鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

359 廃庭の花

2024-07-25 13:07:00 | 日記

酷暑の最中、我が幽居に合う花がなかなか無い。

向日葵などは明る過ぎて最も隠者に似合わない花だろう。

他家の夏花の咲く庭が羨ましい。


ーーー藪枯し朽戸に絡む捨庭に 蛍袋は夜通し灯るーーー

近くの廃屋の庭に蛍袋が咲いていて、良い花だと思うものの我家には無い。



蛍袋や笹百合は我が荒庭にも植えてあったのだが、家人がばんばん切って駄目にしてしまった。

私にはその怨みが残っていて、今では涼しげな花の対極として生命力旺盛な藪枯しこそ、隠者に相応しい真夏の花と思うようになった。

写真では見え難いが右手前に藪枯しの蔓が盛大に茂り、左には鉄砲百合が咲いている。


真夏の夜の詩は涼趣漂うこの名作。



西條八十の詩集「砂金」に載ったカナリアの歌だ。

この直筆書には展覧会出品作の裏書きがあり、西條八十にしてはかなり丁寧に書いている。

「象牙の舟に金の櫂 月夜の海に〜」と涼しげな調べで、熱帯夜でも飾れる詩歌は希少品だ。

奏楽天は西條八十が生きていた時代の中国の石湾人形。

この詩と夏向きのオルゴールの音色があれば、寝苦しい夜でも安息を得られる。


朝方の散歩路では今、山百合鬼百合があちこちに咲いている。



我が庭には鉄砲百合しか無いが、鬼百合は山際や空地などに自生している。

この写真もまた別の廃屋から溢れ出して咲く鬼百合だ。

何となく坂東武士の魂の色に見えて、向日葵より余程鎌倉の夏に似合っていると思う。

ーーー荒魂を剥きて鬼百合反り返るーーー


「カクヨム」に連載していたライトノベルが完結した。

介護で画業に籠れぬ間に台所で書いた鎌倉文士達の小説で、夏休みにでも御笑覧あれ!

「神聖鎌倉文士伝」 探神院作

https://kakuyomu.jp/works/16817330662945081308


©️甲士三郎


358 ロマン派のピアノ曲

2024-07-18 12:59:00 | 日記

ーーー長梅雨の花無き部屋に音楽をーーー

先週から夏の涼しげな音楽を探しているうちに気になったのが、ショパンやラフマニノフのピアノ曲の派手過ぎる部分だ

当時の彼らの主な収入は楽譜の売上げより生演奏会だったので、超絶技巧や大袈裟な強弱を聴衆に見せ付ける必要があったのだろう。


早くも咲き出した桔梗の浄らかな紫には、ピアノでも華麗過ぎる曲は似合わない。



先程言ったように当時は脅威的だった超絶技巧も、PCミュージックが出た今ではどんな速弾きでも驚く人は居ないだろう。

そうなると大袈裟な装飾パートを除いた曲本来のシンプルな主題を、いかに心を込めて歌わせるかが大事になって来る。

それには元々ゆったりしたノクターンなどの瞑想的な曲の方が適しているだろう。


隠者は宿痾で昼の熱い最中は涼しげなハープの音色しか聴けない体になってしまったが、鎌倉の朝晩なら30°以下なので静かななピアノ曲なら聴ける。



私の趣味ではバッハは秋冬向けなので、残る静謐な音楽はロマン派のピアノ曲しか無い。

その中でラフマニノフの良いソロピアノ曲集がようやく出てくれた。

ラフマニノフも派手な曲が有名だが、静かな祈りのような小品はとても良い。

ここでは梔子(くちなし)の高き香りに合わせて、気品ある曲だけを選びたい。


残念ながら邦楽は戦後全く進歩を止めてしまったようで、夏向きの曲もあまり無い。



琴の音色は涼しげで良いのに今だに13弦では音域が狭すぎる。

仕方ないからシンセサイザーの和琴の音色を使い、たまに自分で弾いている。

これなら4〜5オクターブは使え、色々な曲をアレンジ出来るのだ。

中国琴は25弦やそれ以上の物があるので、何とか入手出来ればとも思う。

写真の花は庭に咲いた狐の簪だが真上から見ると何となく中国の古琴の形に似ていて、江南の宮廷音楽が聴こえて来そうな感じだ。


ロマン派ピアノの最後の一人はシューマンだ。

彼のシンフォニックスタディーやファンタジー辺りでもう夏向きの曲は終わりだ。

真のロマン派と言える作曲家はごく少ない。

「浪漫主義とは古典派の修練を積んだ者の中から、数少ない神々の恩寵を受けた者だけがなし得る奇跡の業だ。」

ラフカディオ・ハーンの東大講義録自解。


ーーー窓洗ふ虹色の泡梅雨明けりーーー


©️甲士三郎


357 静謐なる音色

2024-07-11 12:57:00 | 日記

これからの酷暑に備え夏安居(げあんご)中に読むための古書は十分に集めた。

隠者の処暑にまだ足りないのは清涼なる音楽だが、良い音楽を探すには試聴にかなりの時間を掛ける覚悟が要るのだ。


ヴォーカル曲はどんなエンジェルヴォイスであろうとも、極暑の時には煩く聴こえてしまう。

我が荒魂を鎮められるのは自ずと清く澄んだ静謐な器楽の音色に限られる。



(竪琴のサッフォー 銅版画 ギュスターヴモロー 19世紀)

あらゆる楽器の中で最も涼しげな音なのはハープだろう。

以前買った地中海風のハープ曲集が良かったので、似た物を探し今年はヘンデルのハープ協奏曲を買った。

結局熱い季節にはせせらぎの音のように、あまり強過ぎず淡々と流れる音楽が適すようだ。

涼しげなハープの音にモロー作竪琴のサッフォーの絵でも飾れば、古代アルカディアの泉辺やエーゲ海にでも避暑に行った気分だ。

またオルゴールも強弱が付かない涼しげな音色で、しかも今はPCのサンプル音源を使えばピアノの鍵盤で弾けるのでかなり複雑な曲もある。

その中からディズニーとジブリの映画音楽のアルバムを購入。


並の暑さなら好きな楽曲は沢山あるものの、323度以上になるとピアノでも派手な曲は駄目だ。



ピアノの音色は清涼感に加え品位もあるが、隠者好みのショパンでもノクターンなどの静謐な曲以外は真夏には聴けない。

バッハはどちらかと言えば秋冬向けだし、ドビュッシーは涼しげではあるが有名な23の曲以外はやや無機的なアルペジオの繰り返しで好きになれない。

数日かけて探しまくったところ、しばらく忘れていたキース・ジャレットの大病後の近年に出したピアノソロのアルバムが驚くほど良かった。

名作「ケルンコンサート」の頃の凄まじい速弾きは抑えられ、瞑想的で落着いたスピリチュアルな演奏になっている。

これなら猛暑時でも清浄な世界に浸れそうなので、さっそくその3枚のソロコンサートアルバムを確保した。


もう一つ、昔なら軽音楽とかネオクラシックと呼んでいたジャンルで人気のデュオ、シークレットガーデンのフィドルやヴィオラの曲が以外と夏向きだった。



アイルランドのフィドル奏者とノルウェーの作曲家が組んで、素朴なエレジー調の旋律を上手くアレンジした曲が多い。

このジャンルで環境音楽やヒーリングを謳ったアルバムは多数あるが、そのほとんどがすぐ飽きる単調で機械的な物ばかりだ。

それらと比べるとヨーロッパ周辺民族の哀愁を帯びた旋律や、心の籠った音色は長年飽きずに聴ける。

私が9月末までの長い酷暑期を飽きずに過ごすには、このような清涼音楽があと78時間分は必要だ。

しかしネット上の音楽は日本語の検索では良い物はほとんど出て来ないので、英語が苦手な隠者には茨の道だ。


ーーー病み臥すや涼しき楽の音の中にーーー

先月の自分の定期検診の数値が酷い物で少し休養しろと言われたが、家事介護はなかなか休めない。

上の句のようにゆっくりと寝込む事が今の私の夢だ。


©️甲士三郎


356 涼風の町

2024-07-04 12:56:00 | 日記

ーーー涼風の町星の路地老文士ーーー

今週の鎌倉の街は夏越の祓いと気の早い七夕飾りで、浴衣姿の御嬢さん方も多く見かける。

街中の吟行は幕末明治俳諧の潔いほどの俗振りを手本に、買物がてらの夕風の街を小一時間ほど気軽にぶらぶらして来た。


昨今は外国人客で大賑わいの八幡宮前の七夕飾り。

ーーー旅一夜七夕飾りそよぐ街ーーー



例年思うのは七夕だけは旧暦に戻すべきで、いくら何でも梅雨の最中の星合の夜は無い。

薩長明治政府の文化度の低さ愚かさの代表例だ。

それでも海からの涼風に戦ぐ七夕竹には鎌倉らしい風情がある。

幟や短冊を五色に飾るのが伝統らしい。

八幡宮の奥には剣道場があり練習帰りの子供達が健気に通って行く。

その景を詠んだ句も付け足しておこう。

ーーー涼風の髪誇らしや稽古あとーーー


そして我家からの行き帰りに必ず通る鎌倉宮の地味な茅の輪。



夏越の祓いや茅の輪潜りも本来は夏の終りの行事で、旧暦の立秋前にやる物だ。

新暦の6月末では本来の時期を大きく外れていて、お祓いの御利益も期待出来ない。

まして昨今の9月まで続く酷暑を控えて夏越とは、皮肉過ぎて笑うしか無い。

まあ一応潜っては見たが、到底まともな句は出来なかった。

ーーー気休めに潜る茅の輪の先暗しーーー


我家も七夕飾りを用意しよう。



江戸時代の賀茂季鷹の歌軸だ。

京都の下鴨神社でも当然五節句は重要な行事だったから、そこの神官であった彼も七夕の歌は幾つも詠んでいる。

御供えは地元鎌倉産の三色ズッキーニだ。

五色揃えば文句無しだったが、まあ良いだろう。

ーーー星祭地に彩りの野菜満ちーーー


鎌倉の夏は海風のお陰で東京より3〜4度は涼しい。

さすがに真昼の駅周辺はコンクリートの照り返しで熱くなるが、我が谷戸は翠の樹々や川のお陰で街中より更に2〜3度低く、隠者はますます出不精になる訳だ。


©️甲士三郎