今朝のめざましTVで蛇の目傘の事を放映したいました。
この頃見る事が少なくなりました。
僕が小さい頃住んでいた辺りは、大人の男女共、番傘が普通でコウモリ傘はお出かけ用だったと思います。
母はお出かけ用に紺の蛇の目を愛用していて、母が蛇の目を差すのが好きでした。
開いた時の紙と油が混じった一種独特のニオイが堪りませんでした。
僕は幼稚園と保育園の区別がつい最近まで分りませんでした・・・
幼稚園だと思って通っていたのは保育園でした。
当時函南村の新田と言う所に住んでいました。
新田は駅が在りませんので駿豆線の原木(ばらき)駅まで子供の足で15分位歩きました。
原木駅から三島に向かい、2つ目の駅が大場駅、
駅に着くと天神森まで5分位歩き、ここに若葉保育園がありました(今も有ると思います)。
当時この辺りには、この若葉保育園しか在りませんでしたので、
韮山、函南、三島地区の子供が通っていた唯一の幼稚園でした。
毎日首から定期券をぶら下げ、青い服を着てお弁当と手ぬぐいが入ったカバンを肩に通いました。
5~6才の子供に取って、毎日が冒険と好奇心が詰まっていました。
大人は子供の事を『道草食って』と怒りますが、
子供に取っての道草は時間の浪費ではなく未知草なんですね。
今頃の季節だったと思います、母が保育園まで迎えに来てくれました。
多分母の実家、網代に行くためだったと思います。
黄八丈の着物を着て、白い足袋、爪皮の付いた下駄を履き、紺の蛇の目姿で待っていました。
この地域では農家が多かったので、母のような粋な着こなしの母親は居ませんでした。
子供心に得意になったのを覚えています。
今朝のめざましTVを見て当時の事を思い出し懐かしくなりました。
母は今91才です、毎日庭の草を呪いながら草取りをしています。
この頃見る事が少なくなりました。
僕が小さい頃住んでいた辺りは、大人の男女共、番傘が普通でコウモリ傘はお出かけ用だったと思います。
母はお出かけ用に紺の蛇の目を愛用していて、母が蛇の目を差すのが好きでした。
開いた時の紙と油が混じった一種独特のニオイが堪りませんでした。
僕は幼稚園と保育園の区別がつい最近まで分りませんでした・・・
幼稚園だと思って通っていたのは保育園でした。
当時函南村の新田と言う所に住んでいました。
新田は駅が在りませんので駿豆線の原木(ばらき)駅まで子供の足で15分位歩きました。
原木駅から三島に向かい、2つ目の駅が大場駅、
駅に着くと天神森まで5分位歩き、ここに若葉保育園がありました(今も有ると思います)。
当時この辺りには、この若葉保育園しか在りませんでしたので、
韮山、函南、三島地区の子供が通っていた唯一の幼稚園でした。
毎日首から定期券をぶら下げ、青い服を着てお弁当と手ぬぐいが入ったカバンを肩に通いました。
5~6才の子供に取って、毎日が冒険と好奇心が詰まっていました。
大人は子供の事を『道草食って』と怒りますが、
子供に取っての道草は時間の浪費ではなく未知草なんですね。
今頃の季節だったと思います、母が保育園まで迎えに来てくれました。
多分母の実家、網代に行くためだったと思います。
黄八丈の着物を着て、白い足袋、爪皮の付いた下駄を履き、紺の蛇の目姿で待っていました。
この地域では農家が多かったので、母のような粋な着こなしの母親は居ませんでした。
子供心に得意になったのを覚えています。
今朝のめざましTVを見て当時の事を思い出し懐かしくなりました。
母は今91才です、毎日庭の草を呪いながら草取りをしています。