オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

秋の日の、ヴィオロンの溜息・・

2018-11-07 09:28:03 | 地球と生きる

 

 予防医学だとか、予防接種というものは、ひじょうに大雑把なモノで、人体の健全な機能や免疫まで殺してしまうという意味では、いかがなものかと首を傾げてしまう。

 ちょうどそんな予防医学が流行り始めてから、免疫異常や癌や難病というものが同時に登場してる。

 その関連については、だ~れも口を閉ざして語らないけんども、それもどうかと思うぜ。

 無関係であるはずがない。

 

 登山靴の履き方には、登りに緩く、下りにキツク、というのがある。

 つま先を傷めないようにする意味があるけんども、キツク締めすぎて足首の自由を奪われて、滑落してしまった登山者もおるくらいで、なにごともほどほどが良いわけだ。

 鵜呑みにする、湯のみで飲む、じかに自分で味わうことが一番だよ。

 

 エナガという鳥はときどき1500m以上の山の森で見掛けることがあるが、シマエナガという北海道でしか見られない真っ白な種は、いま人気なんだそうな。

 人間の欲望の対象となると、獣には不幸なことが起こる、黙って独り独りが眺めておれば良いではないか。

 共有するという、感動を共有するという、ならば日常生活でも旦那や女房や恋人を共有してるのか? 独占してないのか? 人間の価値観なんてその時の風情でしかなくって、人類の在り方にはとどかない。

 現代社会で言えば、家や家庭はその愚かな生き様の最たるもんだろう? おかしな獣は、人類のほうだろう。

 互いに遠慮などせずに自由に生きて、それで共にいることに意味があれば夫婦であって、そうでなければとっとと別を探した方がエエんやないけ?

 陰でコソコソばかり、遠慮して気を使って神経すり減らし・・・って、阿呆やね?

 その時々の機微としてつく嘘には意味があるが、スケベ根性だけの嘘には意味などない。

 

 いろんな自分の子供たちを見て居って想うことがある。

 普通の親ならば、子が巣立っていったまんまの生活をそこで送っており、子は親のことを巣そのもののように想うんだろうが、俺はまだまだ色んなことをやっておって、離れて暮らす子らとの距離は拡がっているということ。

 子らが成長するスピードよりも、俺の変わるスピードの方が速いんじゃ~ないかとすら想う。

 たまに会うと、想うこと、会話が成り立たない。

 まだそんな次元にいるのか? そんな会話をさせられる俺は疲れるだけだな~、そういうこと。

 感情や思考の位置が、思考脆弱・経験不足過ぎる。

 すでに止まってしまってるのか? とさえ想うことがある。

 人間の社会の不思議さは、遺伝と言う、本来ならば親が生きた生の終わりから、次の子が生きる、そういう経験値がナニも遺伝されないことだ。

 繰り返すか、下がるか、突拍子もない生を送るか、そこに獣としての進歩や進化は、まるでない。

 これは自分自身を眺めて見ても、言えることだ。

 滞留している。

 結局、親であっても、上も下もロクでもね~、俺がここに生きてる、それだけのことさ。

 

 さ、今朝はこれから裁判所に原告と一緒に出掛けて来る。

 原告も被告も、みな身勝手な連中だと想いながら、空を眺めてると良い塩梅だ。

 草津の奥の紅葉の山に登って、草津の湯に浸かって来たいと、ふと想った朝だ。



最新の画像もっと見る