鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

226 今生の湯呑

2021-12-30 13:35:00 | 日記

疫病禍の引き篭もりでさんざんの今年だったが、そんな年に隠者はめでたくも己が分身たる今生の湯呑を探し当てた。

ーーー冬の陽と古き湯呑に骨緩め 丹田温めいざや参らむーーー


苦節数十年の変遷を経て究極の一碗に到達するまでに、我が審美眼も相当鍛えられたと思う。



(古弥七田織部筒茶碗 古織部水注 江戸時代)

この弥七田織部は元は筒向付だった物で、急須も古い水注に茶漉しを入れて使っている。

今あるような片手で持てる湯呑と急須が出来たのは明治頃からなので、桃山茶陶並の古格を求めるなら転用できる形の江戸時代の物を探すしか無い。

長年の探求の果てに、私が知る限りではこの組合せ以上の物は無い。


江戸後期の煎茶興隆期には国焼でも唐物でも良い物が沢山あるが、当時の作法は高級玉露をほんのひと口分淹れる程度なので私には全て小さ過ぎてダメだ。



(煎茶器各種 189世紀 中国 日本)

この辺の煎茶器は年に数回ほど、最高級の茶葉が入荷した時に使う程度になってしまった。

隠者も若い頃は清朝物や古九谷などの普通の色絵磁器で満足していたのに、抹茶の方で古陶の良さを知ってしまうと煎茶でも同格の土物(陶器)でないと物足りなくなる。

ただ幕末明治や清朝後期の磁器の煎茶碗は今では酒のぐい呑として人気がある。


私の過去の苦闘の歴史をお見せしよう。



(向かって左から古志野、古織部、黄瀬戸の小服茶碗 江戸時代)

最近まではこれらの茶碗で幸福だったのだが、近年親指の腱鞘炎が慢性化しつつある我が手に小服茶碗は少し太過ぎて(直径910cm前後)負担がかかる。

そこでようやく見つけたのが1番上の写真の弥七田織部(直径8cm)と言う訳だ。


また現代作家物も色々試した。



(向かって左から黄瀬戸、唐津、伊賀の湯呑 現代作家物)

ひと昔の陶芸家は湯呑を馬鹿にして抹茶碗やぐい呑しか作らなかったが、今の若手作家は良い湯呑を作っている。

古格さえ求めなければ一般の人には古陶磁より現代作家物の方が探し易くてお薦めだ。

諸賢もこの引き篭りの正月に自分なりの聖杯、今生の一碗を探してみては如何だろうか。


©️甲士三郎


225 俳聖の煤払

2021-12-23 13:17:00 | 日記

毎年国中でクリスマスと神道風正月に勤しむのは、思想宗教哲学全てにおいて日本人をダメにする大きな要因になっているのではないか。

世間とは別に我家の正月は旧暦なので、この時期は冬至と煤払だ。


煤払さえも神聖な年礼祭祀となせる物が、今年の隠者の最大の収穫である蕪村の画幅だ。

ネット上で見るなら我家には蕪村の資料は山ほどあり鑑定は楽な上に、最近の売主は草書や古文書が読めない人が増えているせいか捨値で買えた。



(俳聖芭蕉図 蕪村 江戸時代 陶製観音像 青木木米 江戸時代)

句は「旅寝して見るや浮世の煤払」で、芭蕉の離俗の旅の夢に濁世の大掃除を見ている、と言った意味だろう。

蕪村は芭蕉を神仏に等しく崇拝していたからこの句画にも真情が籠っていて、芭蕉の表情も高僧のような知性と温厚さが感じられよう。

観音像は青木木米の作で、木米もまた蕪村の文人画に心酔していた一人だ。

今回は隠者のような詩画人にとって二重三重の意味で聖遺物の祭壇となった。


ついでに蕪村の可愛いらしい小品も我家に来た。



(須磨画賛 蕪村 江戸時代)

こちらは珍しい漢詩で葉書サイズの小品ながら、蕪村らしい須磨淡路両岸の大景に燕を添えて詠んでいる。

「春の海ひねもすのたりのたりかな」と同じ浜での作で、上空の鳥達が実に可愛い。

この作品も格安で入手出来て、ネットの無かった我が若き時代に比べれば自宅で資料と照らし合わせながら古美術品を選べる今は大変恵まれている。


地元鎌倉の先達である川端康成は蕪村の大愛好家だった。



(雪国 千羽鶴 初版 川端康成)

川端が蕪村と池大雅の十便十宜図を買った時に、家屋敷と2年分の原稿料を抵当に借金したそうだ。

そして自ら国宝選定委員となり、その作品を江戸文人画初の国宝に指定してしまった。

薩長政権下で江戸文化は低く見られて来た中、このノーベル賞作家の情熱と慧眼には頭が下がる。

私の蕪村がその23桁下の価格で入手出来たのも、彼の御加護があったのかも知れない。

「雪国」の美しい情景を想いながら、彼の好きだった古志野の冬茶碗に冬至柚子を置いて机上を飾った。


そんな感じで我が精神の煤払は十分出来たが、家の大掃除の方は遅々として捗っていない。


©️甲士三郎


224 珈琲道覚醒〜3

2021-12-16 13:15:00 | 日記

前々回に続き今週は珈琲道の3回目となるが、ここで本稿の最初の頃に話した隠者流の「観応、観想、観自在」を思い出して欲しい。

珈琲道1回目は離俗の話、2回目は観応観想の話で、最後の3回目はその隠者流観自在の珈琲を語ろう。


夢幻の珈琲を時節に応じて演出できれば一人前だ。



(離別 初版 若山牧水 古織部火貰いと沓茶碗 江戸時代)

花の乏しい冬のためにドライフラワーを沢山作っておいた。

「離別」(1910)は牧水の名作「白鳥は哀しからずや空の青海のあおにも染まずただよふ」が載っている歌集だ。

この歌は初出の自費出版歌集「海の声」(1908)で、白鳥(しらとり)(はくちょう)と間違ってルビを振っていたのを「別離」で正式に改訂発表した物だ。

若き牧水の美しくも哀しき海辺を眼前に想い描きつつ、100年前の世界で喫茶に浸るのが観自在だ。

珈琲の味も茶筅で泡立てると一段とまろやかになる。


次の日は我が画窓から前山の時雨紅葉を眺めつつの珈琲だ。



(木彫猫神像 江戸時代 黄瀬戸カップ&ソーサー 浜田露人作)

窓前は大塔宮の陵の山で、宮内庁が管理しているはずなのに荒れ放題だ。

以前に何度か登場した猫神様と共に、そんな鎌倉の荒山野に想いを巡らせよう。

ーーー老画家の夢に枯色浄土あり 冷え枯れの茶のぬくもり殊にーーー


現実世界と夢幻世界の狭間に居て、そのどちらへも深い想いを抱けるのが観自在だ。

達人は現実をより美しく、夢幻をより鮮明に観想する。

詩人や画家なら尚更だ。



(源氏物語繪巻断簡 土佐派 桃山〜江戸初期 黒織部マグカップ 佐藤和次作)

カラー印刷など無かった時代の人々にとって、この美しき繪巻は計り知れない夢を与えたであろう。

現代の珈琲を味わいながらも、古人達の夢の深さを想うべきだろう。


古来の茶の湯は今や作法縛りの俗習に堕した感があるが、珈琲にはまだ無限の自由度がある。

諸賢も是非己れのコーヒータイムに離俗夢幻の世界を建立して頂きたい。


©️甲士三郎


223 師系への思慕

2021-12-09 12:59:00 | 日記

ーーー歌ひとつ詠めばいつしか魂の 還る辺に花ひとつ咲くらむーーー

126日は先師有馬朗人の1周忌だ。

想いはきりなくあり、師との縁となる物を飾るだけでも過去は甦る。

その法要と同時に我が俳句の師系である高浜虚子、山口青邨の事も偲びたい。


まずは地元鎌倉の大先人でもある高浜虚子から。



「遠山に日の当りたる枯野かな」虚子

この句幅を入手するのは隠者長年の念願であった。

虚子は書も達人で、その書の出来の良い軸装がネットオークションのお陰で隠者でも買えたのが喜ばしい。

句の鑑賞面で一言加えると、古の詩文で「遠山深山」と言えば神域霊域の事と知れば句の深みが見えて来る。

今はその神々の座に虚子も混じっているだろう。

思えば虚子の「俳句の作りやう」が私の読んだ最初の入門書だった。


次は東大俳句会の先師、山口青邨だ。



上の句集は「露團團」初版に、元〜明時代の金銅観音像。

これに私が若い頃憧れた「銀杏散る真っ只中に法科あり」が載っている。

直接お目に掛かるご縁は無かったが、諸先輩方から良く話は聞いた。

今は句集「雪国」初版がなかなか入手出来なくて苦労している。


そして有馬朗人先生。



写真は句集「知命」と「天為」の一周忌追悼号。

手前に明時代の金銅阿弥陀如来像を安置して、師や句友達との楽しかった思い出に浸ろう。

まだ若き頃に文芸や美術を語り合った東大銀杏会は、我が人生で最も高雅な場だった。

実は朗人師の選による天為巻頭の最多記録はこの隠者が持っていて、師が亡くなられるまで遂に破られなかった。

そのくせ俳句を教わった覚えはあまり無く、只ひたすら楽しい句座を共にするだけだった気がする。


今や私も句画を人に教える立場となってしまったが、せめて偉大な師達のやっていた風雅の楽しさだけでも語り伝えて行きたいと思う。


©️甲士三郎


222 珈琲道覚醒〜2

2021-12-02 13:04:00 | 日記

前回は珈琲卓に離俗の聖域を設える話をした。

それに続いて今回は如何にして茶時の夢幻を深めるか、いくつか隠者流のやり方を紹介しよう。


過ぎゆく季をしみじみ味わうためには、野に出て自然の中での珈琲をお薦めする。


(黄瀬戸旅茶碗 江戸時代)

鞄にちょっと入れて持ち歩くには、野点用の小服茶碗や旅茶碗だ。

野外でも古陶を使えれば、気分だけでも古の遊子となれる。

近くの野辺で暮色に浸りながらの温かい珈琲と古器は、詩情もまた一段と深めてくれるだろう。


上級者はいわゆる虚実皮膜、現実世界と夢幻界の間に居て茶時を楽しむ物だ。

幽境から両世界を眺めながらの茶は、古詩などでもこぞって賞賛している。


(昭和戦前頃のレトロ調のコーヒーセット)

室内の珈琲でも野の物をちょっと添えて山野を思い描けば、芭蕉の言う「虚に居て実を行へ」となる。

写真は我が荒庭の蜜柑を栗鼠が齧って落ちたのを拾ってきて並べた。

鎌倉の山々の自然林は団栗や椎の実も豊富で、鳥や小動物の楽園でもある。

齧られた蜜柑からそんな山中を観想しつつ、珈琲を啜る訳だ。


小春日和なら山茶花の下でガーデンコーヒーにしよう。


(ファイアーキング キンバリーマグ アメリカ1950年代)

本は薄田泣菫の白羊宮。

この詩集にかの名作「望郷の歌」が載っている。

この詩さえあれば宇津田姫(冬の女神)を客席に招き、夢幻界の至福の茶時を過ごせるだろう。

山茶花は薄紅の方が隠者の好みなのだが、冬の珈琲には玲瓏な真紅が似合う。

また常緑樹が多い鎌倉の戸外ではキンバリーマグの秋冬色が効く。


来週は先師有馬朗人の一周忌をやるので珈琲道覚醒の3はその次になる。

乞うご期待。


©️甲士三郎