国人の顧客から外国人をご紹介されるという愉しい仕事も増えてきた。
なにも変わったことをやってる訳ではなく、会話でストレスを取り除く、大昔の内科医とおなじこと。
しかもそこで交わす会話のほとんどが、この日本で遊び呆けて、子供らをあちこちに作って育て、そんな俺自身の豊富な経験に由来するものばかりだから、真似も出来ないだろう。
死ぬまで喰うには困らないだろう。
一貫して、それを続けて来たからだ。
負債も借金もまるで無い。
青二才どもが喧嘩を吹っ掛けたつもりになっておっても、じきに自滅してゆくことばかり。
天下の王道で大笑いしておれば、それで悠々と生きて行ける。
人間という、愚かなだけの世界では、そんなもんさ。
政治の世界でも、芸術の世界でも、経済の世界でも、スポーツの世界でも、若い頃から俺の傍にはいつもその時代の寵児・人気者とも呼ばれる連中がいることが多くて、ただ俺はこんな調子で興味もなく、ただひとりの人間として愉しく関わり合って、彼や彼女らの時代が過ぎ去っても、ナニも変わらない愉しい生を生きて居る。
そういう積み重ねがあると、ひょんなことから昔の話になり、なんでそんな人と? という驚きの声が上がることもあるけんども、なんてこた~ない、どんな人間もみな同じさ、少なくともそれぞれの時代の寵児・人気者と呼ばれた連中でさえ、その生き方価値観では俺の方がいつも内容が濃い。
だから俺は別に自分を語る時にそんな連中を使うことも無く、使いたいとも思わない。
自分の名前だけで、ただの個として生きて居る。
肩書も社名もグループ名も、な~んもない、ただの個で生きてるから面白いのだ。
なににも遠慮はいらず、自由自在に敵もなく生きて居れる。
そういうことよ、人間の世界なんざ、嘘八百野郎の猿芝居ばかり、一対一になれば個の対面会話さ。
山や海でいつも起きるアクシデントに較べれば、随分と退屈なことよ。