先週に続いて、また今週も関西方面に出掛けて居った。
広島の90になる爺様が大腸がんで、どうするか? の外科医との話し合いだった。
地元では大病院で、そこのベテラン外科医との話し合いだったが、肛門近くの直腸に出来てる3cmくらいの癌について、医者は手術して人工肛門にするのが良いという意見だった。
俺が永久オストメイトになってるから、話は早いと考えておったようだが、そのリスクについて話した。
永久人工肛門保持者は身体障害者となる。
その障害者の生活についても詳しく話したが、逆にいろんな日常生活について質問を受けて居った。
3000m級の雪山でも登れ、太平洋で遠泳もしている話は、すべての話が驚きの連続だったみたいだ。
それが地方の医者の実情だろう。
当然にそのレベルのWOCしかいないと言える。
ただし、俺のような日常になるまでは、本人の生きようとする意志が確固たるものでなければ無理だ。
切って縫って退院した後から、その大変な努力は始まると言っても良い。
外科医にはすでに関係の無い話になる。
日本でのオストメイトの人口は2~30万人くらいだろう。
国内には良いパウチや装具関係のモノを作ってるメーカーは無い。
すべて海外からの輸入品を使うことになり、各自がそれは努力をしなければいけない。
切って繋いでは外科医の仕事だから、それについては失敗はほとんどないと言っても、その後の適応や処置については日常に患者が患者の責任でやらなければいけないことについても、話した。
癌については免疫療法というものがそろそろ新しい医療として出て来そうだけんども、まだ時間はかかる。
90歳の爺様には人工肛門の日常生活を丁寧に装具やらを見せて話したが、とてもじゃ~ないがそんな大変でメンドクサイことは出来ないと、即答だった。
抗がん剤治療は体力的に無理だし、人工肛門は無理、そうなると放射線治療しかない。
そもそも抗がん剤治療や放射線治療とは、癌そのものを切り取る訳ではないのだから、進行の抑制にしか過ぎない治療だと医者は言うが、人間の肉体には高度な外科医でも及ばない自己治癒能力というものが備わってる。
それで負えないモノならば、寿命と諦めて愉しく過ごす、それでも良いのじゃ~ないかと俺は話したが、本人も現在は自覚症状らしきものもないから、あと3年も生きれば良いと想ってるからと、納得はしておった。
外科医の仕事は切って取って繋ぐ仕事だ。
患者は上手く退院できれば感謝感激するが、それは患者本人の自己治癒能力に負うところが大きい。
当然に手術には技術が必要だが、その後に生き延びるのは、患者本人の話になる。
俺みたいに人間の世界のことなら、すべて即答できるように常々生きて居れば良いが、そうなるには普通の家庭人の何倍もの日常を生きて、そこで必ず起こる色んなアクシデントにも対応して居らねば、難しい。
生きる死ぬの心構えと言っても、良い。
大腸癌が日本人の高齢者には増えているとはよく聞く話だし、人工肛門にして対応するのが現段階では一番良いとも聞くが、切って取って繋ぐことよりも、その後になんで生きるのか? について考えることも必要だろう。
でなければただの医療のモルモットで終わる。
無事手術は終えて退院して、そこからオストメイトの本当の闘いは始まる。
覚悟が出来てなければ、なんのための手術だったんだろうかと、それで終わってしまう話だろう。
俺の場合は、子供らがあちこちに居り、まだ扶養してかなければいけないという現実と、半世紀以上も遊び呆けてる地球の山や海でまた遊んで暮らしたい、それだけを考えて合併症や複合的に起きた障害にも耐えてなんとか今があるが、そりゃ~体力も気力も精魂尽き果てることも度々あった。
・・・だいじょうぶ、なんでも出来るよ! とは簡単に言う。
実際にやって来た者は、簡単には言えないし、自慢げに言うことも無い。
なぜか? いまでも進行形の闘いだからだ。
人間の世界の良かったのか悪かったのか? の評価は、死ぬ時にしか解らないことだ。
京都から新大阪まで景色は、屋根瓦が落ち、ブルーシートがあちこちに被せてある地震の爪痕ばかり。
東北大震災の翌週から、放射線だまりだとか言われた山谷を歩き、その夏には瓦礫の流れ着いてた外房の海で遠泳していたが、地震の爪痕は、どこも同じ光景だ。
昨日の午後、帰りの広島駅、カープのCS初戦応援のファンが、新幹線のホームを赤く染めておったな。
OBで解説者の山崎隆造は高校時代の同級生だが、テレビで見るとやけに爺ィに見える。
さ、あちこちの高齢者の介護ばかりしておったから、今週は真っ赤に紅葉した山に、戻るわさ。
まだまだガキっちょの子供らのために、いつもの重いザックを担いで、ゲロを吐くくらいに歩いてくるわさ。