鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

312 月下の奏楽天

2023-08-31 13:16:00 | 日記

今週もまだ夏だ。断じて秋では無い。

そしてこの何週間も涼しげな季語を探して句作に励んでいるのに、一向に涼しげな良作は出来ない。


せめて涼しげな物を飾ろうと思い、いろいろ工夫してみた。



かなり以前に紹介したハープ曲集は古典的なエーゲ海の情景を思わせて実に涼しげな物だったが、今回は中国の琴の奏楽天娘だ。

中国では琴と呼ぶが、形は日本の琵琶に近く撥を使って弾く。

日本で同じような物は宇治平等院の長押に掛かっている一連の雲中供養菩薩像だろう。

木彫のレリーフで雲に乗りこれと似た琵琶や笛太鼓を奏でている天女達だ。

夕べの野に持ち出して飾ると、野や山に人には聴こえぬ天界の音楽が響き出す気がする。


831日は今年最も月が大きく明るく見える日だそうで、涼みがてら夕月の散歩に出よう。



我が谷戸は山際なので月の出は遅く、夕月の散歩のはずが完全に日暮れになってしまった。

満月には1日早いのでまだ少し欠けていが、なる程かなり明るく黄金色に輝いている。

雲が丁度良い感じに掛かり、月光の五彩を見せている。

このブログを更新した後の今宵が本番なので、もう少し山の低い場所を選んで撮影に行きたい。


高浜虚子には月の句が沢山あり、我家にも掛軸短冊など幾つかある。

その中で丁度上の写真の雲を詠んだような句があった。



(直筆短冊 高浜虚子 弥七田織部湯呑 寄木菓子皿 山籠 江戸時代)

「はなやぎて月の面にかかる雲」高浜虚子

私も月の句歌はよく作るが、なかなか満足の行く作は得難い。

だがまあ、小一時間の月の散歩はいつの季節も楽しく、句歌に出来なくとも悔しく思った事は無い。

多くの人は夜に何かしている中でちょっと月を見る程度だろうが、時間に余裕のある人は是非外に出て、230分でも月を友に連れて散歩でもしてみよう。

何と言っても月の良いところは、山中だろうが大都会だろうが何処からでも見える親しみ易さだ。

飾りは実物の黄菊と和菓子の黄菊が、青っぽい月明りにちょっと華やいで見えるよう設えた。


暑さも収まる月下の散歩は全ての人に是非お薦めする。

文芸美術などが好きな人には尚更だ。


©️甲士三郎


311 舞人と舞姫

2023-08-24 12:49:00 | 日記

節季は処暑となり昔は暑さも収まる頃だったが、予報ではあと1ヶ月は猛暑が続くようだ。

俳人は皆従来の秋の季語が使えず困っているだろう。

暦の立秋から秋彼岸までは過去の秋には無かった季節として新しい季語でも作り、この時期の暮しを少しでも美しくする心構えが必要だと思う。


近所の鎌倉宮の盆踊りが3年振りに復活したが、その3年間各種の行事行楽を自粛させられた子供達は可哀想だった。



その分今年は嘗て無かったほどの賑わいで、多くの家が子供達に可愛い浴衣法被を着せて集まった。

夏祭りも盆踊りも無かったこの数年間の空疎感は酷い物で、隠者は立秋過ぎていても秋らしく澄んだ気分にはなれず、近所の子供達にも夏休みの開放感はあまり感じられなかった。

ーーー丈足らぬ法被で踊上手な子ーーー

夏が1ヶ月以上伸びた今後は、盆踊りはもう真夏の季語と思った方が良い。


古来から踊は暑さの中の数少ない娯楽で、絵や句歌の良い題材になって来た。



(句画讃 蕪村 茶器 清水六兵衛 江戸時代)

「ひたと犬の啼く町過ぎてをどりかな」蕪村。

我家の盆恒例の掛軸で、踊に浮立つ京の町屋の旦那衆を描いている。

蕪村の句では「四五人に月落ちかかる踊かな」が有名で、彼に取っても踊は好きな題材だったようだ。

この軸は書が読めずに作者不詳で出品されていた物を、例によって格安で入手出来た。

ネットオークションでは手元の印譜集や画集の筆跡を綿密に調べられる所が大きな利点だ。


今日の最後は与謝野晶子の多分これ1枚しか残存しない貴重な短冊。



(直筆短冊 乱れ髪 舞ひ姫 与謝野晶子)

「夏まつりよき帯むすび舞姫の 出でし花野の夕月夜かな」与謝野晶子。

現代では失われた自然と人の聖性を感じさせるファンタジックな歌だ。

この歌は彼女のどの歌集にも無く、おそらく「舞ひ姫」収録の「夏祭り良き帯むすび舞姫に 似しやを思ふ日のうれしさよ」と、「乱れ髪」の「何となく君に待たるるここちして 出でし花野の夕月夜かな」の不出来な部分を削除して2首を合わせた結果、途轍も無く美麗な歌が出来てしまったのだろう。

座興に書かれたとは思えない綺麗な料紙と書なので、作者自身も歌集とは別に世に残したかったのだと思う。

目眩くほど絢爛たるこの詞華は、こうして奇跡のように書き残されアーティファクトとなった。

晶子の見ていた寂光天地の神話的な美しさを、私も毎年夏祭の来る度に想い起こせるのは幸いだ。


今週は私の周りでも酷暑で体調を崩す人が続出しており、諸賢もせめて心境だけは涼しく保たれたい。

ーーー星涼し白砂の庭はほの明りーーー


©️甲士三郎


310 星祭の灯火

2023-08-17 13:13:00 | 日記

鎌倉では新暦と旧暦の両方で七夕祭をやる神社が多く、続いて鶴ヶ丘八幡宮ではぼんぼり祭と実朝祭がありその後は各寺院で盂蘭盆会に盆踊と多様な夏の行事がある。

我家ではそれらをごちゃ混ぜにして都合の良い日に星祭をやっている。


普段は混雑する観光寺院は苦手なのだが、久々に復活した八幡宮のぼんぼり祭りを見て来た。



疫病時は文化娯楽は不要不急の物とされ祇園祭をはじめ本来は疫病退散の祭事まで自粛させられていたのだから何をか言わんやだが、ようやく各地の祭りも復活し世間に活気が戻るのは喜ばしい。

今のぼんぼり祭の著名人の書画にはあまり風情は無いが、子供達のぼんぼり絵はいつの時代も微笑ましい。

万燈を並べて天空まで導くようなこの景は、夏の鎌倉の最も壮麗な行事だ。

ーーー万の灯を連ね武神の高座(たかくら)へ 鎌倉健児いざや見参ーーー


人混みの中に居るより閑かな幽陰の谷戸に戻り、祭の後の星空をひとり眺めるのが隠者らしいだろう。



今夜は台風の余波の中でも時折星空が覗いて見える(写真は先週の月)

私には病眼と地上の光害のせいで一等星くらいしか見えないが、記憶の景や詩魂による幻視の星空は実景より遥かに美しい。

古来星月を題にした詩歌は数多く、そんな古詩がまた後世の我々に現実を上回るイメージを与えてくれる。

隠者流星祭のメインイベントは、勿論星を題にしての献吟だ。

ーーー虫の音の闇が星まで届く谷戸ーーー


我家の星祭の祭壇には聖なるこの書が欠かせない。



(銀河鉄道の夜 初版 宮沢賢治 黄瀬戸金鳥香炉 志野筒茶碗 乾山菓子鉢 江戸時代)

夜も更けて虫の声と燭の明りで読む「銀河鉄道の夜」は格別だ。

我が若書きの句に「賢治なら星蒔くやうに麦を蒔く」と言うのがあり、この名作ファンタジーを初めて読んだ少年時代から思い入れは深い。

写真にある函は先年この本を紹介した後にたまたま手に入った物で、隠者は元来古陶磁器類の箱書きなどには全く価値を認めない方だが、猟書界に蔓延るこの日本独自の箱物文化の悪習に抗えなかった。

茶菓と燭を供えて銀河鉄道初版函付きを崇め奉ろう。

ーーー烟吐く金鳥香炉星祭ーーー


近年は9月末まで真夏が続くので、年配者は避暑地で静養でもしないと寿命が縮まる。

昔の文士達が佐久や軽井沢あたりで夏の12ヶ月を執筆に籠っていたのが羨ましい。


©️甲士三郎


309 英国の浪漫派(結)

2023-08-10 12:55:00 | 日記

浪漫派の最後を飾るのは私が学生時代から詩画共に注目して来たラファエロ前派だ。

半世紀前の日本ではロセッティの画集は細々と輸入されていたが、彼の詩集などどこを探しても無かった。


明治大正の日本の詩人達にもロセッティー兄妹のファンタジックな詩は大評判で、借りた原本を回覧して手書きで写していたほどだ。



(ダンテ・ガブリエル・ロセッティ詩画集 1902年版 パンテオン 昭和3)

最近運良くこの「ロセッティ詩画集」をeBayで入手出来た上に、あの蒲原有明による名訳が載った幻の「パンテオン」まで見つかったのは僥倖だった。

世界中の希少な古書類がネットで容易に探せる時代が来るとは、鎌倉文士達の頃には全く考えられなかったろう。

特に大正時代は第1次世界大戦の混乱もあり洋書はかなり入手難で、有明でさえロセッティの原典は買えず知人に借りて読んだらしい。

この有明訳の「天津郎女」(原題The Blessed Damozel)は、私の知る限りあらゆる日本語の詩文の中で最も美しき神韻だ。


次の写真こそ日本ではミューズ(ムーサ)の化身とも称えられたクリスティーナ・ロセッティの詩集で、兄のダンテによる挿絵も美麗な珠玉の宝書、英国浪漫派の聖遺物だ。



(ポエムス クリスティーナ・ロセッティ 1901年版)

実は詩人としては兄より妹のクリスティーナの方が名高く、ダンテ・ロセッティはラファエロ前派を代表する画家としての方が良く知られている。

鎌倉文士達も伝説のサッフォーと並べてクリスティーナ・ロセッティこそ詩の女神と思い込み、競ってこの書を探し求めた。

彼女の可憐にして気高き詩魂は、まさにミューズの名を冠するに全く異論は無い。


最後の1冊はロセッティと同じくラファエロ前派の詩画人でブックデザイン界の巨匠、ウィリアム・モリスだ。



(地上の楽園 ウィリアム・モリス 1890年版 炉鈞窯ポット 青南京皿碗 19世紀)

活字まで自作したモリス工房のオリジナル版はイギリスでも美術館級の高値で、とてもこの隠者如きが手に出来る物では無い。

しかしこの版も19世紀ビクトリア様式の華麗な装丁で、楽園の四季の夢幻なる詩物語にふさわしい。

身辺の自然美や四季の暮しの中に燦めく聖性を見い出す事は、古今東西変わらぬ詩人達の永遠の悲願であろう。

「地上の楽園」はそういった人類の理想郷を格調高く歌い上げた英文学の金字塔だ。

先に取り上げたミルトンの「失楽園」とこのモリスの「地上の楽園」は合わせて賞すべき浪漫主義文学のマスターピースとなっている。


5回に渡り紹介して来た英国浪漫派の系譜は中世的キリスト教思想から脱し、ギリシャローマやケルトの神話を取込んだ幻想的で豊穣な詩世界を創り上げ、トールキン以降の現代ファンタジーの礎を築いた。

また古き良き浪漫主義の諸芸術は20世紀の現実主義物質主義下で長らく不遇だったが、20世紀末からは多くのファンタジー小説映画ゲームなどが世界中で大ヒットするようになった。

この隠者も大昔からの浪漫主義者なので、昭和の現実主義文化(文芸では自然主義と言う)より近年の各種ファンタジーの方が断然好みに合い、今はライトノベルに至るまで存分に楽しむ日々を過ごしている。


©️甲士三郎


308 英国の浪漫派(4)

2023-08-03 13:02:00 | 日記

ーーー晩夏光天金の書の不滅の詩ーーー

浪漫派の4回目はコールリッジとワーズワースに次ぐ第2世代と呼ばれたキーツ、シェリー、バイロンだ。

18世紀末に生まれた彼等は共に若くして亡くなったが、残された詩は後のラファエル前派にも鮮烈な影響を与えた。


ジョン・キーツの「ナイチンゲールのオード」は短編ながら英文学の中で隠者が最も好きな詩だ。



(キーツ詩集 19世紀版)

キーツの長編叙事詩には神話的ファンタジーの「レイミア」や「エンディミオン」などがあるが、オードと呼ばれる数々の短詩の評価も高い。

日本の明治の詩人達にも愛好者が多く、土井晩翠がローマにあるキーツの墓に咲いていた菫を摘んで薄田泣菫への土産に持ち帰ったところ、薄田はそれに感動して号を「泣菫」と改めた逸話がある。

このナイチンゲールの詩やワーズワースの水仙の詩などは、日本の花鳥風月の真髄にも通じる自然の聖性が感じられよう。


キーツの友人であったパーシー・ビッシュ・シェリーもまた短命の詩人だった。



(シェリー詩集 19世紀版)

シェリーの作品では詩劇「鎖を解かれたプロメテウス」や「西風の賦」などがあり、日本でも「冬来たりなば春遠からじ」の一節は良く知られている。

貴族の生まれながら反骨精神のあまりにイートン校でもオックスフォード大学でも問題児扱いされ、悲恋の貴公子にして海難事故で早逝した、人生そのものが浪漫だった悲運の詩人だ。

更には彼の妻君のメアリー・シェリーはあの「フランケンシュタイン」の作者なので、後世では夫のパーシー・シェリーの方が些かかすんでしまう。


3人目のジョージ・ゴードン・バイロンもまた早逝の詩人だ。



(チャイルド・ハロウドの巡禮 バイロン作 土井晩翠訳)

この土井晩翠の格調高い文語韻律の訳は、口語訳ばかりの日本の英詩書の中では数少ない名訳だと思う。

バイロン卿の遍歴の旅を想わせる野辺に出てお気に入りの頁を開けば、たちどころに光輝に満ちたイタリア地中海へ移転出来るだろう。

情熱家であったこの詩人は自らギリシャ独立戦争に身を投じ、戦火の中に若い命を散らせた。

バイロンはスキャンダラスに語られる事も多いが、自由恋愛など許されなかった時代を考えれば彼こそ自由の戦士、浪漫の騎士と呼ぶべきだろう。

今回取り上げた詩人は3人とも天賦の才に恵まれながら若くして神に召された、いわゆる神に愛でられし美しき若者達で今も多くの英国人に愛されているのもうなずける。


日本ではフランス象徴詩の人気が高く、3大訳詩集の上田敏の「海潮音永井荷風の「珊瑚集」堀口大学の「月下の一群」ほか名翻訳も多いのに比べ、英語詩の翻訳は品も韻律も無い物ばかりで貧弱極まる。

もし現代のファンタジー人気の元で英国19世紀浪漫派の格調高い訳詩が出れば、20世紀の物質主義とは対極にある浪漫主義の文化芸術は必ず注目される気がする。


©️甲士三郎