疫病禍の引き篭もりでさんざんの今年だったが、そんな年に隠者はめでたくも己が分身たる今生の湯呑を探し当てた。
ーーー冬の陽と古き湯呑に骨緩め 丹田温めいざや参らむーーー
苦節数十年の変遷を経て究極の一碗に到達するまでに、我が審美眼も相当鍛えられたと思う。
(古弥七田織部筒茶碗 古織部水注 江戸時代)
この弥七田織部は元は筒向付だった物で、急須も古い水注に茶漉しを入れて使っている。
今あるような片手で持てる湯呑と急須が出来たのは明治頃からなので、桃山茶陶並の古格を求めるなら転用できる形の江戸時代の物を探すしか無い。
長年の探求の果てに、私が知る限りではこの組合せ以上の物は無い。
江戸後期の煎茶興隆期には国焼でも唐物でも良い物が沢山あるが、当時の作法は高級玉露をほんのひと口分淹れる程度なので私には全て小さ過ぎてダメだ。
(煎茶器各種 18〜9世紀 中国 日本)
この辺の煎茶器は年に数回ほど、最高級の茶葉が入荷した時に使う程度になってしまった。
隠者も若い頃は清朝物や古九谷などの普通の色絵磁器で満足していたのに、抹茶の方で古陶の良さを知ってしまうと煎茶でも同格の土物(陶器)でないと物足りなくなる。
ただ幕末明治や清朝後期の磁器の煎茶碗は今では酒のぐい呑として人気がある。
私の過去の苦闘の歴史をお見せしよう。
(向かって左から古志野、古織部、黄瀬戸の小服茶碗 江戸時代)
最近まではこれらの茶碗で幸福だったのだが、近年親指の腱鞘炎が慢性化しつつある我が手に小服茶碗は少し太過ぎて(直径9〜10cm前後)負担がかかる。
そこでようやく見つけたのが1番上の写真の弥七田織部(直径8cm)と言う訳だ。
また現代作家物も色々試した。
(向かって左から黄瀬戸、唐津、伊賀の湯呑 現代作家物)
ひと昔の陶芸家は湯呑を馬鹿にして抹茶碗やぐい呑しか作らなかったが、今の若手作家は良い湯呑を作っている。
古格さえ求めなければ一般の人には古陶磁より現代作家物の方が探し易くてお薦めだ。
諸賢もこの引き篭りの正月に自分なりの聖杯、今生の一碗を探してみては如何だろうか。
©️甲士三郎