異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

【福岡】日本国憲法公布70周年記念集会&パレード (南野森講演 福岡弁護士会)

2016-10-30 08:42:44 | 憲法
 
 

日本国憲法公布70周年記念集会&パレード

シンポジウム・講演会など


日本国憲法は、来たる11月3日に交付から70年を迎えます。
この70年間に憲法が果たしてきた役割、これから先、憲法に期待される役割について、著名な憲法学者である南野教授の講演を聴いて、一緒に考えてみませんか。


(1)パレード
   日時:2016年11月3日(木・祝)15:00~
   場所:天神中央公園・貴賓館前から講演会場へ

(2)講演会「憲法とは何かを考える」
   日時:2016年11月3日(木・祝)16:00~
   場所:明治安田生命ホール
   (福岡市博多区中洲5-6-20 明治安田生命福岡ビル)
   講師:南野 森氏
   東京大学法学部卒、同大学院修士課程修了、同博士課程、
   パリ第十大学大学院等を経て、九州大学法学部・同大学院法学研究院教授(憲法専攻)

主催:福岡県弁護士会
共催:日本弁護士連合会、九州弁護士会連合会
協力:戦争を許さない福岡県民委員会/九条の会福岡県連絡会
問合:福岡県弁護士会(TEL:092-741-6416)


日本国憲法公布70周年記念集会&パレード
日本国憲法公布70周年記念集会&パレード

 
 

 

 

 


三笠宮さま逝去、軍隊知る最後の皇族/(再)731部隊の生体実験や南京大虐殺に怒った三笠宮崇仁、無かったことにしたい安倍晋三

2016-10-30 08:41:48 | 平和 戦争 自衛隊

 

 

東京新聞 TOKYO Webhttp://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016102790140215.htmlより引用

三笠宮さま逝去、軍隊知る最後の皇族

 ・・・

 三笠宮さまは一九一五年、大正天皇の四男として誕生。三五年に成年式を迎え、三笠宮家を創立した。陸軍大学校卒業後、中国派遣軍総司令部参謀として、四三年から南京に駐在。帰国後の四四年には大本営陸軍参謀として勤務した。

・・・

◆「正義の戦いでなかった」南京の経験語り大戦批判

 「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵(ののし)られた世の中を、私は経験してきた」。戦時中に日本軍参謀として中国・南京への駐在を経験された三笠宮さま。戦後、皇族の立場で「聖戦」の実情を批判的に回顧し、大きな反響を呼んだ。

 紀元節復活の動きにも反対し、復活に賛成する関係者の反発を招いたが、自らの見解は曲げなかった。

 三笠宮さまが南京に赴任したのは、陥落から約五年後の一九四三年。軍紀の乱れを知り、現地将校を前に「略奪暴行を行いながら何の皇軍か」などと激烈な講話をした。当時を回顧した五六年の著書「帝王と墓と民衆」では、「聖戦」とはかけ離れた現実に「信念が根底からゆりうごかされた」と明かしている。

 「罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない」「内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか」

 反響は大きく、非難する文書が三笠宮さまの周辺に配られた。三笠宮さまは当時、「経験と視野はせまいかもしれないが、私は間違ったことは書いていない」と説明している。

 神武天皇が即位したとされる二月十一日を祝う「紀元節」復活の動きには、五七年に歴史学者の会合で「反対運動を展開してはどうか」と呼び掛けた。五九年編著の「日本のあけぼの」では「こんな動きは、また戦争につながるのではないだろうか」と懸念も示した。

 歴史学者として、学問的根拠のあいまいな「歴史」に異を唱えた形だったが、これに反発した賛成派が三笠宮邸に押しかけるなどした。

 八四年の自伝では、南京駐在時に青年将校から「兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突きささせるにかぎる、と聞きました」と記述。「(中国人捕虜たちへの)毒ガスの生体実験をしている映画も見せられました」と明かした。

 九八年に来日した中国の江沢民国家主席(当時)には、宮中晩さん会の場で「今に至るまで深く気がとがめている。中国の人々に謝罪したい」と話したという。二〇〇六年に出版された江氏の外遊記録で判明した。 (森川清志、小松田健一)

 

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(再掲載)

731部隊の生体実験や南京大虐殺に怒った三笠宮崇仁、無かったことにしたい安倍晋三

2015-12-23 12:53:35 | 平和 戦争 自衛隊

◆無謀な太平洋戦争に突入した。架空な歴史を信じた人たちは、また勝算なき戦争を始めた人たちでもあったのである。もちろん私自身も旧陸軍軍人の一人として大いに責任がある

「南京虐殺」についても、
〈最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。
辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係はありません〉
                                                        (文中より)

逝きし世の面影

http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/da3cd0e1f7c7d74d9998a212d420cc1aより転載

731部隊の生体実験や南京大虐殺に怒った三笠宮崇仁、無かったことにしたい安倍晋三

2015年12月22日 
1943年 中国勤務時代に内蒙古を視察、包頭(パオトオ)南方で黄河を渡る三笠宮殿下。軍による検閲で、同行者の肩章を消せとの指示が写真に書きこまれている。皇族軍人であることを秘匿するため、お印にちなんだ「若杉参謀」の偽名を使っていた(朝日新聞社)


『ネトウヨ・B層・反知性』

今の日本国で大流行している嫌韓嫌中ですが、お馬鹿なネットウヨの子供たちは中国の悪口を書く心算なら、本来なら中国語(漢字)の使用は駄目だと気が付かない。
(1970年代以降の韓国や北朝鮮ではナショナリズムが高揚した関係で、ほぼ自国語から表意文字の漢字を追放して表音文字のハングル一本にしてしまう。ところが、朝鮮語は同音異語が多い日本語と同じ構造なので人々は大いに不便をしている。無理やり漢字を追放した結果は、不便で有るばかりか子供達の知識水準も低下するが、そもそもナショナリズムとは『そのようなもの』なのです)
また、韓国の悪口の場合は文化も宗教も経済も社会も人種も、すべての面で世界中で一番『日本に近い』のが(大好きな)アメリカではなくて(大嫌いの)お隣の韓国なので困ったことに、自動的に『日本の悪口にもなる』ことに気が付かない。
汚らしい在日ヘイトスピーチのネットウヨですが、そもそも『在日』朝鮮人の全員が日本にとって他者では無くて、みんなが仲良く『帝国の臣民』だった事実に気がつかない。
安倍晋三など日本の右翼国粋主義者が大好きな(理想とする)70年前の大日本帝国にそっくりなのが実は今の北朝鮮である。うり二つ。何から何まで『同じ』なのです。(昔の大日本帝国のカリカチュアが今の北朝鮮の真の姿であると考えれば分かりやすい)北朝鮮の悪口の場合には自動的に大日本帝国に対する悪口になることに気がつかない。
日本の右翼の北朝鮮への悪口三昧ですが、これ、そのまま自分たちが褒め称える大日本帝国にもぴったりと当てはまる。嫌韓嫌中、ついでに嫌北朝鮮ですが、まさに反知性の極み。
中国が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に申請した南京大虐殺文書の記憶遺産登録に対して、我が日本国政府(安倍晋三)が南京大虐殺を真っ向から否定する『新しい歴史教科書を作る会』の札付きの歴史修正主義のお馬鹿学者高橋某ををユネスコに派遣していたことが発覚しているが、まさに国辱的『ネトウヨ・B層・反知性』の見本である。




(資料)『南京大虐殺に怒った三笠宮崇仁』2015/12/9(水) 河信基の深読み

今月2日に百歳になった三笠宮が陸軍少佐とした赴任した南京で見聞した日本軍の数々の残虐行為に驚愕し、南京大虐殺に怒った事は意外と知られていない。
その事実は兄の昭和天皇にも知らされており、兄弟共に暴走する日本軍への不信感を募らせていたことがうかがわれる。

南京大虐殺を否定する歴史修正主義者には写真がどうのと重箱の隅をつつくような些末な議論に流れ、旧日本軍を庇う傾向が認められるが、精神の貧困と言わねばならない。
『二人のプリンスと中国共産党』で、軍部に操られた昭和天皇は実は反戦主義者であり、海外侵略にのめり込む軍部に不満を強め、ポツダム宣言を受け入れる「聖断」に繋がったと書いたが、三笠宮の証言からも改めて裏付けられた。

三笠宮は結婚70周年の2011年10月に発表した感想で「結婚の時、私は陸軍大学の学生だった。間もなく戦争となり、支那派遣軍総司令部の参謀として南京に赴任した。帰国後、大本営参謀などを務めているうちに、敗戦となった。空襲で屋敷が全焼し、経済的な労苦は大きかった」と回想している。戦後は東大でオリエント史を学び、学者の道に進んだ。生物学の研究に打ち込んだ兄の昭和天皇と似た経歴である。
問題の南京赴任時代について自著『帝国と墓と民衆』(1956年光文社)に付した「我が思い出の記」で以下のように生々しく触れている。

「わたしの信念が根底から揺り動かされたのは、じつにこの1年間であった。いわば『聖戦』というものの実態に驚きはてたのである。罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない。かかる事変当初の一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とは思いもつかない結果を招いてしまった。
この失敗は軍および日本政府首脳に真剣な反省をうながし、新たに対華新政策なるものが決定され、わたしが南京に赴任していた1年間は、司令官以下この方針の徹底に最大の努力をした。
新政策が発表されるや、軍司令官はただちに『四悪』を禁止するという厳重な命令をくだした。四悪というのは略奪、暴行、放火、強姦のことである。ある第一線の大隊長のいうことがふるっていた。今までは敵のいた家は焼きはらって進んでいた・・。ところが放火を禁ぜられてみると、第一線がどこにいるかさっぱり分からない、と。まったく笑えないナンセンスであった。正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか」

三笠宮はコードネーム若杉参謀として南京に赴任していたが、帰任直前の1944年1月、将校らの前で講話し、軍紀の乱れや残虐行為を厳しく指弾した。
それは1994年に「支那事変に対する日本人としての反省」として公表された。

しかし、三笠宮自身、罪悪感に長く苦しんできた。
「紀元節復活に反対運動を展開してはどうか」(毎日新聞1957年11月13日)と呼び掛け、『紀元節についての私の信念』(文藝春秋1959年1月号)で次のように心情を明かしている。
「昭和15年に紀元二千六百年の祝典を行った日本は、翌年には無謀な太平洋戦争に突入した。架空な歴史を信じた人たちは、また勝算なき戦争を始めた人たちでもあったのである。もちろん私自身も旧陸軍軍人の一人として大いに責任がある。だからこそ、再び国民をあのような一大惨事に陥れないように努めることこそ、生き残った私の責務だと考える」

さらに、「今もなお良心の苛責にたえないのは、戦争の罪悪性を十分に認識していなかったことです」(自叙伝『古代オリエント史と私』1984年学生社)と告白し、南京の実態について赤裸々に明かす。
「ある青年将校ー私の陸士時代の同級生だったからショックも強かったのですーから、兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突き刺させるにかぎる、と聞きました。また、多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し、毒ガスの生体実験をしている映画を見せられました。
その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州事変を調査するために国連から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかったと語っていました」

当然、南京大虐殺を否定する一部の歪んだ風潮については批判的であり、「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。人数は関係ありません」(『This is 読売』1994年8月号)と厳に戒めている。
注目すべきは、兄の昭和天皇とそうした認識を共有していたことをうかがわせる次の部分である。
「中国側は日本軍の残虐行為を『勝利行進曲』という映画にしていましたが、それを日本側が重慶あたりで没収してきたものを手に入れた私は、東京に連絡で戻った時に、その映画を持っていき、昭和天皇にもお見せしたことがあります。宣伝の部分も多いでしょうが、多くの部分は実際に行われた残虐行為だったろうと私は考えております」(同)。

南京大虐殺を否定する保守系メデイアは三笠宮を「赤い宮様」などと揶揄し、その発言を封じようとしてきた。
だが、現場を踏んだ証言の信憑性はいささかも揺るぐことがない。

『二人のプリンスと中国共産党』で、昭和天皇夫妻は「キリスト教の“秘密の洗礼”を受けた」と、タブーを明かした。戦前から聖書の講義を定期的に宮中で受けていたと『昭和天皇実録』に記述されており、キリスト教界の内部証言等で裏付けたが、三笠宮と共有していた罪悪感も心理的に作用したと思われる。
昭和天皇の人間宣言は、GHQに強要されたものではなく、自発的、必然的であった。


12月2日に100歳を迎えられた三笠宮崇仁親王殿下


『南京虐殺は“人数に関係はありません”のお立場「三笠宮殿下」』12月17日発売週刊新潮2015年12月3日号

12月2日に100歳を迎えられた「三笠宮崇仁親王殿下」で思い出されるのは、皇族らしからぬ「斬新なお言葉」の数々である。例えば1956年に上梓された『帝王と墓と民衆』(光文社)に付された『わが思い出の記』の中で、1年間ご赴任された南京で見聞した日本軍の行状をこう嘆かれている。

〈一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とはおもいもつかない結果を招いてしまった〉
〈内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか〉
同じ頃、世間では48年にGHQの意向で廃止された祝日・紀元節を復活させようとの気運が高まっていた。
そんな中、57年11月13日付「毎日新聞」は、ある歴史学者の祝いの席でなされた三笠宮さまの発言を報じている。

〈二月十一日を紀元節とすることの是非についてはいろいろ論じられているが、カンジンの歴史学者の発言が少ないのはどうしたわけか。紀元節問題は歴史科学に影響するところが大きいと思う。(中略)このさい、この会をきっかけに世話人が中心となって全国の学者に呼びかけ、二月十一日・紀元節反対運動を展開してはどうか。(中略)この問題は純粋科学に属することであり、右翼、左翼のイデオロギーとは別である」〉
学者の立場から「紀元節に科学的根拠なし」との論陣を張った三笠宮さまは、その後も、

〈紀元節についての私の信念〉(「文藝春秋」59年1月号)と題した論文を発表。
〈日本人である限り、正しい日本の歴史を知ることを喜ばない人はないであろう。紀元節の問題は、すなわち日本の古代史の問題である〉
そう強調され、以下のように結んでおられたのだ。
〈昭和十五年に紀元二千六百年の盛大な祝典を行った日本は、翌年には無謀な太平洋戦争に突入した。すなわち、架空な歴史――それは華やかではあるが――を信じた人たちは、また勝算なき戦争――大義名分はりっぱであったが――を始めた人たちでもあったのである。
もちろん私自身も旧陸軍軍人の一人としてこれらのことには大いに責任がある。
だからこそ、再び国民をあのような一大惨禍に陥れないように努めることこそ、生き残った旧軍人としての私の、そしてまた今は学者としての責務だと考えている〉


■「毒ガスの生体実験をしている映画」

こうしたお考えの集大成ともいえるのが、84年に刊行された自叙伝『古代オリエント史と私』(学生社)である。そこでは、

〈今もなお良心の苛責にたえないのは、戦争の罪悪性を十分に認識していなかったことです〉
と前置きしつつ、南京での実態をさらに詳述され、
〈ある青年将校――私の陸士時代の同級生だったからショックも強かったのです――から、兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突きささせるにかぎる、と聞きました。
また、多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し、毒ガスの生体実験をしている映画も見せられました。
その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州事変を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった、と語っていました。
「聖戦」のかげに、じつはこんなことがあったのでした〉


■〈昭和天皇にもお見せしたことがあります〉

南京から帰任する直前の44年1月、三笠宮さまは“若杉参謀”の名で将校らを前に講話をなさっている。
軍紀の乱れや現地軍の独走を激しく指弾する内容は「支那事変に対する日本人としての内省」という文書にまとめられ、94年には半世紀ぶりに公表された。
当時、月刊誌の取材でご自身は、いわゆる「南京虐殺」についても、
〈最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。
辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係はありません〉(「THIS IS 読売」94年8月号)
そう断じており、
〈中国側は、日本軍の残虐行為を『勝利行進曲』という映画にしていましたが、それを日本側が重慶あたりで没収してきたものを手に入れた私は、東京に連絡で戻った時に、その映画を持っていき、昭和天皇にもお見せしたことがあります。
もちろん中国が作った映画ですから、宣伝の部分も多いでしょうが、多くの部分は実際に行われた残虐行為だっただろうと私は考えています〉
老境に差し掛かってもなお、決して節を曲げることはなかったのである。
「特集 『三笠宮殿下』百寿祝いで思い出す『紀元節反対』と『南京虐殺言及』」  週刊新潮2015年12月3日号
 
 
 

 

 


唯一の被爆国の政府がこれでは!なぜ、核兵器禁止条約の制定に反対するのか。世界も被爆者も信じられません!〔NHKニュース「政府の裏切り」〕

2016-10-30 08:40:49 | 核爆弾 広島長崎

山下 満昭 ‏@jcpnagasaki2時間前
「世界の多くの国々が、核兵器を本当になくすためにすごい努力をしているのに、唯一の被爆国の政府がこれでは」と、長崎の被爆者のみなさんの怒りは尋常ではありません。
なぜ、核兵器禁止条約の制定に反対するのか。世界も被爆者も信じられません!


 

被爆者団体「政府の裏切り」 - NHK長崎県のニュース - NHKオンライン

www3.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/5033944991.html

10月28日 19時33分

国連総会の委員会で採択された核兵器を法的に禁止する初めての条約の制定を目指す決議に、日本政府が反対したことについて
長崎の被爆者でつくる5つの団体は、「核兵器廃絶は被爆者の悲願で、裏切り行為」だとして、安倍総理大臣に対し抗議文を送りました。
これは長崎の被爆者でつくる5つの団体が28日午後、長崎市で記者会見して明らかにしました。...

それによりますと抗議文では、核兵器を法的に禁止する条約の制定を目指す決議が採択されたことについては、「長年の悲願であり、
心底喜びたい」と評価しています。
その一方で、政府が決議に反対したことについては、「世界各国が核兵器廃絶に必死に取り組む中、唯一の被爆国の我が国が米国の
ご機嫌伺いでいいのか。政府の取った裏切り行為に対し、怒りを込めて抗議する」と非難しています。
記者会見した長崎県被爆者手帳友の会の井原東洋一会長は、「これまで政府は核保有国と非保有国の橋渡しになると言ってきたが、
今回の対応は大きく矛盾している。
二枚舌は断じて許されない」と話しています。
5つの被爆者団体は、28日夕方安倍総理大臣に対して抗議文を郵送したということです。

                                                 画像by田中 隆夫さんFB

 

 

 


 


▼世界の人々が問い掛けていることだろう。ヒロシマはどこにあるのか、ヒロシマはニホンにあるのか。

2016-10-30 01:33:59 | 核爆弾 広島長崎

中日新聞 中日春秋(朝刊コラム)

http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2016102902000133.htmlより転載

中日春秋

 

 <ヒロシマはどこにあるのか/ヒロシマはヒロシマにあるのか…>。
そう問い掛ける詩がある。
『原爆詩一八一人集』に収められた風山瑕生(かざやまかせい)さんの「ヒロシマはわがもの」だ

▼詩人はうたう。<すべての国々は ヒロシマを持つべきだ
…ヒロシマに水はながれ
ヒロシマに木はしげり
人々は屋根をかかげて
生きる日々にちからをそそぐ
うるわしいヒロシマはきみのもの
だが ヒロシマの始源の日をおもえ/夏の朝の惨劇もきみのもの…>

▼国連で来春から、「核兵器禁止条約」をつくるための交渉が始まることになった。
「ヒロシマを持つ」。
そう決意した百二十三もの国々が、交渉開始の決議案に賛成したのだ

▼しかし、その百二十三の国の中に、日本は入っていない。
反対したのだ。
「(交渉の)足を引っ張らないでほしい。
もしそういうことをするなら、被爆国と言ってほしくない」。
自ら被爆し、広島市の原爆資料館の館長を務めた原田浩さん(77)が口にしたという言葉が何とも、やりきれない

▼ヒロシマがあり、ナガサキがある。
そして、フクシマがある。原爆と原発。
核の恐怖をこれほど知り尽くした国はないのに、この国の政府は核兵器禁止に尻込みし、脱原発にも後ろ向き。
核の呪縛を解こうとしない

▼世界の人々が問い掛けていることだろう。ヒロシマはどこにあるのか、ヒロシマはニホンにあるのか。

 

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「TPPは国益ではなく、多国籍企業益である」・・・日本の共済保険も協議対象、アメリカ保険会社に不利益と!

2016-10-29 22:49:29 | TPP

「TPPは国益ではなく、多国籍企業益である」
 TPP参加交渉からの即時脱退 ...
iwj.co.jp

 


長谷川 宏さんFBより

今衆議院で審議されているTPPの理念を一言で簡単に言えば、「グローバル(米国)企業の金もうけにとって、邪魔になること、不利になることは、加盟国では絶対に許さない」ということ。そこで1つのターゲットになるのが、日本の共済(保険)。

いわゆる「民間」保険会社が営利企業で、基本的に「金もうけが目的」なのに対し、日本の「全労済」などの共済は、利益を上げることが目的ではなく、相互扶助の精神が基本。だから保険料が割安で、年度末の割戻金も多く、米保険会社から見れば「商売の邪魔」。利益追求を目的とする企業があまりに強大な力を持ちすぎたことが、現代社会においてさまざまな問題やひずみを生んでいることは、あらためて私が指摘するまでもない事実。

その意味で、利益追求を目的としない共済や生協などの組織は、「企業の利益至上主義」に毒されてしまった社会を良い方に変革する鍵になる可能性がある。それがTPPで潰されてしまうかも知れない。この問題は、「庶民にとってお得な保険がなくなってしまう」などという小さな話ではない。「たとえ市民を犠牲にしてでも、すべては(グローバル)企業の利益のた...めに」という社会に向かって日本がさらに突き進むかどうかの瀬戸際に私たちは立たされている。

以下記事より一部引用: 

「米国、対日要望書で『共済潰し』へ本腰…『米国保険会社に不利益』を訴え、国際問題化も」
 Business Journal 2016.03.20
「共済等への優遇措置は政府が日本の金融・資本市場の健全な育成を促進する能力を損ない、金融改革の下でこれまでに達成した成果を脅かすこととなる。さらにはGATS上の日本の国際通商上の義務に関する問題を提起している」
 以上より、「共済等への優遇措置」が国際通商上の義務に関する問題であると警告しているのである。

 こうした指摘は、米国政府が共済問題を国際的にTPP(環太平洋経済連携協定)やWTOで紛争案件として取り上げ、圧力をかけていこうという狙いであることは明らかである。
TPPにおいても、金融サービスが章として立てられており、そこでは「自国の投資家に与える待遇よりも不利でない待遇を与える」ことを明記しており、紛争処理規程も盛り込まれている。日本で経営している米国系外資保険会社が、共済より不利な待遇であるとして、米国政府が訴えることは十分考えられるのである。(中略)
 いずれにせよ、全共済が米国政府によりTPPやTiSAの舞台で問題にされ、国際的な圧力にさらされることになる。その背後に、米国多国籍保険会社が暗躍していることはいうまでもない。



<関連記事>

「TPP 共済も協議の対象 衆院特委 畠山議員に担当相認める」しんぶん赤旗 2016年10月29日(土)より以下一部引用:
 日本共産党の畠山和也議員は28日の衆院環太平洋連携協定(TPP)特別委員会で、TPPによって日本の共済制度が、米国の金融業界の利益のために改変される危険性を追及しました。
 仲間同士・団体の構成員同士の自主管理で運営される共済を、米国通商代表部(USTR)や米国の業界団体は、営利目的の米国の保険会社と同等の競争環境下に置くよう要求しています。


 ~アメリカの保険制度には自由と選択肢があるが、これがとんでもない結果を起こした

 

医師が警鐘を鳴らす!TPPで日本の医療が米国型の医療制度に変わる理由

 

アメリカがTPPで日本の国民皆保険制度を撤廃させたい理由