鎌倉は時雨のような天気が多く、今年も真の秋麗なる日和はほんの数える程しか無かった。
晩秋の小雨がちの日は古書画の前でぼんやり思索に耽るのが良い。
我が荒庭の蜜柑が色付いて来たのを、南瓜や山帰来と一緒に飾ってみた。
もう少し熟すと目敏く栗鼠が齧りに来る。
(帰樵図 福田浩湖 瀬戸大徳利 明治時代)
写真の直筆色紙は昭和初期の文人画家達の四季四枚セットで、合わせて2000円と言う哀れな値段で売られていた。
文人画も戦前までは人気があったのだが、戦後は詩書画を解する人が激減してしまい暮しの洋風化も一気に進み、挙げ句の果てが今の落ちぶれ様だ。
文机の上に掛けたのは田能村竹田の地味な蕪の墨画だ。
(蕪画讃 田能村竹田 鉄絵茶器 清水六兵衛 江戸時代)
文人暮しの身辺の風物を描いた竹田の小品は、同じような暮しの我が机辺を飾るのにぴったりだ。
「山寺の馳走はうばの蕪菜かな」竹田
蕪は昔から文人画の良い画題で俳句では冬の季語にもなっている。
竹田は知人が何か旬の物を差し入れてくれると喜んですぐ画にしていて、そんな画軸は如何にも侘び茶の席に合いそうな気がする。
彼には絵だけの作品は少なく必ず漢詩や句歌の賛を付け、時には盟友の頼山陽らが画讃を付けたりして、文人画人達の楽園だった江戸時代の洛東の文雅の中心人物だった。
最も気軽に文人の詩書画を楽しめるのは古い木版の画譜だろう。
(竹田画譜 幕末期)
画譜や画帳は詩と絵が一体となった深い境地を、いつでも手軽に味わえる。
特に江戸時代から明治頃までの木版刷りの物は、その後の印刷物より断然風情があるのだ。
「~読書閑坐慰残生」竹田
この七絶詩なども正に文人の理想の身辺が描かれており、隠者暮しの手本ともなっている。
私には聖典とも言えるこの希少書が今の新刊の画集などよりずっと安く、お陰で我家には竹田画譜の類いが江戸版から明治版まで四種揃って見比べている。
今週の冷え込みで我が谷戸の紅葉もやや色付いて来て、晩秋の無骨で幽玄な風情は中世の鎌倉を思わせる。
散歩や吟行に最も良い時期だろう。
ーーー残る生(よ)は良き靴履けや時雨路ーーー
©️甲士三郎