あいにくのお天気で、高い山はお休みにしたから、89歳になる婆様と90歳になる婆様を連れて、近県の低い山にお花見物の散歩に出掛けて行った。
実母と義母とは言うが、いつも出掛けているからみんな恋人みたいなもんで、腕を差し出して組んでやって、手を繋いで歩いてやってと、色男は高齢者と一緒でも忙しい。
都内のド真ん中で独り暮らしを続けている二人だが、義母の婆さんの方は歩行が怪しくなっておって、キツイと思うまで体操はするように言ってあるが、なかなか幸せ高齢者世代にありがちな手抜きのせいで、筋力の衰えが激しくなった。
ということで歩行器を車に載せて出掛けたが、次からは車椅子の方が良さそうだった。
俺がずっと介護の手配から通院やナニやらに付き添っていたことで、やっと実子の息子も少しは動くようになり、どこまでやるのかは知らないが、俺の負担も少しは減った。
親の老いの速さに驚くのかどうか、即断即決で行動を起こさずに後悔ばかりで生涯を終えるタイプだろう。
常に先手をうって子供らを育てあげ、先手をうって親の介護をする、俺の場合はいつもそうだから、親しく関わった老人はいつも笑って天国まで送ってやって来てる。
持ち出しばかりになってるから、景気の悪い時は扶養家族の多い俺には大変だが、ま~ま~借金・負債がナニも無いから出来ているようなもんさ。
昼に出発して、空いてる高速を走り、1時間くらいで到着して、高齢者でもゆっくり歩ける花の咲いている場所、天気図も俺が確認して、その後に地産地消の旨いモノをゆっくりお喋りしながら食える場所。
毎週何十年も高い山に登り、海で泳いできた俺のオツムには、その辺のコンピューターよりも多くの情報が入っているが、各方面にイロイロと思いを巡らして決めた。
リアルタイムの高速道路情報と天気図を見ながら、最後に現地に電話して状況を聞いてから出発するのは、高齢者同行の場合の基本的なことだ。
事故や道路工事やらがあれば余計な時間がかかる、天気が崩れれば体調も悪くなる、緊急時の薬やナニやらも常に俺のバッグには入っている。
日常に同世代で馬鹿話をする機会が減ってきてる高齢者たちの会話はチグハグでボケが入ってトンチンカンだから、大笑いで賑やかに怒鳴りながら出掛けて行った。
身体障害者が、高齢者二人と癌を退治したのを連れて珍道中。
言いたい放題、毒を吐き、笑い飛ばしてやって、笑ってもらう、これが一番の健康だろう。
暗くなって戻って来たが、少し山を歩かせたせいで最後の予定をこなす前に二人は疲れてしまっておったから、またの機会にと止めにしておいた。
2年前にステージ4の癌になり、そこから抗がん剤治療はやらずに半年で根治させてやった古女房も一緒だったが、三途の川の前で石詰みを始めている者ばかりで、今日一日を、笑って居られる幸せを、キチンと嚙み締めなさい! と説教もしておいた。
身体の構造を理解し、人間の特徴も理解し、地球の恵みの凄さも理解し、現代医学の嘘も見破って、愉快な日常が可能になる。
チンケな新興宗教や、マルチな自然回帰や、おかしな霊感商法なんざも一緒にゴミ箱へと放り込んで、悠々と笑っておれる確信が手にはいる。
車の運転だけでたいして動かなかったが、食欲が減退している高齢者たちに代わって色んなモノもたくさん食べて腹はいっぱい、オモシロ可笑し話ばかり喋り続けていたことで、戻ると高い山に登るのとは違う疲れが俺にも出て来て、布団に入ったらバタンキュウだった。
道に詳しくて、どこでも地元民で、なんでも解り喋りも愉快な爺ィと一緒で、ま~楽しかったようで良かったな。
AIロボットや宇宙開発を進めている時代に、対称的にあの世やお化けを信じている原始人のような大人社会がある。
呪文や経文を唱えて、念じて気を放つと、思いは成就するんだそうな。
墓を守り、先祖を敬い、あの世や霊界のために現世を彩り祭りを習慣化して、誰しも天国に行こうと畏れや躊躇を繰り返す。
神社に詣でて手を合わせ、寺院に詣でて手を合わせ、祈願・お祈りと我欲の成就をお布施やお賽銭で賭けているような、可愛いギャンブルに嵩じている。
俺のオヤジは80後半になって、広い仏間に重々しく据えられたデカイ仏壇の前で、朝夕の読経を慣習としていたが、夕方になると薄暗い仏間で読経を終えると、仏壇に向かって会話を始めていた。
先祖と話をしているうちに、先に亡くなった親しかった者らも現れて、会話は1~2時間と長くなっていた。
真夜中に広い二世帯住宅の中を徘徊して、昼でも幻を見て怒鳴り声をあげたり、不可解な行動が多くなったと婆さんから聞き ラストチャンスだぞ! 俺が全部責任を負って動くから、銀座のそばに二人で来なさい! 家の借金を肩代わりしてやった10年前から、それは言い続けていたが、大丈夫!大丈夫!だと聞き入れなかった。
正真正銘のラストチャンス、コロナ渦でも関係なしに動いてやった。
新しい家での生活設計も紙に書いてくどいほど説明してやって、医者や病院や介護を頼む医師会のケアやら、その段通りも終えていた。
これも俺が関わって来た経験と人脈によって、キチンと出来上がっていた。
東京から一緒に同行した色んな業界のプロの自営の経営者連中とともに、一気にカタをつけてやった。
コロナ渦で婆さんもアチコチの友達らと出掛けることがなくなり、認知で狂い始めた爺様と毎日ずっと過ごすことが大変になり、それならばと二人を呼び寄せた。
飛行機に乗せるだけでも大変だったが、日常に慣れるまでにも大変だった。
進行の遅い直腸癌もあったが、オストメイトになることを勧められた田舎の大病院では外科部長を説き伏せて、俺の方が医療には詳しいと理解させて断ってあった。
心配していた山の上にある十何代もの先祖墓にも出向き、掃除をして供養して土を集め、写真を撮り、今後は俺が銀座から歩ける古く大きな寺院に移すから、承諾するものは連れて行くから俺の肩に乗れ!と明るく宣言し、躊躇うものはまた来るから、それまで寂しく自省の日々を送りなさい、ということにした!と認知が入っていた爺様に報告してやったもんだった。
爺様の世界にすんなり出入りできる者は俺か婆さんだけだったから、婆さんにも芝居をやらせたもんだ。
ワシがナニも出来なかったことを、見事にやり遂げたと、それからは憑き物が落ちたように正気の日々を送り、毎日会えば嬉しそうに握手して俺に手を合わせるオヤジは、可愛い爺様になって大往生したもんだ。
可愛い孫たちも近くにいる、あの世よりも現世をどう愉快に過ごすのか? 教えてやった。
まわりの危惧や反対や、コロナ渦に行動を起こす危険を言うものばかりだったが、鬼か夜叉かと感情を捨てて、計画通りにやり遂げた。
いまでは今年90歳になる元気な婆さんと、笑っていることばかりだ。
あんたのおかげで家は安泰になった、凄い男になったもんだと笑っている。
そう、その辺のボケ爺ィとは違って、あんたの息子は凄いんだよ、笑って聞いている。
政治家に大企業経営者、病院長に各部長、坊主に神主、芸能人にスポーツ選手、メディアに関わる猿達も、みなその日常では地球温暖化を信じ、新型コロナではワクチンをうっておったが、その行動自体で自信の無い足元が丸見えになってしまった。
演説・スピーチ・法話に挨拶、話は上手で声も良い、楽しませてくれる話の中身もなかなかのもの、ところがよせばいいのに地球温暖化やコロナにワクチンの話になると、それを単細胞にも鵜呑みにしている馬鹿猿な姿を晒してしまい、残念な大人として区分けされてしまい、その他大勢と一緒にひとくくり、本当に残念なこった。
日常の生き様が、その人すべてを物語るとは、よく言ったもんだ。
テメ~の命のことですら、国家や専門家、メディア任せで生きて居ることがはっきりと見えてしまった。
もう、利口な子供らや若者たちはそんな大人たちの言うことは聴かなくなるだろう。
当たり前のことだが、命のことですら、貴方任せの優柔不断、自信喪失の群衆心理。
これじゃ~無意識で行動している人殺しと、同じ社会で生きているようなもんだ。
物事をキチンと自分自身で解釈して考えて、すべて日常のことは自分の価値観で生きて居る大人が、いかに少なくなっているか、暴露されたようなもんだった。
馬鹿丸出しとは、このことを言う。
ワクチンや予防医学の怪しい生い立ちは、健康食品やサプリメントにしてもおなじことなんだが、俺は昔から止めとけ! と言っているが、皆さんは健やかに摂取を続けておられる。