鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

134 浄化の音楽

2020-03-26 13:37:00 | 日記

疫病禍で自宅謹慎の世情は常日頃から引き籠りの隠者には影響も少ないが、諸賢のご心痛はお察し申し上げる。

ここは自宅で聖なる音楽でも聴きながら、浄心をもって落ち着いて対処したい。

良い音楽は外界の雑音を打消し雑念を滅却してくれる。

また強い情景喚起力もあって、例えばシベリウスを聴いていると清澄な北欧の森の空気を吸っているような気持ちになれる。


聖性を持つ音楽では定番のクラシックの中で、ドイツ浪漫派の交響曲は大袈裟と言うかBGMとしてはややうるさい。

室内楽かピアノ曲のあまり強弱の無いものが適していると思う。


現代でも神聖さを失わない物は少なくなったが、宗教音楽の真に心の籠もった演奏には音の結界による浄化力がある。

写真のCDは以前にも触れたジャズ界の巨人キースジャレットがバッハの平均律をチェンバロで弾いた物。

毎日同じ祈りを数十年も続けるような淡々とした音色は、私の闘病生活時に大きな慰めになってくれたので、苦難を迎えた人々の精神安定にも役立ってくれると思う。


強弱のつかない単調なチェンバロの音を聴きながら中世修道院の生活を観想したりするひと時は、老境の精神にふさわしい深さと重厚さをもたらしてくれる。


引き籠り生活の中では茶事が大きな楽しみとなる。

しかし珈琲紅茶時のBGMは当たり前なのに、何故か茶道の流派などでは音楽は軽視されているので御手本や定番は無く、各々が自分なりの茶事に相応しい楽曲を選定するしかない。


抹茶に合う音楽は通常時でも難しい。

邦楽方面はあまりにも伝統墨守に過ぎて表現力の幅が足りず、耳の肥えた現代人に繰り返し何度も聴いてもらえるとは思えない。

どなたか妙音天の如き至上の邦楽を御存知なら、是非ご教示頂きたい。

今の世を憂い犠牲者を悼む茶には、色々迷った末にララ・ファビアンのアダージョとブロークンヴォウをお薦めしよう。


(アルバム LARA FABIAN)


「僕の地獄に音楽は絶えない」

大ヒットしたアクエリオンのテーマの歌詞で、子供向けのアニメソングにしてこの深遠な詩は当時かなりのインパクトがあった。

若い時に強く印象付けられた音楽は一生忘れないものだ。

その頃の子供達が大人になった今、この世情の中でも深く人生を味わいながら生き抜いてくれる事を願う。


©️甲士三郎


133 花時の始り

2020-03-19 11:03:00 | 日記

東京の3月14日の開花宣言は観測史上最早だそうだ。

鎌倉では山桜や彼岸桜の種類はすでに咲きだしているが、染井吉野はもう少し遅いだろう。

例年ならこれから牡丹までの時期が、私の画業の中で最も楽しく忙しい季節だ。


---薄紅に触れるや解ける春の雪---


先週末は朝方は陽が差したものの、その後降り出した雨で咲き出した花も凍えていた。

雨だとスケッチは無理だが写真や句作には返って面白いだろうと思い、春寒の中をふらふらしているうちに霙から雪になってしまった。

鎌倉で三月中旬の雪はほとんど記憶に無い。

上の写真は近くの山裾の花。


雪は小一時間でまた雨に戻り、淡雪の名の通りもう跡形も無い。


この程度で止んでくれれば芽吹きが低温でやられる心配も不要だろう。

私も家に帰ってたっぷりの珈琲で暖まろう。

珈琲だけは買い溜めてある。


火曜日頃からは三寒四温の四温に入り、晴か薄曇りの麗かな写生日和だ。

鳥達の囀りの中で朝の浄光を探しに歩くのは昔の修道僧が神の光を求めて彷徨うのと似ていて、彷徨っている時自体がすでに至福の時と知るべきだろう。


---紫に明けゆく朝(あした)花時の 始まる街はまだ静かなる---


花時は今日はどの木が咲きそうか、明日はどこへ行こうかとせわしい日々が続く。

引き篭りの隠者にしては珍しく、活動的な季節となる。

今年は体調も良いので、若かった頃のように花を追って北国までふらつく長旅に出たいと思っていたのだが、疫病の影響で止めざるを得ない。

いつもの夢幻界の旅で我慢しよう。


---誰も居ぬ夢の途中の花の駅---


©️甲士三郎


132 読書の環境

2020-03-12 13:36:00 | 日記

私も最近は読書も原稿書きもPCやタブレットが増えて、書斎ででじっくり構える事が少なくなった。

しかし好きな詩集や古書などをめくりつつその作品世界に浸るには、やはりそれなりの環境と道具立てが欲しい。

そのような時にはお気に入りの英国アンティークのライティングビューローに花やアーティファクトを飾り、珈琲を用意し音楽をかけてじっくり腰を据えて楽しみたい。


海外の詩集は原語で読めれば良いが、英語以外は難しいので翻訳書になる。

その場合に訳者が詩人と学者と翻訳家でかなりの違いがあって、………まあ語学に優れていても詩心が無い訳者だと中には酷い本があったりする。

写真のワーズワース詩集は良い方で、原典と日本語訳を対記してある。

気に入った詩集は何度でも読めるのが、一度結末を知ったら終りの小説より優れたところだ。

デスクライトはランタンにしてリリパットレーンの古民家のミニチュアを置き、イギリス湖水地方の古びたコテージに暮した詩人を幻視するのだ。

BGMには御当地のケルティックウーマンをお薦めする。

若い人向けには同じ湖水地方の作家でJ.K.ローリングのハリーポッターあたりなら、原語でも作者の世界に浸り易いかもしれない。


また、国文学や中国文学なら書院の窓辺か文机脇息だ。

こちらも夢幻界に誘ってくれる飾りと茶器を用意して、小一時間の異世界移転を楽しもう。

暖かな日なら少し障子を開けて、外の春風と囀りを部屋に入れるのも良いだろう。

詩や古典文学は小説と違って一冊全部を読み通す必要は無く、一句一節だけでも鑑賞が成り立つ。

ぱらぱら適当にめくりながら、目に付いた一節から夢想を広げて行ける。

麗かな春の日を夢幻に浸るも惰眠に浸るも、隠者の愉悦は尽きない。


©️甲士三郎


131 伝説の瑞鳥

2020-03-05 13:25:00 | 日記

今年は梅や椿は早かったが鶯の初音は例年並みで、先週頃からよく聞くようになって来た。

昨日は蛾眉鳥も待ちわびていた歌声を披露してくれて、疫病に沈む世情の中にもささやかな明るさが加わった。


(庭の蛾眉鳥)

小鳥の写真が昨年の眼病後は上手く撮れず、ピントの甘さは御勘弁頂きたい。

多くの人にとって野鳥の声や姿を見分けるのは、余程知られた鳥以外は難しいだろう。

私も現実界の鳥はそう詳しい訳では無いが、瑞鳥や伝説の鳥は良く知っている。

名前の判らぬ綺麗な鳥は、全てそんな瑞鳥の類と思っていれば良いのだ。

天与の美声を持つこの蛾眉鳥にしても、昔の日本人にとっては遠国の伝説の鳥だった。


(瑞鳥図絵皿 九谷 昭和〜平成)

---桜餅鳥の絵皿の中空に---

伝説の世界に浸るには古画や古器を使うのが良いが、今回はアンティークより気軽に入手出来るヴィンテージ(100年以内)の絵皿を紹介しよう。

特に九谷の絵皿は四季の花鳥画が多彩にあって楽しめる。

バブル崩壊後は日本伝統の美術工芸品は底値に張り付いていて、書画、陶磁器、和服、すべからくひと昔の十分の一の値で買える。

日本中で和風の暮しが廃れたのが安値の最大要因で、今や海外の方が高値で売れるそうだ。


(鳳凰図絵皿 九谷 昭和時代)

---鳥憩ふ椿の山の陰深く---

古今伝授の三秘鳥の百千鳥、呼子鳥、稲負鳥。

三光鳥、瑠璃光鳥、尾長鳥に最も格が高い朱雀、鳳凰。

隠者はこれら20世紀の現実主義下に絶滅してしまった瑞鳥達を、こうして我が夢幻楽土で保護し細々とでも生息させている。


現代生活の中では旧来の風習と共に、美しき伝説さえもすっかり廃れてしまった。

現代の物質文明の中でも、窓外の囀りを聴きながら花鳥楽土を夢想するくらいの愉しみはあっても良いだろう。

---碑に眠る詩文や百千鳥---(旧作)


©️甲士三郎