鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

233 早春の煎餅

2022-02-24 13:00:00 | 日記

先週からの寒波で咲きかけた梅も遅々として開かず、鶯の初音もまだ聴けない。

昔は鳥達の囀りを聴きながら鶯餅を楽しむのが早春の楽しみだったが血糖値の呪いで菓子類は諦めざるを得ず、家人のために買った来た季節の和菓子などは眼で鑑賞するだけとなっていた。


だがこの疫病禍の家籠りでも出来る些細な楽しみを再考した結果、私でも煎餅なら食べられる事に今更ながら気が付いた。

ただし間食禁止なので食後に限られる。



(古織部急須と湯呑 美濃小皿 江戸後期〜明治)

こんな小さめの煎餅なら1日の食事の総カロリーの中で調整も楽に出来る。

地元鎌倉の人気店からコンビニの物まで色々試してみよう。

まだ鳥達の囀りも聴こえぬ静かな窓辺で、煎餅をぽりぽりやりながら鶯を待つのも良いだろう。

ーーー初音待つ煎餅齧る音立てつーーー


一方で家人向けはこれ。



(古織部菓子鉢 江戸時代 益子焼カップ&ソーサー 昭和前期)

昔ながらのありふれた饅頭も、面白い箕形の菓子器にもうすぐ開く桃の小枝を添えれば十分楽しい。

和菓子好きならこれから先3月にかけて、雛あられ、鶯餅、桜餅、蓬餅にお彼岸のおはぎと春の菓子祭りが続くので羨ましい限りだ。

昔の私は格別甘い物好きでもなかったが、いざ食べられなくなってみると特に季節の伝統和菓子はもっと真剣に味わっておくべきだったと後悔している。


ついでに気が付いたのは蛋白質ならさらに安心して食べられる事、つまり酒の肴の様な(私は酒類も厳禁)スナック類だ。

幾つか試してみると茶菓としてビーフジャーキーと抹茶は案外合う。

他にもコーヒーにチーズとかゼロコーラに燻製とか色々な組合せで楽しめそうで、我が食生活もこれまでより少し豊かになる気がする。


今週の文机の飾りは虚子の短冊。



「東より春は来ると植ゑし梅」高浜虚子

春の女神の佐保姫は都の東の地にいて東風を吹かせる。

また陰陽道では東方が青春、四神は青龍で、仏教では未来仏弥勒の浄土。

その知識があれば句意もわかり易く、当時の虚子庵での四季の暮しが眼に浮かぶような句だ。

そんな庵なら疫病禍の引き篭もり暮しもさぞ清澄な心境で過ごせるだろう。


©️甲士三郎


232 花鳥の詩仙

2022-02-17 13:38:00 | 日記

立春を過ぎても寒い日が多いが、我が荒庭では梅が23輪咲き出した。

来週は梅の名所である近所の瑞泉寺にでも吟行しよう。

梅の詩仙と言えば宋時代の詩人林和靖がいる。


彼は我が国では梅より鶴の仙人として知られており、絵になる取り合せなので多くの画像が残っている。



(林和靖図 狩野芩信 江戸時代)

鶴と仙人が描いてある古画はみな林和靖だと思えば良い。

花鳥楽土で詩人の理想の暮らしの体現者として崇められて来た。

文人知識人は古来皆この絵のような精神生活に至りたいと願っていたのだろう。

シンプルだが静謐感のある高雅な絵で、隠者も気に入って画中の世界に浸っている。

神仙画と珈琲に鶯餅で和洋中の文化の良いとこ取りのコーヒータイムだ。

外の梅にはまだ少し早いので、この画幅を掛けて暖かい室内でゆっくりと春の花鳥楽土の詩句でも案じよう。


こちらは中国清朝時代の林和靖。



(延年寿 竹園)

経年の汚れで見え難いが、鶴と仙人に従者が描かれている。

中国では今でも鳥を飼う人が多くいて、愛好家が集まって鳴き競べなどもよくやっている。

日本人の方がそう言った楽しみに興味を抱かなくなったように思う。

鎌倉も一昔前なら狭庭の梅に小鳥の声を愛でるような暮しが普通だったのだが。


現代でも鶴は無理でも小鳥達と共に春を喜ぶ事は出来る。



(春禽図 奥村土牛)

先師奥村土牛の若い頃の直筆で、師には珍しい軸装でそれもかなり傷んでいたのを私が修復した。

具墨(胡粉と墨を混ぜた色)の重ねに師独特の技法があって、私には真贋の判別が付け易い。

土牛師のこの絵はちょっとした縁で我家に来たのだが、その経緯は別の機会にしよう。

師の命ある者達に対する思いが良く伝わってくる。

ーーー春来れば此処に彼処になに飾ろ 梅に椿に先師の画幅ーーー


©️甲士三郎


231 新体詩の時代

2022-02-10 13:08:00 | 日記

明治中期から大正にかけてそれまで詩と言えば漢詩しか無かった中で、ジャパンオリジナルの新体詩が興隆して来た。

土井晩翠の「荒城の月」や島崎藤村の「初恋」などの七五調の文語定型詩である。

そしてその新体詩の金字塔が蒲原有明の「有明集」と薄田泣菫の「白羊宮」で、私は新体詩と言うより日本語の美の極致だと思っている。


かの猟書神ラングは古書は読む為と保存用に最低2冊は揃えろと説いている。

その言葉を知って私も覚悟した。



ーーー手に入れし有明集は三冊目 読みて飾りて抱いて寝るためーーー

上の写真は「有明集」の美麗な初版と少し傷んだ初版と復刻版の3冊で、最初に買ったのは勿論復刻版だった。

最近の古書初版本の価格急騰の中でも、詩集句集などはまだ安い方なので助かる。


大正の中頃からは読書層の大衆化で口語自由詩が圧倒的に優勢となり、有明泣菫の時代は呆気なく忘れ去られた。

しかし今の若い知識人達なら、魔法の詠唱は神聖古代語でなければならない事くらいは常識だろう。

そんな今こそ新体詩を読み返す価値がある。

去る23日は蒲原有明の命日で、旧居跡にある石碑に御参りしてきた。



有明は我が鎌倉市二階堂に住んでいて御近所の縁もある。

また戦時中は川端康成が此処を借りて貸りて住んでいたと聞く。

若き日の芥川龍之介や萩原朔太郎らも蒲原有明を崇拝していた。

この日は運良く有明のお孫さんにもご挨拶出来て良かった。


下の写真は有明のその他の詩集や随筆など。



彼の著作が全て集まったのがようやく去年の暮で、これで胸を張って旧居碑にも報告出来ると思ったものだ。

この大詩人も関東大震災の後は気力を落としてしまったようで、新作を出さずに旧作の改訂ばかりで幽隠の日々だった。

もし隠者がその時代に移転出来たなら、未来人の観点から新作のアイデアでも幾つか伝授し元気付けてあげたい。


一般大衆のためには口語自由律詩が良いだろうが、神々に対しては文語定型詩でなくては通じない。

隠者も有明のように佐保姫や木花咲耶姫達と、大和詞の七五調の美しき韻律で語り合えたらさぞ楽しかろうと思う。


©️甲士三郎


230 立春の独宴

2022-02-03 13:34:00 | 日記

以前鎌倉宮の節分会と鬼門守護職の儀式は紹介したので、今回は明日の立春(我家の新年)の儀の用意をお見せしよう。


今年は疫病禍と各人の都合で私一人の旧正月だが、かえって隠者の秘儀を執り行うには静かな方が有り難い。



(源氏物語梅が枝 土佐派 江戸時代)

古の源氏絵を飾り古伊万里金蘭手の吉祥紋を散りばめた皿碗を用意した。

料理は明日作るので器だけでの撮影だが、雰囲気だけは伝わるだろう。

当日はまずお清めのあと古儀に従い國褒め(お国自慢)の歌を詠み、その後はゆっくりと我が楽園の草木花鳥達と共に春の宴を味わいたい。

病で皮下脂肪をほとんど失くしてしまった身には殊更寒さが身に染みるので、花咲き鳥が歌う春到来の有難さは年々増して行くばかりだ。


何は置いても我家の立春の玄関にはこの絵の他は考えられない。



我が師奥村土牛の富士(リトグラフ)さえ飾れば、それだけで家の品性が高まる気がする。

土牛師は毎年正月には横山大観の「天霊地気」の書幅を掛けて、その前で小一時間対座していたそうだ。

私もそれに習って師の一言一言を思い返しつつ、明るく浄らかな画中の初富士にしばし浸っていたい。

我が年頭の精神の清浄を保つのにこれほど良いアーティファクト(聖遺物)はない。


明日の國褒めの歌の下準備に近所の早咲きの梅を見て来た。

歌は出来たら次回にでも御披露しよう。



我が荒庭の椿も咲き出し梅のつぼみももう少しで開きそうに膨らみ、耳を凝らせば時折り藪の中から笹鳴きが聞こえる。

立春は我が楽園の生き物全てと喜びを分かち合える時だ。


古今東西たとえ疫病禍にあろうとも民草が春の祝賀さえ自粛する国など無かったし、東南アジアや中国の春節の華やかな様子をネットで見るにつけ我が国の凋落振りが思われるが、世捨人が世俗の心配をしても始まらない。

我が事を為すのみだろう。


祝迎春。


©️甲士三郎