鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

325 最後の抒情詩人

2023-11-30 13:01:00 | 日記

今「天上の花」と言う詩人の三好達治を主人公にした映画が上映されている。

原作者は萩原葉子、萩原朔太郎の娘さんだ。

PVを見た限り実に美しい映像で、ネットで見られるようになるのが待ち遠しい。

彼の代表作「太郎を眠らせ〜」を知っている人も多いだろう。


三好達治の「朝菜集」は戦前の日本の詩人達の試行錯誤の歴史が、この一冊に凝縮されているような詩集だ。



(朝菜集 初版 三好達治)

三好達治は若い頃から萩原朔太郎に師事し終生兄とも慕い、また朔太郎の妹に恋をした。

写真の「朝菜集」は朔太郎が亡くなったすぐ後に出され、その中の亡き師を悼む詩がまた朔太郎調の口語自由詩で書かれた絶唱だ。

この詩を悲壮なオルガン曲でも聴きながら読めば、彼らの時代の光が甦って来よう。

あまり目立たないが良く読めば技術的にもかなり高度な物がある。


師弟二人の詩集を銀杏散る庭で読み比べてみた。



(蝶を夢む 初版 萩原朔太郎 花筐 初版 三好達治)

萩原朔太郎の詩集の初版本はみな高価で、「月に吠える」などはとても隠者の手の出せる価格では無い。

この「蝶を夢む」は彼の詩集の中ではやや明るめで読み易く、小品集だからか運良く手頃な価格で入手出来た。

普段の朔太郎は酒に溺れた自堕落な暮らし振りで、雪道の電柱に酔い潰れているのを小さな娘さんが見つけて連れ帰るような事も度々あったそうだ。

一方の三好達治は剣道の段位持ちで常に端然として、三島由紀夫が文壇一の剛の者と褒め称えている。

「花筐」は達治が戦時中に花の習作を試みた1冊で、観念的な口語詩から具象へ戻りその高雅な詩風は戦後すぐの「故郷の花」に続いて行く。


「艸千里」は昔の国語教科書にも載っていた名作。



(艸千里 一點鐘 初版 三好達治)

三好達治は戦中戦後に初期の口語自由詩から文語詩に回帰しており、私は最近遅ればせながらその価値を見直した。

この「艸千里」はその文語回帰の最初の句集だ。

一部口語体も残ってはいるものの、次に出た「一點鍾」以降文語詩の割合は更に高くなって行く。

三好達治こそは戦後昭和の日本文化の衰退と生活の欧米化の中で、格調高い文語を駆使し得た最後の抒情詩人だった。


映画「天上の花」にはスキャンダラスな演出もあると聞いたが、詩から窺える彼の美しき想いを汚していないよう祈るばかりだ。


©️甲士三郎


324 昭和歌謡の詩人達

2023-11-23 13:15:00 | 日記

今振り返ると戦後昭和に抒情を否定してしまった現代詩よりも、歌謡曲の歌詞の方がずっと隠者の好みには合う。


第二芸術論と同じように戦後の日本の伝統文化排斥の風潮に乗って出て来たのが荒地派だった。

荒地派の中には良い所もあるのに、傍から出た小野十三郎の愚かな詩論で大無しだ。



(荒地 詩と詩論 詩論続詩論 小野十三郎 初版)

彼の唱えた「短歌的抒情の否定」は詩論としては出鱈目な物だったが、何故か俳壇歌壇詩壇とも揃って古株を出し抜きたい連中の合言葉となり、その後長らく猛威を振るったのだ。

世界中の詩の名作の78割は抒情詩なのだから、当時の詩歌壇の無知蒙昧さには絶望するしか無い。

それにより戦後昭和の抒情詩は須く歌謡曲界から出る事になった訳だ。

まあ大衆歌謡だから品格を求めるのは酷だし、品位格調の無さなら荒地派も現代詩も似たような物なのでそこは大目に見よう。


こうして戦後の抒情詩は歌謡曲の作詞家達の天下となる。



(西條八十 なかにし礼 松本隆 歌詞集 初版)

大正時代から大作詞家だった西條八十が戦後の明るい世相に乗って書いた歌詞は連続して大ヒットとなり、その後に続く昭和歌謡の作詞家達の良き規範となった。

そもそも歌謡曲で当たれば詩集の数倍の収入になるので、詩才がある人の多くはそちらに流れただろう。

松田聖子が歌って大ヒットした松本隆の「赤いスイートピー」の中の「春色の汽車に乗って〜」は我が鎌倉の江ノ電の事だ。

またなかにし礼はお隣りの逗子在住で鎌倉ペンクラブ会員でもあり、地元では外せない詩人だ。

彼は戦後間も無くシャンソンの訳詩から始まり、やはり昭和世代には忘れられない名曲の数々を書いている。

ここに挙げた人以外にも綺羅星の如く良い作詞家が出た時代だった。


戦後昭和を代表する作詞家で私が最も好きなのは阿久悠だ。



(阿久悠 自選詞集 初版)

本人はこの本の中で西條八十の詩に感動し、強く影響を受けたと言っている。

「雪が舞う 鳥が舞う 一つはぐれて夢が舞う」

「北の蛍」の歌詞は、森進一の歌唱により昭和歌謡の金字塔となったが、残念ながらこの詩集のすぐ後に書かれたのでここには載っていない。

他にも世に知られた名曲ばかり並んでいて、私のカラオケのレパートリーにも阿久悠の歌は多い。

こうして戦後昭和の詩短歌俳句界から排除された抒情は、歌謡曲の作詞家達にしっかりと受け継がれ国民に親しまれて来たのだ。


昭和歌謡はちょっと歌える人なら誰でもが絶唱の高揚感を味わえたが、年末恒例だったカラオケも疫病禍で中断し復活出来ないのが残念だ。


©️甲士三郎


323 深秋の詩論書(3)

2023-11-16 13:09:00 | 日記

戦後間も無く出た桑原武夫の「第二芸術論」は、私の知る限り日本文化に対する最も悪意に満ちた愚書である。


風雅の友と詩論芸術論を闘わすのは隠者に取って最も高級な娯楽だが、この書はあまりに愚劣で議論にもならない。

それでも敗戦後の衆目を集めるインパクトはあったのだ。



(現代日本文化の反省 初版 第二芸術論 桑原武夫)

写真はその第二芸術論の初出本とその後の文化論をまとめた文庫版で、結構売れたようだ。

戦後間もない頃に日本人自らが日本文化に対する自信を失っていたのに乗じ、日本の伝統文化を全否定しフランス文化こそ手本にすべきと言うのだ。

仏文学者の我田引水も大概にせよと思うほどの厚顔無恥さで、特に俳句に対してはただの消閑の具だと言って貶している。

他の所でも曰わく五七五は古い、曰わく季語は手垢塗れだ、現代人の苦悩を描け等々、挙句の果てには芭蕉まで要らないと言う。

この暴論に対して大人虚子は「ほう、二十番目位だと思っていたら二番まで上がりましたか」と笑っていたらしい。


「第二芸術論」に対して俳人側からは大した反論も見られなかったが、この暴論は一般世間や当時の若者達に対しての感染力はかなりあったのだ。



(純粋俳句 初版 山本健吉 古備前角瓶 明治時代)

俳句の方から出たのはこの「純粋俳句」くらいだが、この本では要約すると俳句は五七五で季語があると言う事しか言っていない。

しかし「純粋」と言う表題が受けてこれも結構売れ、我が亡父も初学にこの本を読んでいたようだ。

山本健吉の友人だった石田波郷や中村草田男らの人間探究派についてだけは、さすがに真っ当に論じている。

ただ稀代の悪書「第二芸術論」の後に比較的穏当でごく普通の俳句論が売れた事は、その後の俳句に取っては良い事だったろう。


俳句はすでに古人達の詩情がたっぷり染み込んだ季語を必ず使うので、例えその古風で閑寂な風情に安住していても、俳句をやらない人よりは十分深い人生が送れる。

元より西洋の芸術概念とは全く別の生活詩で、高浜虚子の花鳥諷詠とはそんな暮し方の薦めでもあるのだ。



(俳句はかく解しかく味ふ 初版 高浜虚子 黄瀬戸大鳥香炉 江戸時代)

この虚子の小さな書には似合いそうだと、栗鼠が齧って庭に落ちていた蜜柑を添えてみた。

戦前に書かれた俳論だが、古俳諧に始まり色々な例句を具体的に取り上げて解説してあり大変わかりやすい。

虚子の言葉は簡明でしかも深い示唆に富んでいて、この隠者も若い頃に感銘を受けた本だ。

この本で俳句は短い分作者が省略している部分を読者が感じ取るべき、コール&レスポンスの文芸だと言う事を教わった。

従って俳句の背後に隠されている所を感じ取れない桑原武夫には、現代には不要な文芸と言われても仕方ないだろう。


しかし戦後の日本文化の欧米化は止めようも無く、日本人は自然に根差した古き良き生活習慣まで捨ててしまった。

私は現代の洋風の都会生活で日本人の精神性が豊かになったとはとても思えない。


©️甲士三郎


322 深秋の詩論書(2)

2023-11-09 12:59:00 | 日記

先週の詩論に続いて今週は歌論書を取り上げよう。

今こうした論集を読んでも役に立つ事はあまり無いが、若者達が文芸論に熱くなっていた当時の状況にはドラマがある。

詩歌論も何も無くなりただ詩壇歌壇の序列だけが残った現代よりは断然面白かったろう。


昭和初期の歌壇ではいわゆるアララギ派の写生論が盛んだった。



(短歌写生の説 初版 斎藤茂吉)

斎藤茂吉はごりごりの写生派で、アララギなどの雑誌上で太田水穂らと派手な論争を繰り広げた。

太田水穂はやや穏健な論調だが、茂吉の方が熱くなって水穂への罵詈雑言が加熱して行く。

しかも使用する文学用語が噛み合っていないのでまるで子供の喧嘩だ。

最近の炎上商法と同じで衆目を集めるには良い手だが、単なる悪口を本にまで残してしまっては歌壇全体の知的レベルまで低下したイメージは免れない。

今から見ればこのアララギ派より少し前の明星スバル時代の歌論の方が断然良かった。

またWiki を見ると彼ほど性格面の短所が列挙されている作家も珍しく、小説やドラマの悪役としては打って付けのキャラクターに思える。


同じ写生派でも太田水穂の歌論は古典的で初学者の参考にもなる。



(花鳥余論 日本和歌読本 初版 太田水穂)

水穂は晩年を鎌倉で過ごしたのでやや地元贔屓になるが、斎藤茂吉よりは好感が持てる歌論だ。

鎌倉に来てからは芭蕉の研究に打ち込み俳句的な写生を身に付けた。

斎藤茂吉との喧嘩に負けて(飽きて)のちはアララギからは距離を置いたようだ。

しかし現代から彼らの時代を眺めれば、詩歌の世界で喧嘩出来る仲間がいただけでも羨ましい気がする。

やはり大正〜昭和初期は日本の文芸の青春期だったと言えるだろう。


同じ昭和初期の歌論書で安心して読めるのは意外にも若山牧水だ。



(牧水歌論歌話集 初版 若山牧水 歌集花樫 初版 北原白秋)

この歌論集は北原白秋や石川啄木らの歌の評を中心に、一つ一つ具体的に述べているので誰にでもわかり易い。

牧水は紀行文が人気があったが詩歌の選評もなかなか良くて、短歌の技術面でも的確な指摘をしている。

ただ当時多かった西洋風の概念論やインテリ好みの思想面の考察は少ないので、その後の進歩派からは支持され難かっただろう。


次回は戦後に移り、いよいよかの悪名高き第二芸術論を紹介しようと思う。


©️甲士三郎


321 深秋の詩論書(1)

2023-11-02 13:05:00 | 日記

100年前頃の古き良き時代の詩論歌論の書を読むと、如何にも生真面目な青年達が情熱を注ぎ込んでそれぞれの持論を闘わせているのが好ましい。

大正〜昭和初期は日本の詩の青春時代と言っても良いだろう。


隠者は口語自由詩はあまり好みではないが、詩論としては興味深い本が沢山ある。



(詩論と感想 純正詩論 日本への回帰 初版 萩原朔太郎)

詩論書の中ではこれらの萩原朔太郎の書が最も真っ当な論になっていると思う。

文芸論争をひとつのドラマとして眺めるならば、まずは朔太郎の口語自由詩論を基準点としてその周囲の諸論を読むのがわかり易い。

「月に吠える」「青猫」などの詩中の語り口とは全く違い、思考が整然と展開されているので理解し易い。

彼らを中心に繰り広げられた文語定形派との華麗なる詩論の闘いは、文芸論争など全く無くなってしまった現代から見れば羨ましいほどだ。


日夏耿之介は言葉の錬金術師と言われ、後の自由詩には大きな影響を与えた。

古の錬金術その物は何も生み出せなかったが、後の化学の発達には多大な影響を及ぼした所が良く似ている。



(黄眠文学 文学詩歌談義 初版 日夏耿之介)

耿之介の詩集「呪文」や「黒衣聖母」は、現代のラップミュージックの歌詞などにするなら最上の詩だと思う。

彼の詩論文芸論の方はその狷介さの極みのような言い方が痛快に思える人にはお薦めできる。

彼の自分以外の詩作品を見る眼にはまことに確かな物がある。

正統派の古典からオカルトまで古今東西の文学に通じていて、その博学ぶりには恐れ入るばかりだ。

朔太郎や西條八十らとも仲が良く、同人誌なども共にやっていた。


詩論はちょっと脇に置いて、先日の日曜はいわゆる後の月で満月だった。

9月の中秋の名月が熱帯夜だったので、今後は10月の満月で中秋の宴をやろうと決めた。



(月の句画讃 井上士郎)

井上士郎は江戸後期の俳人で、国文学をやっていた我が亡父が同時期の小林一茶より断然良いと評価していた。

私は士郎の書画の方も気に入っていて、池大雅の筆法にも似た芒洋とした大きさと強靭さがある。

「よろずよや山のうへよりけふの月」

未来永劫名月はこの山の上から出ると言う句だ。

この句も虚に居て実を成す風があり夢幻世界の月になっている。

気候変動でひと月ずれた中秋の宴にふさわしい軸だろう。


鎌倉は12月初旬までゆっくりと秋が深まって行くので、あと数週間分はこうした文芸論華やかなりし頃の本で深秋を楽しもうと思っている。


©️甲士三郎