鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

277 山中の高吟

2022-12-29 13:12:00 | 日記

鎌倉の端山も少し奥に入れば、深山幽谷とまでは言わないがそれなりに山気は横溢している。

そんな静謐な山中で一編の詩句でも高吟すれば、我が若き日のロックバンドのボーカルをしていた頃の気力が戻って来るようだ。

高浜虚子も山口青邨も謡などは結構やっていた。


近年の疫病禍で恒例だった年末カラオケに集まれなくなった代わりに、永福寺跡の谷奥の山茶花の園にひとり来ての吟詠が慣習となった。



今日の吟詠のために和漢朗詠集を選んで来た。

今年は花付きが良過ぎるほど咲いている冬花の精達をバックダンサーに、歌って踊る隠者としては今年1番の大舞台だ。

やってみれば元々詩歌は活字で読む物では無く、謡い吟ずる事により魂を浄化昂揚させる物だと実感出来る。

だからこそ格調と韻律やリズムの切れが重要なのだが、活字を目で追い意味を理解するだけで十分とする現代には不要な物かも知れない。


山茶花の園の脇には座って休むにお誂えの倒木もある。



朽木には茸まで生えていて、BGMを聴きながらの読書にも良い場所だ。

曲はグリーグのペールギュントかシベリウスのシンフォニーがファンタジックな冬の景に合っているだろう。

そんな別天地で気分良く詩と音楽に浸っていると、あっという間に日暮れ近くなってしまう。

寒さが身に沁みて来たところで、帰っての一服のお茶の温もりが至福をもたらしてくれる。


家に戻れば画室の置き床に蕪村筆の芭蕉像が掛けてある。



「旅寝して見るやうき世のすす払」芭蕉句 蕪村筆

昨年一度紹介したが、この芭蕉の煤払の句は世界を浄化してくれる効果がある。

蕪村もそんなつもりでこの俳画を描いたのだろう。

この句を声に出して唱えるように吟じれば、我が夢幻界もまた清澄となる気がしてくる。

これから寒明けまでこの聖像と共に夢幻界に引き籠り、世俗を断ち詩書画三昧に暮せれば幸いだ。


ーーー磨れば減る古墨大事に冬籠りーーー


©️甲士三郎


276 冬至の祭壇

2022-12-22 13:01:00 | 日記

現代ではクリスマスや年末年始に紛れて節季の冬至は全く注目されないが、冬至の祭りは世界中で古代から行われて来た農耕文明の最重要祭祀の一つだ。

そもそもクリスマス自体もキリスト教以前からあった各地の太陽神復活の祭りと混ざって定着して来た歴史がある。


隠者の正月の旧暦立春まではまだだいぶ間があるこの時期は、我家だけの冬至祭りをじっくり楽しむ事にしている。



(大日如来図 室町時代 古信楽壺 室町時代 李朝燭台)

冬至の祭壇では太陽神(密教では大日如来)に鬼柚子南瓜等を供え、家人はささやかなご馳走でその復活をお祀りする。

その後の柚子風呂は今も多くの家庭でやっているのと同じだ。

和洋折衷で多神教自然信仰の我家ではソル(ギリシャではヘリオス)のイコノグラムも別に祀っている(前出)

キリスト教徒でも無い者がクリスマスを祝うよりは、身近な自然神の冬至祭りの方がずっと良いと思う。

生前の祖母が毎朝お天道様を拝んでいたのは古き良き時代の思い出だ。


世間が暮正月でも我家は何もせず、ひたすら幽陰の冬を読書三昧だ。



(玄冬 初版 吉井勇 古越前壺 江戸時代 ジョニーウッド ティーポット)

「うつくしきものを戀しむこころもて 宗達在りし世をば思はむ」吉井勇。

「玄冬」は吉井勇が戦時中洛北に隠棲していた頃の歌集で、この歌は京都の古美術を詠んだ連作の内の一首。

彼の晩年の歌集は閑寂の趣き深く、冬籠りに読むにはお薦めの本だ。

彼自身がその蔵書中特にお気に入りだったのは、言語道断にも芭蕉の「猿蓑」元禄版だそうだ。


23週間ほど前に我が幽居の脇を流れる川岸の竹林で蛾眉鳥の声を聴いたのが今年最後の歌だったようで、この後は春まで鳴くことはない。

ーーー蛾眉鳥の四季の最後の歌密か 冬も緑の竹林深くーーー



冬の画題では昔から竹林に雀が数多く描かれているが、我が谷戸は瑞鳥である蛾眉鳥がその美声で浄域を守護していて、12月初めの小春日まではごく短かな歌声が聴ける。

夏の長鳴きの凝ったメロディーとは全く違う節回しで、四季の名残りを告げているような声だ。

太陽神の復活と共にまた来春の歌声を楽しみに待とう。


現代の都会生活者はすっかり四季自然の聖性から遠ざかってしまったが、せめて諸賢は暮しの端にでも伝統行事を取り入れ気候風土に即した歳月をしみじみと味わって頂きたい。


©️甲士三郎


275 夢幻の冬廬

2022-12-15 13:01:00 | 日記

薄い冬陽の差込む窓辺でショパンやリストのピアノ曲を聴きながらゆっくりスープなぞ煮込む時間は、冬籠りの中で心地良く思索に耽れる至福の時だ。

ターシャ テューダーの映画にもクリスマスの準備や冬の支度諸々の中で、暖炉で林檎ジャムを煮ながらロッキングチェアーで孫のセーターを編む好媼の姿がある。

ターシャの作り上げた花々の楽園と古風なコテージでの四季の味わい深い暮しには世界中が憧れた。


欧米教養人の理想の隠遁生活なら、数百年物のカントリー コテージとローズガーデンの暮しだろう。



(ミニチュアハウス リリプットレーン イギリス1970年頃)

田園の古い石造のコテージに住むのは、現代でも英国上流層の夢だ。

100年以上の古民家は大人気で改造も最小限に抑え、家具什器蔵書類も含めそのまま大切に次の世代に継承して行くそうだ。

当然そのライフスタイルも出来る限り復古調となる。

古い文化文明を持つほとんどの国々では、真に良き暮し良き人生とは千年前も千年後もそう違いは無い事を理解しているのだ。


我が国では江戸から明治時代の文人達が、その理想境の幽居を沢山の詩画に残している。



(葛屋香炉 江戸〜明治時代 古備前花入 江戸時代)

隠者の夢幻の冬廬を葛屋香炉と花入でイメージした写真だ。

こんな草庵で冬深く籠り詩想画想を練る暮しなら、繊弱なる我が精神も充足出来るだろう。

脱俗清澄たる山中の草庵で花鳥と戯れ高雅の士達と語らうのが、古来より我が国の教養人が思い描いて来た理想の生活だった。


簡素にして古様の庵に籠るにしても、現代ならば古人より遥かに清潔で安楽な生活が送れよう。



(孤庵訪鹿図 藤井松山 絵唐津茶碗 御深井輪花皿 江戸時代 李朝燭台)

しかしながら現代日本人は理想の家や暮しを忘れてしまい、鎌倉でも古くからある良い家や庭がどんどん壊された跡に無趣味無様式で反自然の家が次々と建てられて行くのが悲しい。

先祖代々数百年の叡智の結晶である美しき生活様式を、子々孫々まで教え伝える事は古きを知る者の勤めであろう。


明治大正頃の田園生活の日常茶飯がわかる本を探しているのだが、例えば三木露風の「幻の田園」や佐藤春夫の「田園の憂鬱」などでも当時の農村の普通の暮しが実は理想の楽園だったと認識してはいない。

私はあの頃の良家旧家の暮しに一部現代の家電などを加えた和洋折衷の様式が、日本の気候風土に適した最良のライフスタイルだと思う。


©️甲士三郎


274 冬紅葉の谷戸

2022-12-08 12:58:00 | 日記

隠者が幽居する谷戸の古い地名は紅葉谷と言っていた。

少し山に入った獅子舞辺りは紅葉狩のハイカーも多く、谷戸のあちこちに紅葉の老木が残っている。


鎌倉の紅葉の見頃は例年12月に入ってからだ。



温暖な鎌倉の楓は京都のような鮮烈な色とはならず、滋味のある落着いた色合いのままやがて目立たずに散って行く。

我が荒庭の楓もようやく紅葉し、時雨に濡れて彩度が上がると寂光を放つように仄と明るむ。

写真はまだ時雨の残る庭で撮したので、一層寂しげに煙った色調で気に入っている。


谷戸を囲む山々の紅葉も地味な黄枯色で、淡くしみじみとした味わいがある。



永福寺跡の裏山は葛紅葉に覆われて昔の和歌に詠まれているような景色が見られる。

各地を旅していても全く植林の無い昔ながらの里山は滅多にない。

今や自然のままの只の雑木の山はそれほど貴重なのだ。

古い日本の風景画は水墨山水が多いので一般的には色まで思い浮かばないだろうが、100年前まではこんな里山の色こそ故郷を象徴するイメージだったのだろう。


釣瓶落としの日暮には鎌倉宮の灯籠が点っていた。



ここの楓も燃えるような赤にはならず、寒暮にふさわしい冷めた色味だ。

暮空の紺青を反映した赤と灯籠の橙色の対比が程良く、いかにも冬紅葉の肌寒さが迫る。

早く帰って温かい珈琲でも飲もう。


家に帰れば126日は有馬朗人師の命日で、ほんの気持ちだけの供養をしよう。



(句集天為 初版 有馬朗人 露団団 初版 山口青邨)

有馬先生とさらにその先師の山口青邨先生の句集を並べた。

今頃はあの世で他の先輩方も一緒にさぞ楽しい句会を開いているだろう。

「光堂より一筋の雪解水」有馬朗人 天為より

「銀杏散るまっただ中に法科あり」山口青邨 露団団より


我家の正月は旧暦でやるので世俗の師走の慌ただしさも無く、段々と深まりゆく冬の暮しをゆっくりと

楽しめる。

昔から避寒の地であった鎌倉の冬の枯淡なる味わいは、また折々に紹介して行きたい。


©️甲士三郎


273 冬の花

2022-12-01 12:50:00 | 日記

鎌倉では花の乏しいこの時期でも山茶花があちこちの庭や路地に咲く。

床飾りの冬花には必須なのでちょっと古い家には大抵植えてあるのだ。


放ったらかしの我が荒庭にも咲いて小春日にはガーデンティーが楽しめる。



(長机 清朝時代 赤絵ポット 道八 幕末〜明治)

花の色に合わせて茶器も赤絵にした。

山茶花は日当たりが良く花付きの多い所より、初冬の風情としては少し寂しいくらいの花数が好ましい。

ゆっくりと薄れ行く陽を惜しみながら、冬花の精と共に静謐な茶時を過ごせる。


ーーー山茶花や朝だけは陽の当たる路地ーーー

私の山茶花のイメージは古い童謡や民話のノスタルジックな路地に咲く花だ。



(童謡の作り方 初版 西條八十 古瀬戸花器 ウエッジウッドカップ)

山茶花の唄は巽聖歌作詞の童謡「たき火」が有名だが、童謡作家で私のお薦めは西條八十だ。

彼の童謡や唱歌はセンス オブ ワンダーに満ちて、「かなりや」などは詩としても当時の一級品だと思う。

この本はその制作の秘密をかなり親切に語っている。

装丁も大正浪漫(発行は昭和2)の雰囲気で気に入っている本だ。

写真の薄紅の山茶花は鉄釉褐色系の小花入と色調が合わせ易く、冬らしい簡素な美しさが出るので隠者好みの花だ。


先日話した水原秋桜子の短冊がやっと出てきた。



(直筆短冊 水原秋桜子 古丹波壺 江戸時代)

「冬菊のまとふはおのがひかりのみ」水原秋桜子 句集霜林

菊や草花の句は大書の軸装よりもこの短冊位の可愛い大きさが丁度良い。

水原秋桜子は書も品格があって美しい

我が俳句初学の頃に憧れた句だったので、長年探して入手出来た時にはとても嬉しかった。

古織部の湯呑と皿で茶菓を楽しみながら、若き日に芸術論を交わした旧友を思い起こそう。

庭にあった寒菊を10年ほど前に枯らしてしまったので、句のような寂滅の趣きには程遠いが花屋の普通の菊でご勘弁。


©️甲士三郎