鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

373 夢幻の中世和歌(結)

2024-10-31 12:51:00 | 日記

もともと温暖な鎌倉では秋が遅く12月末まで紅葉が残るほどで、暦の上では立冬後の11月からが最も秋らしい景となる。

京都や各地の名所のような派手な紅葉は無いが、やや沈んだいかにも中世を想わせる寂光の秋色は隠者好みだ。


平安末から中世にかけては社会全般に末法の世の無常感が強く影響していて、無常感から閑寂の美へ、閑寂から幽玄の美への深化は必然の流れだった。



(秋篠月清集 玉吟集 桃山〜江戸初期写本 瑪瑙製癖邪 明時代)

定家と共に新古今集の撰者だった藤原良経の家集「秋篠月清集」と藤原家隆の「玉吟集(壬二集)」は、中世幽玄体の先駆けと言えるだろう。

淋しい悲しいと想いを直接歌っていた万葉集古今集に比べ、叙景の奥深くに想いを託した歌風となっている。

「雲はみな払ひ果てたる秋風を 松に残して月を見るかな」良経

「古郷は浅茅が末になり果てて 月に残れる人の面影」良経

「志賀の浦や遠ざかりゆく波間より 氷りて出づる有明の月」家隆

「逢坂や明ぼのしるき花の色に おのれ夜ぶかき関の杉むら」家隆

最後の家隆の一首なども、明方の桜色に染まる光の中に暗緑色の杉木立だけがまだ夜闇を纏っていると言う、伝統の古今調の詞を使いながら繊細な写生眼の行き届いた歌風が新鮮だ。


「広沢の池に宿れる月影や 昔を照らす鏡なるらむ」後鳥羽院

幽玄体の歌風は後鳥羽院が主導した新古今和歌集の時代から増えて来る。

そしてその新古今集や後に続く玉葉集風雅集を誰よりも高く評価しているのが本居宣長だ。



(美濃の家苞 本居宣長 江戸時代 色絵香合 明時代)

この「美濃の家苞」は宣長による新古今集の評釈書で、現代でもこれ以上の評論は無いほどの名著だと思う。

その宣長も絶賛する中世和歌界の最大のスターは、斎宮の巫女の式子内親王と鎌倉六代将軍だった宗尊親王だ。

「夢のうちも移ろふ花に風吹きて しづ心なき春のうたた寝」式子内親王

「日かげ()さす枯野の真葛霜とけて 過ぎにし秋に帰る露かな」宗尊親王

さらに忘れてはならないのが京から東下し鎌倉幕府の和歌と蹴鞠の指南役となった飛鳥井家初代の雅経で、源実朝はじめ我々東夷の和歌の祖師でもある。

「影とめし露のやどりを思ひいで 霜に跡とふ浅茅生の月」飛鳥井雅経

これらの玲瓏夢幻なる古歌に良き茶菓でもあれば、秋深む我が茅舎も自ずと離俗の歌仙境となってくれる。


ーーー末の世の雅の友を灯に呼ばひ 笛に呼ばひて野風狂ほしーーー

無常なる中世の秋の風情にはバロックのリコーダーやオーボエのコンチェルトなどがこよなく似合う。

古楽と共に近所の夕暮れの秋野を逍遥すれば、風間深くに旧き歌友の声さえ聞こえて来よう。



戦乱の終わった江戸初期には後水尾院を中心に華々しく王朝文化が復興される中で、わかる者にしかわからない幽玄体和歌は次第に忘れ去られて行った。

幾つかの中世歌学書にも、幽玄体は難しいので初学者は手を出すなとある。

幽玄体和歌が残ったのは意外にも「水月伝」「月之抄」などの兵法書や諸芸の奥義秘伝の中だった。

「吾とわが心の月を曇らせて よその光を求めぬるかな」上泉秀綱

柳生一門は沢庵和尚を師と仰ぎその兵法書にも古歌や沢庵の道歌を使っている。

「萩に露つゆには月を宿しつつ 風吹かぬ間を夢の世と知れ」沢庵

上記の「玉吟集」にもこの歌に近い作がある。

「露や花はなや露なる秋くれば 野原にさきて風にちるらむ」家隆

私も古人達に習い、本歌取りで中世風の夢幻歌を詠んでみた。

ーーー花に露宿れば露に花の香の 宿りて一夜夢を一つにーーー


戦後昭和の物質主義下では中世人の幽玄美も夢幻性も絵空事だと否定されたが、21世紀のエンターテイメントではどの分野でもファンタジーが一番人気となっているのだ。

アメリカでエミー賞18冠の大記録を作った真田広之監督のドラマ「将軍」は、全編に流れる幽玄な様式美が圧倒的に評価され、物語中のオリジナルの連歌(作者はベルギー人)もまた好評だったと聞き、この隠者も心から嬉しく思う。


©️甲士三郎


372 夢幻の中世和歌(3)

2024-10-24 12:51:00 | 日記

鎌倉の遅い秋も徐々に深まり酷かった体調もかなり良くなった所で、今週もまた古筆を飾り古の歌友らを呼んで夢幻境に遊ぼう。


小倉色紙などの名筆で有名な藤原定家だが、それと同時に個人的な日記や覚書での悪筆もまた有名だった。

実は我家にもその悪筆の方の定家切なら一つある。



(伊勢集書写切 藤原定家筆 平安末頃)

「春事に花の鏡となる水は 散りかかるをや曇ると言ふらむ」伊勢

定家が伊勢集数首を写した走り書きで、例の悪癖の強い筆跡と紙の時代から判別し易い歌切だった。

幽玄論は定家以前から唱えられて来たが、定家自身は幽玄体より有心体の歌を最上の物と思っていたようだ。

加えて父俊成の閑寂を良しとする幽玄論も混ざり後世の者達が定家の歌論を勘違いした節がかなりあって、そのせいで定家直系の二条流の和歌は幽玄より有心体が主力となっていく。

ーーー秋影に古び掠れし歌切の 灯色を映す恋の崩し字ーーー


歌学の面ではやはり定家の言葉は絶大でその後継の二条家により江戸時代まで影響を与え、この隠者も二条流の相伝は受けているのだ(前出)



(二条流口伝書写本 江戸初期 黄瀬戸茶碗 古美濃花入 江戸初期)

定家の唱えた有心体は過去の類型に陥っていた感情表現を実感ある詞に変え、なお深みがあり奥ゆかしい心持ちを幽玄と評している。

写真はその定家以来の有心体歌論を伝える二条流「五儀六體」口伝書。

今でも和歌の入門初学に限れば、余分な近代思想に汚されていないこの書の純粋さは価値がある気がする。

しかしながら彼の百人一首の選は全く頂けない。

元々百人一首は定家が似た歌を二首づつ五十組集めた集にすぎず、彼自身他にも他に依頼人の好みに応じた百首選集が幾つもある。

特に名作選でも無いこの百人一首ばかりが有名なせいで、今の世に和歌はつまらない物だと思われているのが残念だ。

ーーー荒庭に金木犀の香の満ちて 一生(ひとよ)に読めぬ程の書もありーーー


私には百人一首よりも中世幽玄体の新古今集、続古今集、玉葉集風雅集の方が遥かに好みに合う。



(短冊貼混軸 藤原家隆他 古瀬戸花入残欠 鎌倉時代)

写真は定家と並び称された歌人で共に新古今集の撰者を務めた藤原家隆らの歌短冊貼混ぜだ。

昭和初期に正岡子規の後のアララギ派が自分達の稚拙な写生論を持ち上げるために新古今集をこき下ろした論調は、今見ると全く歌論にもなっていない只の罵詈雑言に聞こえる。

しかしその後の国粋主義の台頭と共に起こった万葉集ブームにも流され、新古今集やそれに続く中世幽玄和歌は顧みられなくなって行く。

ーーー古庵の落葉に埋まり灯に籠り 歌詠み交はす我と我が影ーーー


中世と変わらぬ鎌倉の山々の秋景は、日々の散歩時にも古の歌人達の想いを伝えてくれる。

来週は新古今集評釈の決定版である本居宣長の「美濃の家つと」を伴えて、夢幻の中世和歌世界をじっくり味わおう。


©️甲士三郎


371 夢幻の中世和歌(2)

2024-10-17 12:58:00 | 日記

長い夏が終りやがて温かい茶や珈琲に適した時期ともなれば、詩歌も書画も音楽もいっそう味わい深くなる気がする。

澄んだ秋気のお陰で酷暑に弱った体調もようやく快方に向かい、この数ヶ月あまり進まなかった思索にどっぷり浸れる。

テーマは引き続き中世幽玄体だ。


鴨長明の「無名抄」は数ある歌学書の中でも、これこそ我が師父とも頼む金言の書だ。

特にその中の幽玄論はようやく研究も進み、今や英語や中国語にも翻訳されている。



(無名抄写本 鴨長明 古信楽蹲壺 古萩唐人笛茶碗 江戸時代)

藤原定家の幽玄論ではまだ奥ゆかしさを指す程度の認識だったが、この鴨長明や心敬らによってようやく今我々が思う幽玄に近づいたのだ。

「言葉に現れぬ余情、姿()に見えぬ景気なるべし。」

これが長明の言う幽玄体だ。

例歌では藤原俊成の「面影に花の姿を先だてて 幾重越え来ぬ峰の白雲」を褒め称えている。

心に咲く真の花を探して雲中の夢幻境を旅するようなこの歌に、彼の思う幽玄を強く感じたのだろう。(桜と雲は古歌ではしばしば同一視される)

長明自身の詠んだ歌では「石川や瀬見の小川の清ければ 月も流れをたづねてぞ澄む」が絶品だ。

玉依姫伝説の糺(ただす)の森の水面に映る月は、まさに中世の幽玄その物だろう。

私もこの隠者の祖師の教えを辿って行こう。

ーーー川を越え月の光を遡り 世隠れの師を尋ね行かましーーー


野辺の月光と虫の音の中で古歌集を読めば、秋の情趣もまた一段と深まる。



(風雅和歌集 江戸初期版本)

定家や長明の歌論の後、実作面で幽玄体が広まるのは鎌倉末から室町時代にかけてで、禅の影響も受け入れながら能楽、水墨画、石庭、侘茶などと共に世界に類を見ない独特の美意識にまで発展した。

幽玄なる和歌も増えて来た玉葉集風雅集を選した京極為兼は、自身も実景と幻影の境を漂う新歌風を作り上げ、「心のままに詞の匂ひゆく」と言う歌学史上に残る名言を残している。

勅撰の玉葉、風雅和歌集から幾首か紹介しておこう。

「泊まるべき宿をば月に憧れて 明日の道行く夜半の旅人」京極為兼

「沈み果つる入日の際に現れぬ 霞める山のなほ奥の峰」同

「明方の霜の夜鴉声さえて 木末の奥に月落ちにけり」伏見院

「月を待つ暗き籬の花の上()に 露を現す宵の稲妻」徽安門院

現代では忘れ去られているこの和歌集こそは日本独自の美意識の深奥、夢幻なる中世幽玄体の完成形だと思う。


さて先月まだ蒸暑くて見送った秋月の宴の時がやっと来た。

松村景文の月兎の絵に秋の供物を並べ、今宵の宴は江戸時代の京都の風情に浸ろう。



(月兎図 松村景文 江戸時代 李朝燭台)

京で住まいの近かった蕪村と円山応挙は良く行き来しており、その双方の後を継いだ呉春らの四条円山派は当時一世を風靡したが、何故か今はあまり人気がない。

その円山派を代表する松村景文や岡本豊彦もまた江戸後期の大歌人香川景樹らとの交友も盛んで、京都の文雅の伝統と詩情を汲んだ瀟洒な作風だ。

我家には人気が無く手軽に買えた呉春、景文、豊彦の絵がいつの間にか十数枚も溜まり、季節季節に掛け替えて楽しんでいる。


晩秋は日本の幽玄美に浸るのに最も良い時期だ。

鎌倉は12月まで秋が続くので、ゆっくり思索を深める事が出来るだろう。


©️甲士三郎


370 夢幻の中世和歌(1)

2024-10-10 12:55:00 | 日記

暦の節季はもう寒露となり、やっと我が谷戸も秋の気配となって来た。

燈火親しき秋の夜は、読書人には最良の時節だろう。


さてここ数年、どうも相当な旧家や古寺などからまとまって放出されたらしい中世の古今切や古筆の良品が市場に大量に出回っている。



(直筆短冊 飛鳥井雅世 室町時代 竹彫筆筒 明時代)

平安末の俊成定家はじめ中世の錚々たる名筆の古筆家極め付(鑑定札)の歌切が、ネットオークションなどでも撰り取り見取りの状況で、書道愛好家達には我が世の春だろう。

私は名筆手鏡の古今集切ではなく自詠歌の短冊を幾つか入手した。

中でもあまり知られていない中世歌道家の雄、飛鳥井雅世ほか一族の短冊が見つかったのは幸運だった。

「風立たぬ名越の波は静かにて 干潟を漁るあしたづ()の声」雅世

飛鳥井家は代々将軍家の和歌と蹴鞠の指南役として鎌倉に赴任していて、当時たびたび争乱のあった鎌倉の名越の浜の平和な景を詠んだ歌は、飛鳥井流幽玄体では無いものの地元に住む私に取って感慨深いものだ。


南北朝以降の叙景的な幽玄歌は今で言えば一種のファンタジー映像なので、物質主義に毒された20世紀の学者評論家達にはなかなか情景が想起出来ないようで、あまり世に紹介されて来なかった。



(直筆短冊 飛鳥井歴代 室町時代)

そして先週遂に念願の室町飛鳥井家歴代の直筆短冊が揃い、文雅の徒としては赤飯を炊いて祝うべき慶事となった。

「秌(あき)の夜は己が臥所に置く露の 玉のうさぎを友と見るらし」雅親

彼にとって兎も露も月もファンタジー世界の草枕の友なら、私にはこの飛鳥井雅親、雅康、雅俊達がみな夢の歌宴の友に思える。

ーーー月明り留める秋の古庵の 闇辺に現()れや旧き歌友ーーー

貧しき隠者ももせめて彼等との歌宴の華やぎにと、若い家人が教えてくれたスクリャービンの高雅なるコンチェルトを買って手向けた。

飛鳥井流の夢幻和歌に最も合うのは断然ロマン派のピアノコンチェルトだ。

(たえ)なる音曲は俗世の騒音を打ち消し、詩歌の浄域の結界となってくれる。


残念ながら戦後昭和の日本伝統文化の否定と西欧化で、和歌千年の夢幻世界は失われた。



写真は中世歌学の口伝を集めた細川幽斎の「耳底記」で、夢幻の和歌世界に浸るのに格好の手引書だ。

現代人は自分の時代の文化こそ最も高度な物だと信じているが、たぶん現実世界の厳しさは中世の方が上だったが故に、夢幻世界も今より余程美しかったのだろう。

例えば凡人の恋の一場面をリアルに描くのが現代短歌の主流だが、中世歌人は恋を美しき神話にまで昇華させようとしたのだから大違いで、返す返すも敗戦後の伝統文化否定が情け無くなる。


昭和頃は国文学者達まで万葉集贔屓で中世和歌はどうにも低評価だったが、玉葉風雅集や続古今集などはスピリチュアルなセンスが無い人には観応も出来ないから、今考えればそれも仕方なかったのだろう。

それより私は近年のアニメゲームなどのファンタジーで育った若い研究者の感性に大いに期待している。


©️甲士三郎


369 秋麗のコンチェルト

2024-10-03 13:05:00 | 日記

ーーー花底に空色呼ばひ露の玉ーーー

10月に入り今週は衣更と同時に部屋も什器類も秋冬用に模様替えだ。

秋にふさわしい床飾りや花入に詩歌書や音楽は酷暑期とは段違いに豊富に選べ、毎週それらの取合わせを考えるだけでも心が浮立つ。


夏が長くなったせいで年に4〜5回も無くなった真に秋麗なる日は、滔々と流れる管弦の中にピアノの音色が細波のように煌めく音楽の中で過ごしたい。



(ハーミットレリーフ 20世紀初頭 古美濃花入 江戸時代)

ピアノと管弦の曲の中では最も隠者好みのラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」は、天地の澄み切った秋晴れの日にこそ聴くべき名曲だ。

卓には庭や野の草花を摘んで我が聖なるハーミットレリーフを飾り、普段より少し上等な珈琲を淹れ、我が残生でもそう多くは無さそうな秋の好日をしみじみと味わうのだ。


また音楽その物も時節に適った良き設えの座で聴けば、更なる美しさや情趣を感じられよう。



(茜富士 奥村土牛 青磁花入 元時代)

協奏曲では大抵第2楽章がどれも落ち着いた曲調で秋には良く似合う。

反対に第1楽章は大時代的な大音響や速弾きで聴衆を驚かすのが通例だったので、今聴くとやや煩く思えるのだ。

大音量の迫力ならもっと後世のビートが効いたロックミュージックの方が迫力がある。

そう言う訳で穏やかな秋の陽射しには、先ずショパンのピアノコンチェルト1番と2番のいずれも第2楽章が適っている。

ベートーヴェンでは唯一協奏曲5番の第2楽章が良いだろう。

他にはスクリャービンのコンチェルトも流麗な曲調で秋向きだ。


彼岸過ぎればようやくヴァイオリンの音もしっとりと聴こえて来る気がする。



(木彫猫神像 江戸時代)

初秋にはのどかなブルッフやメンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトが良いが、晩秋になればどの曲を選んでもチェロやヴァイオリンの音色が身に染み渡る。

更に先月にはシークレット・ガーデンのニューアルバムが出て、秋に丁度良い曲が何曲も入っていた。

秋意も深きヴァイオリンの音色や初冬の小春日のように暖かなオーボエなどが、幽陰の暮しにひたと寄り添ってくれる。

彼等の演奏は美しき自然と共に暮らし、素朴な旋律でも十分に天上の妙音に聴こえていた100年200年前の人々の気持ちになって聴くと、その有難味がしみじみと伝わって来るだろう。

我家の猫神様も秋陽の中の音楽は事の他お気に召したようだ。


暮しに音楽が欠かせない人ならそれぞれの季節に合った曲を選りすぐり、また取っておきの楽曲はそれぞれ最もふさわしい時と場を選んで聴きたい。

それが人生をより美しく過ごす結構重大な秘訣なのだと、この酷暑地獄の日々の中でやっと気が付いた。


©️甲士三郎