古歌学の「詠題を深く心にとどめよ」とは噛み砕いて言えば、己が胸中に花を咲かせ月を輝かせて生きよ、との意味だ。
禅の「心月輪」とも似た所がある。
俳句では高浜虚子の唱えた「花鳥諷詠」がある。
虚子の俳句は戦後の第二芸術論などで暇な老人趣味と馬鹿にされた。
(花鳥諷詠扁額 高浜虚子筆)
しかし私はこの花鳥諷詠の思想は名句を詠むためでは無く、より良い人生やより深い日常を送るための教えだと思う。
そもそもこれは少数の専門俳人向けではなく、広く一般の俳句愛好者達に向けて発した言葉だ。
自然の四季と俳句のある暮しがどれほどの至福をもたらしてくれるかを言っているのだろう。
確かに大した作が出来なくとも暮しの中で句歌を詠む事で、誰しもが季節や人生をより深く味わえる。
虚子自身の句集でも名作はごく一部で、ほとんどがただ楽しそうに詠んでいるだけの句なのだから間違いない。
日本の句歌は欧米の芸術思想とは全く違う、普通の人々の生み出す生活詩だ。
虚子はそれを実践し、凡作の句を日々詠んで飽きなかった。
(高浜虚子第1〜5句集 初版 獅子牡丹染付壺 明時代)
写真の他にも虚子の俳書類は初版でほとんど揃っている。
と言っても数多ある古書の中でも句集はかなり安い方なので、その気になればネットですぐ揃えられる。
句集には美しく凝った装丁の書はほとんど無く、簡素さが売りの俳句ではさもありなんと言った所だ。
そして虚子の句集を読めば誰もが「こんな句でも良いんだ」と思えるだろう。
そして自分も一人前の俳人になった気分になれるのだから、やはり高浜虚子の教えは偉大なのだ。
句は並出来でも書は常に上手い虚子の、夏から秋口の短冊。
(直筆短冊 高浜虚子)
俳句和歌の短冊類は長年こつこつ集めて、今では虚子だけで十二ヶ月分掛け替えられるほど揃った。
他の俳人歌人の短冊も現代人には判読できない物が多く、お陰で探していれば驚くほど安価で入手出来る。
また筆跡や印譜の鑑定資料さえあればネット上の写真と照合しながら選べるから、収集も昔と比べれば格段に楽になった。
ーーー涼しさの五指を舞はせて水仕事ーーー
今の私は介護の隙に手早く家事を済ます日々だが、そんな時でもこんな俳句なら出来る。
日本の俳句短歌は四季折々の寸暇でさえ本で読んで楽しめ、自分で詠んで楽しめ、短冊や軸を飾って楽しめる。
しかも掛かる費用は安上りな所がこの病労苦の隠者には有難い。
©️甲士三郎