---頼り無き灯火を掲げ長き夜の 野に踏み出すは野人の証---

小さなランタンを買ったので、夜長の山野をぶらつきに出てみた。
市塵を離れた森の中の孤独な灯火は幻想を誘い、火を眺めているだけでも詩情がある。
アメリカの哲学者ヘンリー ソローの「森の生活」等を読むと、欧米では田園や森の生活に古の賢者以来の伝統哲学の重さがある。
またターシャ テューダーのガーデンは古き良きアメリカの田園生活の伝統を体現しているから深みがある。
日本では隠遁哲学はあるがネイチャーライフの哲学は根付いていないので、田舎暮しもアウトドア生活もレジャーレベルの軽さが付き纏ってしまう。
そこで我々も古き良き時代の世捨人の暮し、小倉山荘や西行庵などの山家の精神生活に範を求めるべきだろう。
古来多くの先哲達も山に籠った事を見れば、アウトドアライフのワイルドさと思索の深さの双方があって初めて強靭な精神が育つのだと思う。

(十三夜の薄)
既存の宗教哲学が行き詰まってしまった現代日本では、それに代わって生活の芯となる思想精神がないと人生に深み厚みが出ないのだが、その実践的な方法論が都会暮しではなかなか見つからないのだ。
では具体的にどうすれば良いのか。
まずは古人のように蠟燭の灯で書画を飾る、木製の古い文机で思索に耽る、そして月に一〜二度は季節の花を買って活けてみよう。
あるいは山でも都会でも等しく輝く月を眺めるのも良いだろう。
江戸時代の山水画軸には当時の文人達が夢見た、山中の理想の草庵暮しを描いた物が多くある。
そんな絵を飾ってイメージを膨らませたりしながら、己れの部屋が吉野山の西行庵になったつもりで楽しめば良いと思う。
この辺なら街中のコンクリート生活でもすぐに出来る。
年に何度か大自然を訪れるより、毎日の生活の中に小さな自然を取り入れる方が断然良い。
©️甲士三郎

小さなランタンを買ったので、夜長の山野をぶらつきに出てみた。
市塵を離れた森の中の孤独な灯火は幻想を誘い、火を眺めているだけでも詩情がある。
アメリカの哲学者ヘンリー ソローの「森の生活」等を読むと、欧米では田園や森の生活に古の賢者以来の伝統哲学の重さがある。
またターシャ テューダーのガーデンは古き良きアメリカの田園生活の伝統を体現しているから深みがある。
日本では隠遁哲学はあるがネイチャーライフの哲学は根付いていないので、田舎暮しもアウトドア生活もレジャーレベルの軽さが付き纏ってしまう。
そこで我々も古き良き時代の世捨人の暮し、小倉山荘や西行庵などの山家の精神生活に範を求めるべきだろう。
古来多くの先哲達も山に籠った事を見れば、アウトドアライフのワイルドさと思索の深さの双方があって初めて強靭な精神が育つのだと思う。

(十三夜の薄)
既存の宗教哲学が行き詰まってしまった現代日本では、それに代わって生活の芯となる思想精神がないと人生に深み厚みが出ないのだが、その実践的な方法論が都会暮しではなかなか見つからないのだ。
では具体的にどうすれば良いのか。
まずは古人のように蠟燭の灯で書画を飾る、木製の古い文机で思索に耽る、そして月に一〜二度は季節の花を買って活けてみよう。
あるいは山でも都会でも等しく輝く月を眺めるのも良いだろう。
江戸時代の山水画軸には当時の文人達が夢見た、山中の理想の草庵暮しを描いた物が多くある。
そんな絵を飾ってイメージを膨らませたりしながら、己れの部屋が吉野山の西行庵になったつもりで楽しめば良いと思う。
この辺なら街中のコンクリート生活でもすぐに出来る。
年に何度か大自然を訪れるより、毎日の生活の中に小さな自然を取り入れる方が断然良い。
©️甲士三郎