鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

376 文人画の不遇(続)

2024-11-21 12:40:00 | 日記

鎌倉は時雨のような天気が多く、今年も真の秋麗なる日和はほんの数える程しか無かった。

晩秋の小雨がちの日は古書画の前でぼんやり思索に耽るのが良い。


我が荒庭の蜜柑が色付いて来たのを、南瓜や山帰来と一緒に飾ってみた。

もう少し熟すと目敏く栗鼠が齧りに来る。



(帰樵図 福田浩湖 瀬戸大徳利 明治時代)

写真の直筆色紙は昭和初期の文人画家達の四季四枚セットで、合わせて2000円と言う哀れな値段で売られていた。

文人画も戦前までは人気があったのだが、戦後は詩書画を解する人が激減してしまい暮しの洋風化も一気に進み、挙げ句の果てが今の落ちぶれ様だ。


文机の上に掛けたのは田能村竹田の地味な蕪の墨画だ。



(蕪画讃 田能村竹田 鉄絵茶器 清水六兵衛 江戸時代)

文人暮しの身辺の風物を描いた竹田の小品は、同じような暮しの我が机辺を飾るのにぴったりだ。

「山寺の馳走はうばの蕪菜かな」竹田

蕪は昔から文人画の良い画題で俳句では冬の季語にもなっている。

竹田は知人が何か旬の物を差し入れてくれると喜んですぐ画にしていて、そんな画軸は如何にも侘び茶の席に合いそうな気がする。

彼には絵だけの作品は少なく必ず漢詩や句歌の賛を付け、時には盟友の頼山陽らが画讃を付けたりして、文人画人達の楽園だった江戸時代の洛東の文雅の中心人物だった。


最も気軽に文人の詩書画を楽しめるのは古い木版の画譜だろう。



(竹田画譜 幕末期)

画譜や画帳は詩と絵が一体となった深い境地を、いつでも手軽に味わえる。

特に江戸時代から明治頃までの木版刷りの物は、その後の印刷物より断然風情があるのだ。

「~読書閑坐慰残生」竹田

この七絶詩なども正に文人の理想の身辺が描かれており、隠者暮しの手本ともなっている。

私には聖典とも言えるこの希少書が今の新刊の画集などよりずっと安く、お陰で我家には竹田画譜の類いが江戸版から明治版まで四種揃って見比べている。


今週の冷え込みで我が谷戸の紅葉もやや色付いて来て、晩秋の無骨で幽玄な風情は中世の鎌倉を思わせる。

散歩や吟行に最も良い時期だろう。

ーーー残る生()は良き靴履けや時雨路ーーー


©️甲士三郎


375 文人画の不遇

2024-11-14 12:54:00 | 日記

ここ数ヶ月は和歌の古筆や古書の価格の高騰が凄まじく、もう私には手の届かない物になってしまった。

どうもTV雑誌などで紹介された茶道書道方面での需要らしく、和歌自体の人気では無いのが残念な所だ。


一方で相変わらず不人気で安値安定なのは文人画や俳画だ。



(華茶清友図 田能村竹田 江戸時代 古萩宝瓶湯呑 明治時代)

文人画俳画の軸は以前に話した通り和室の減少で掛軸自体が不要となった上に、絵も墨中心の地味な色だし一般人には読めない古い書体で何が書いてあるのかさえわからない物だ。

日本でも東洋でも文人画は最も精神性の高い芸術と言われているが、古今東西高尚なる物には大衆人気は無いのが常だ。

この軸を掛けて文人茶の始祖とも言える竹田や頼山陽らの詩宴茶宴の画中に私も入り込み、古人らと共に文雅を語り合うのは至高の時なのだ。

まあそんな絵が人気が無いお陰で安く入手出来るのだから、僥倖とすべきだろう。


江戸時代の文人画の巨人浦上玉堂は、画の署名にも玉堂琴士と入れるほどの琴好きだった。



(隠士弾琴図部分 池大雅 江戸時代)

詩書画と茶と音楽は私に取っても欠かせない物だから、彼の気持ちは良くわかる。

脱藩後の玉堂は春琴秋琴と名付けた二人の息子を連れ古琴を持ち、長い放浪の旅に出ていた。

自身や友人の詩に良く出て来る「抱琴」とはそんな姿を詠んだ物で、彼の人生は常に琴と共にあったようだ。

晩年の京住まいでは大雅とも行き来があり、この大雅の絵も玉堂をモデルに描いた物だと思う。

この画も一般的に見て上手いとは言えないが、幽陰の士の清雅な風情が十全に伝わって来る隠者好みの一枚だ。

古人達がこの絵のような幽境の暮しに憧れたのと同じように、私も音曲をかけ古画を眺めては離俗の浄界に想いを馳せるのだ。


秋深き床の間に掛けたのは取って置きの蕪村の名作だ。



(月天心句画軸 蕪村 江戸時代 李朝燭台大小)

「月天心貧しき町を通りけり」蕪村

日本俳句史上に燦然と輝くこの名句の軸も、例によってオークションでは誰も読めなかったのだろうか、私如きの予算で呆気なく落札出来た。

専門業者なら作者名は流石に判定出来るだろうが、彼等は句の内容や良し悪しは全く関知しないのが常だ。

この句は江戸俳諧の研究者だった亡父がよく愛唱していたのを思い出す。

ただ日本人として情け無いのは、私の知る俳人歌人達でさえ二束三文で買える古句歌の軸を集めるような者はこれまで一人も居なかった事だ。


こんなにも高雅な詩情に満ちている文人画だが、その詩自体が読めない現代人には当然不用の物だ。

そして文人も賢人高士もまた現代大衆社会では無用の存在となって行くのだろう。

ーーー厨灯(くりやび)に今年最後の虫鳴けりーーー


©️甲士三郎


374 晩秋の音色

2024-11-07 13:00:00 | 日記

今週は立冬だが鎌倉の野山はようやく秋色が見え始め、散歩がてらの吟行もこれから秋本番の気分だ。


夏場は苦労した日々の音楽選びだが、秋の音楽ならポップ、ロック、ジャズと皆それぞれお気に入りの曲があるだろう。

ただ詩歌書などを読みながら聴く時には歌詞があるヴォーカル曲より器楽曲の方が適している。



(幽玄の歌人で鎌倉将軍だった宗尊親王の館跡)

試聴に相当長い時間をかけてクラシック方面を検討した結果、和歌に似合う音楽は色々あるのだが俳句に合う物は少なく、その中では素朴なイタリアンバロックのヴァイオリンソナタ類が良かった。

合奏もピアノよりチェンバロとかヴィオラダガンバなどの古楽器の、和音の厚みも物足りず旋律も細い感じのソナタだ。

またバロックは短い曲が多くコレッリ、アルビノーニらのソナタなら1楽章が2分足らずなのも俳句に適している。

自句を案じるにもふさわしい音楽があればその世界に没頭し易いので吟行時にも欠かせないのだ。

ーーー楽の音を携へ往かむ草穂波ーーー


池辺の葦も枯れ色となり始めた。



(永福寺跡の池)

バロック音楽では厳粛なバッハのピアノ曲が最も隠者好みなのだが、残念ながら軽みや平俗を宗とする俳句には全く似合わない。

ロマン派の華麗なピアノコンチェルトなどは更に不適だった。

その点イタリアのバロックは素朴で軽やかだから俳句にも合うのだろう。

「イタリアンバロック インストゥメンタルエディション」シリーズはアルバム1枚に6〜7時間分の曲が入っていて、全6枚で1枚あたり1800円程度と超お買得だ。

これなら仕事や家事介護時のBGMに流しっ放しでも1週間分賄える。

ーーー枯色も和ませ映す水鏡ーーー


もう少し肌寒くなる頃には重厚な音色がふさわしい。

そこでこの秋冬にお薦めなのがチェロのハウザーだ。



(Hauser)

若い頃のハウザーはヘビメタチェロで暴れていたが、近年はだいぶ落ち着きクラシック方面のシンプルな曲を丁寧に弾くようになった。

彼は元々かなりのイケメンでYoutubeのビデオでも人気が高く、母国クロアチアの美しい自然の中での演奏は一見の価値がある。

また近年の優れた録音技術は一昔のヴァイオリンやチェロのギコギコした雑音を抑え、実に品の良い潤いのある音色になっているのだ。

ヨーヨーマが晩年のモリコーネと共演した至高のアルバムには及ばないものの、他のヨーヨーマの古い録音よりは遥かに音質が良く聴きやすい。

また晩秋から冬の閑寂な俳句との相性は抜群に良く句想も深まる。

ーーー秋寂のチェロ弾きの指強(こは)くありーーー


もう少し早く最新録音のイタリアバロックがこんなにも大量に出ているのを知っていれば、この十年来の介護ストレスもだいぶ和らいだろうと後悔している。

諸賢も是非良き音楽と共にある暮しを楽しんで頂きたい。


©️甲士三郎


373 夢幻の中世和歌(結)

2024-10-31 12:51:00 | 日記

もともと温暖な鎌倉では秋が遅く12月末まで紅葉が残るほどで、暦の上では立冬後の11月からが最も秋らしい景となる。

京都や各地の名所のような派手な紅葉は無いが、やや沈んだいかにも中世を想わせる寂光の秋色は隠者好みだ。


平安末から中世にかけては社会全般に末法の世の無常感が強く影響していて、無常感から閑寂の美へ、閑寂から幽玄の美への深化は必然の流れだった。



(秋篠月清集 玉吟集 桃山〜江戸初期写本 瑪瑙製癖邪 明時代)

定家と共に新古今集の撰者だった藤原良経の家集「秋篠月清集」と藤原家隆の「玉吟集(壬二集)」は、中世幽玄体の先駆けと言えるだろう。

淋しい悲しいと想いを直接歌っていた万葉集古今集に比べ、叙景の奥深くに想いを託した歌風となっている。

「雲はみな払ひ果てたる秋風を 松に残して月を見るかな」良経

「古郷は浅茅が末になり果てて 月に残れる人の面影」良経

「志賀の浦や遠ざかりゆく波間より 氷りて出づる有明の月」家隆

「逢坂や明ぼのしるき花の色に おのれ夜ぶかき関の杉むら」家隆

最後の家隆の一首なども、明方の桜色に染まる光の中に暗緑色の杉木立だけがまだ夜闇を纏っていると言う、伝統の古今調の詞を使いながら繊細な写生眼の行き届いた歌風が新鮮だ。


「広沢の池に宿れる月影や 昔を照らす鏡なるらむ」後鳥羽院

幽玄体の歌風は後鳥羽院が主導した新古今和歌集の時代から増えて来る。

そしてその新古今集や後に続く玉葉集風雅集を誰よりも高く評価しているのが本居宣長だ。



(美濃の家苞 本居宣長 江戸時代 色絵香合 明時代)

この「美濃の家苞」は宣長による新古今集の評釈書で、現代でもこれ以上の評論は無いほどの名著だと思う。

その宣長も絶賛する中世和歌界の最大のスターは、斎宮の巫女の式子内親王と鎌倉六代将軍だった宗尊親王だ。

「夢のうちも移ろふ花に風吹きて しづ心なき春のうたた寝」式子内親王

「日かげ()さす枯野の真葛霜とけて 過ぎにし秋に帰る露かな」宗尊親王

さらに忘れてはならないのが京から東下し鎌倉幕府の和歌と蹴鞠の指南役となった飛鳥井家初代の雅経で、源実朝はじめ我々東夷の和歌の祖師でもある。

「影とめし露のやどりを思ひいで 霜に跡とふ浅茅生の月」飛鳥井雅経

これらの玲瓏夢幻なる古歌に良き茶菓でもあれば、秋深む我が茅舎も自ずと離俗の歌仙境となってくれる。


ーーー末の世の雅の友を灯に呼ばひ 笛に呼ばひて野風狂ほしーーー

無常なる中世の秋の風情にはバロックのリコーダーやオーボエのコンチェルトなどがこよなく似合う。

古楽と共に近所の夕暮れの秋野を逍遥すれば、風間深くに旧き歌友の声さえ聞こえて来よう。



戦乱の終わった江戸初期には後水尾院を中心に華々しく王朝文化が復興される中で、わかる者にしかわからない幽玄体和歌は次第に忘れ去られて行った。

幾つかの中世歌学書にも、幽玄体は難しいので初学者は手を出すなとある。

幽玄体和歌が残ったのは意外にも「水月伝」「月之抄」などの兵法書や諸芸の奥義秘伝の中だった。

「吾とわが心の月を曇らせて よその光を求めぬるかな」上泉秀綱

柳生一門は沢庵和尚を師と仰ぎその兵法書にも古歌や沢庵の道歌を使っている。

「萩に露つゆには月を宿しつつ 風吹かぬ間を夢の世と知れ」沢庵

上記の「玉吟集」にもこの歌に近い作がある。

「露や花はなや露なる秋くれば 野原にさきて風にちるらむ」家隆

私も古人達に習い、本歌取りで中世風の夢幻歌を詠んでみた。

ーーー花に露宿れば露に花の香の 宿りて一夜夢を一つにーーー


戦後昭和の物質主義下では中世人の幽玄美も夢幻性も絵空事だと否定されたが、21世紀のエンターテイメントではどの分野でもファンタジーが一番人気となっているのだ。

アメリカでエミー賞18冠の大記録を作った真田広之監督のドラマ「将軍」は、全編に流れる幽玄な様式美が圧倒的に評価され、物語中のオリジナルの連歌(作者はベルギー人)もまた好評だったと聞き、この隠者も心から嬉しく思う。


©️甲士三郎


372 夢幻の中世和歌(3)

2024-10-24 12:51:00 | 日記

鎌倉の遅い秋も徐々に深まり酷かった体調もかなり良くなった所で、今週もまた古筆を飾り古の歌友らを呼んで夢幻境に遊ぼう。


小倉色紙などの名筆で有名な藤原定家だが、それと同時に個人的な日記や覚書での悪筆もまた有名だった。

実は我家にもその悪筆の方の定家切なら一つある。



(伊勢集書写切 藤原定家筆 平安末頃)

「春事に花の鏡となる水は 散りかかるをや曇ると言ふらむ」伊勢

定家が伊勢集数首を写した走り書きで、例の悪癖の強い筆跡と紙の時代から判別し易い歌切だった。

幽玄論は定家以前から唱えられて来たが、定家自身は幽玄体より有心体の歌を最上の物と思っていたようだ。

加えて父俊成の閑寂を良しとする幽玄論も混ざり後世の者達が定家の歌論を勘違いした節がかなりあって、そのせいで定家直系の二条流の和歌は幽玄より有心体が主力となっていく。

ーーー秋影に古び掠れし歌切の 灯色を映す恋の崩し字ーーー


歌学の面ではやはり定家の言葉は絶大でその後継の二条家により江戸時代まで影響を与え、この隠者も二条流の相伝は受けているのだ(前出)



(二条流口伝書写本 江戸初期 黄瀬戸茶碗 古美濃花入 江戸初期)

定家の唱えた有心体は過去の類型に陥っていた感情表現を実感ある詞に変え、なお深みがあり奥ゆかしい心持ちを幽玄と評している。

写真はその定家以来の有心体歌論を伝える二条流「五儀六體」口伝書。

今でも和歌の入門初学に限れば、余分な近代思想に汚されていないこの書の純粋さは価値がある気がする。

しかしながら彼の百人一首の選は全く頂けない。

元々百人一首は定家が似た歌を二首づつ五十組集めた集にすぎず、彼自身他にも他に依頼人の好みに応じた百首選集が幾つもある。

特に名作選でも無いこの百人一首ばかりが有名なせいで、今の世に和歌はつまらない物だと思われているのが残念だ。

ーーー荒庭に金木犀の香の満ちて 一生(ひとよ)に読めぬ程の書もありーーー


私には百人一首よりも中世幽玄体の新古今集、続古今集、玉葉集風雅集の方が遥かに好みに合う。



(短冊貼混軸 藤原家隆他 古瀬戸花入残欠 鎌倉時代)

写真は定家と並び称された歌人で共に新古今集の撰者を務めた藤原家隆らの歌短冊貼混ぜだ。

昭和初期に正岡子規の後のアララギ派が自分達の稚拙な写生論を持ち上げるために新古今集をこき下ろした論調は、今見ると全く歌論にもなっていない只の罵詈雑言に聞こえる。

しかしその後の国粋主義の台頭と共に起こった万葉集ブームにも流され、新古今集やそれに続く中世幽玄和歌は顧みられなくなって行く。

ーーー古庵の落葉に埋まり灯に籠り 歌詠み交はす我と我が影ーーー


中世と変わらぬ鎌倉の山々の秋景は、日々の散歩時にも古の歌人達の想いを伝えてくれる。

来週は新古今集評釈の決定版である本居宣長の「美濃の家つと」を伴えて、夢幻の中世和歌世界をじっくり味わおう。


©️甲士三郎