子供があちこちにおってそれぞれ育てて来てると、それぞれの爺婆も高齢化して、またそれぞれの爺婆の面倒も見なきゃ~いけなくなってる訳だが、先週・今週と広島まで出掛けて90歳になる爺様の大腸癌の処置について医者と話し合いをするのとは別に、中野の一戸建てに棲む独り暮らしの婆様が、そろそろキツイのではないかという話があったので、昨日は山もお休みで様子を見に行っておった。
・・・どう? どこか近場に連れてってあげようか?
・・・水沢うどんと舞茸の天ぷらを食べたいな
・・・よっしゃ、榛名山と赤城山の両方に連れてってあげよう
・・・わ~、嬉しいけど、こんな遅くから行けるの?
・・・そんな近所、もっと遠くの山ばかり登ってる俺様には、ちょちょいのちょいだ!
ということで、近場の両方の山に昼前から出掛けて行った訳だ。
60爺が80婆を連れだして出掛ける、素敵なドライブだろう。
いつもの登山ではないのでのんびり安全運転しながら、いろんな会話をして様子を見て居ったが、義弟から聞いてた話とは違ってぜんぜん普通の80過ぎの婆様だった。
食欲もあり、いろんな愉しい山の話や民話をしてあげるとちょっと自分も散策してみたいと言い出し、赤城神社のあと、小沼にも連れて行って気温一桁のガスった中を、ソロソロながらもちゃんと自分の足で歩いていた。
・・・日光の戦場ヶ原はここの山の神でもあった大ムカデと、男体山の大蛇が戦った場所だということでその名がついて、その戦いから手負いで戻った大ムカデが傷ついた身体を休めた血の池というのが、大沼の上、小沼の奥にあるという話には、しっかり食いついて来ておった。
そこまで話をした以上、小沼から血の池に抜け、鬱蒼とした杉林の道から赤城温泉方面に降りて行った。
車検から戻ったばかりのアルファードは13万キロくらい走ってるけんども、エエ感じでメカニックが山用に仕上げてくれておった。
榛名山や伊香保界隈はまだ紅葉には早かったし、赤城の山ももう少しだろうな。
行きは関越、帰りは17号バイパスから羽生に抜けて東北道のコースでも、車中で寝ることも無く、あちこちで色々とお土産やら洋服やらを買ってるくらいにしっかりして居った。
・・・どこがおかしいのか? 普通の健康な80婆様ではないか?
一緒に同行してた古女房に話しても、首を傾げるばかり、言って来た義弟の家が何か問題抱えてるのか?
誰かが婆様を引き取って、実家を売ったり貸したりするような状況ではまるでなかった。
そうとしか思えない普通の愉しいドライブだった。
8時過ぎに戻ってきて、目白で食事をしたけんども、よく食べておったわいな。
親の財産を目当てにして、将来設計に組み込んで、そうして生きてるサラリーマンって~のは、哀れだ。
その通りの現金は決して手に入らないようになってることすら、よくよく計算式には入ってない。
俺みたいに親の借金まで完済してやって、無借金・負債無しで生きて来てる方がはるかに自由で愉しいもんさ。
どこでも誰とでも、互角以上に話が出来る。
やましいこと、遠慮することがまるでないと、モノゴトもよく本質が見えるもんさ。
ま~ま~、若い頃からサラリーマンには想像のつかない修羅場の連続だったがな・・・テレビドラマや映画の波乱万丈物語程度で感動してる連中には、話しても仕方がないし理解など出来るものでもない。
ナニかに追われ急かされて生きてる奴らって、会話しててもウワノソラ。
水沢うどんで舞茸天ぷらを喰って居るときに、携帯に電話が入り、近くの伊勢崎で豪農を営んでる爺様からのもので、銀座に持ってるビルの様子を見に行ったついでに、大きなサツマイモやら果実やらを持って来たから店の横にまた置いておいたよ! という電話だった。
・・・いま、水沢で舞茸とうどん喰ってるよ
・・・ええ? 近所じゃないか? そこで待ち合わせしとけば良かったな~
・・・そうだよ、一緒にご馳走してあげたのに!
・・・今から帰るから待っててくれる??
・・・無理無理、これから赤城に登るから、さ
爺様の奥方は忠治の血縁だったが、80歳を前にして、いまでも銀座に来るときは軽トラックではなくて真っ赤なスポーツカーを運転してやって来る。
みみっち~ゼニカネの話ばかりしてる連中とは違って、会話の中身もぜんぜん豊かな人たちだ。
さ、今週も地方に出掛ける予定が入ってるから、とっとと仕事を片付けるわさ。
今日は四谷に出掛けて、岩槻か・・・めんどいことよの~。