高価な酒なんかよりも、甘いモノが嬉しい。
山で大汗をかいてクタクタになって降りて来て、最初にミニストップを探して食べるバニラ・ソフトクリームなんて、極楽のような甘さがたまらない。
ただの、ヨレヨレ爺ィになってる。
別に誰かのために生きてる訳でもなく、俺の好きに生きてる、その好きに生きてることが、たまたま他人や社会のためになってることが多いだけで、別にだから対価が欲しいとかナニかが欲しいとは思わない。
文句を言われる筋合いも、無いし、威張って吹聴することも、無い。
・・・酒を呑まなければ、元気が出ない、喋れない、調子があがらない、楽しくない・・・
こういう爺ィは俺のまわりにも腐るほどいるが、はっきり言ってやれば、ただのアルコール中毒、弱いオス。
呑むと明るくなり冗談も出て饒舌になるが、吞まない時はむっすりと不愉快な顔、だから周囲はほどほどに呑む分には黙って許してる。
呑まなければ機嫌が悪い、呑むとキリが無いほどにダラダラ呑み、喧しいしメンドクサイ、人生終わってるだろう。
覚せい剤や大麻が悪いとは言うが、こういうタチの爺ィや婆ァ連中のアルコールも、おなじことだ。
ことセックスにしても、酒を呑まなければ放蕩に自分を解放できない、これもまた中毒症状ではある。
なんでシラフで追求しない? 自分を変えることをしない?
健康食品やプロテイン、医者から大量に処方されてる薬に溺れているのも、おなじことさ。
弱いオスや不感症なメスは、社会に溢れ返っておる。
自意識過剰なのに自信がない、緩み切ってる社会では、そういう奇妙な大人が増えていってる。
生きてる愉しみが無い、自分で愉しみを作れない、終わってるだろう。
若い連中でも、ただ憂さを晴らす、自分を大きく見せる、女を口説く口説かれる、猿な光景は銀座にもある。
挙句に酒の量を競うなんざ、覚せい剤や大麻の中毒具合を競ってるのとなんら変わらない。
恥ずかしいことだと、自覚すべき。
酒は百薬の長、宗教の教義でしかない。
だから俺は40歳を過ぎた頃から酒だけの付き合いは止めにしてる。
そういう油断の出来ない業界にいたせいでもある。
そうしてどんだけ大酒呑んでも、翌日は山に登り、海や川で泳いでアルコールを抜いておったもんだ。
次の日が役に立たなくなるような、間抜けで無駄なことはしない。
増してや自然相手の遊びは、あくまでも地球や宇宙の動きに逆らえないし従うしかない。
その一瞬を見て動く訳だから、人間同士の退屈な時間潰しなど、その一瞬を見逃す最低な行動だ。
接待やおごってやると言われても、酒を呑むだけなら断ってる。
大事な話をしながら、美味いモノを喰う、美味い酒を呑んだって、モノを考える潤滑油にはなる訳も無い。
その程度の話なら、大事だとも言えない。
アルコールとともに蒸発する良い話なんて、巷には幾らでもゴロゴロある。
むかしから洗脳宗教には、麻薬や酒は常にセットで付いてくる。
そんな宗教は、奴隷売買と植民地開拓にセットになっておった。
弱者の側の癒し、奪われる側の慰め、弱い者の都合の良い自己弁護や正当化には、酒は役に立っている。
ほどほどに、しとき~や。
酒に興味を失って、あらゆるギャンブルにも興味を失って、それから俺は扶養家族があちこちに増えて行った。
子供らと一緒に遊び、育て、これを繰り返しながら、山や海で大笑いしてきてる。
60歳を過ぎても、息子や娘たちが結婚して行っても、他にま~だ銀座の中学校に通ってる息子もいる。
みな、それぞれに特性を生かして、色んなことを叩き込んでやる愉しみは、金では買えない愉しみだ。
会社を大きくするくらいなら、子供を増やしてたくさん育て上げる。
ガキの頃から想っていた色んなことを、今でも続けている。
これ以上の愉しいことなど、他にはないわな。
山の獣達や、高山植物と、おなじように生きて居る、そんだけのこと。
報道されてる天気予報とは違って、俺の描いてる天気予報では、週末も山に登れそうだ。