鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

69 虚界からの視野

2018-12-27 13:17:12 | 日記
隠者は世間の年末の忙しさとは無縁なので、相変わらずぼーっと夢幻界に浸っている。
鎌倉はまだ名残の紅葉と山茶花の赤が目に付き、そうかと思うともう水仙が咲いていて一年中花の絶えない楽園だ。
こんな鎌倉の山懐に引き篭もっていれば、自ずと現実離れした人間になって行くのも仕方ないだろう。
芭蕉は「虚に居て実を行なふべし」と教えている。
言うなれば、鎌倉に住むなら虚界にこそ居住すべきなのだ。

(探神院の虚界への石段)
とりあえず「虚」は内面世界、「実」は現実世界と思えば良い。
芭蕉の句論を今風に解説すると、虚構のイメージにいかに現実味を付与するかだ。
例えば冬薔薇なら、まず夢幻の薔薇が息衝く世界をイメージする。
次に現実の冬薔薇の色形や周囲の環境を分析し、仕上げは夢幻のイメージと分析した現実の緒要素を再構築して、作品にリアリティーを加えるのだ。
---冬薔薇の赤は土より暗き赤---
拙作で申し訳ないが、方法論は理解出来るだろう。
問題は夢幻世界の薔薇のイメージを、如何に細部まで強靭に育てられるかどうかだ。

(近所の冬薔薇)
大概はの人は芭蕉とは逆に「実に居て虚」を行なってしまう。
現実世界に居ながら夢想をでっち上げるのは誰にでも出来るが、夢幻世界の側から現実世界を見据えるのは、天界から地上を眺める創造神の視点に近い。

ニューヨークの写真家ソウル ライターは雨滴の窓ガラス越し、手摺の隙間などから通り行く人々を写していて、被写体と自分の間に一枚ベールを掛けたような撮影方法が特徴だ。
この手法も現実世界から距離を置いて、虚実の隙間から世界を眺める賢いやり方だと思う。
皆も自分なりに工夫して虚界に入れれば、芭蕉の気持ちが良くわかるだろう。

©️甲士三郎

68 文士達の古硯

2018-12-20 14:12:10 | 日記

(古端渓硯 清時代 探神院蔵)
パソコンの普及ですっかり文字を手書きする事が減ってしまった。
私も詩句歌の短冊色紙を書く時に大分漢字を忘れているので、出来るだけ墨書の機会を増やそうと思う。

昔の文具四宝とは墨硯筆に料紙の四種を言う。
この中で墨筆紙は消耗品だが硯は何千年でも生き延びる。
私は日本画家なので若い頃から良い硯を見つけたら買うようにして来たが、もっと昔は画人より文人の方が硯にこだわっていて、川端康成始め鎌倉文士達も古硯のコレクションを競っていたようだ。
明治大正昭和の文士達に人気があったのは何と言っても古端渓硯で、特に清朝時代の彫刻のバリエーションの豊富さはコレクションしたくなるのが良くわかる。
また赤褐色の地に墨が染み込んだ風合いは古格があって重厚な知性を感じさせる。
この硯を使うと昔の鎌倉文士の気分になれて楽しい。

(小型端渓硯 清時代 探神院蔵)
今流行の書はバケツ一杯の墨を使って、ショーアップしたアクションペインティングのように書くので墨汁や電動墨摺機を使う事が多く、昔ながらの硯墨使用は小品の時に限られる。
また現代の書家の作品の市場価値が低いのはほとんどが自分の詩を書かなくなったからで、逆に書としては下手でも作家の書や手書き原稿は高価で売れている。
言うまでもなく書画において技術は重要だが心情や精神性は更に重要で、最も心を表現できる詩句の自作を捨てた現代書道は私には理解し難い。
古硯古墨で短冊などに句歌を書くのは如何にも地味で現代的とは言い難いが、自らの楽しみとして無心に墨と戯れる時間は貴重だ。

せっかく古硯を出したので大正時代調で一首。
---霜解かす陽射しはあれど短冊の 哀しき歌の墨は乾かず---

©️甲士三郎

67 浄土の冬枯

2018-12-13 09:03:22 | 日記
---枯岸に鳥が眼瞑る偽浄土---

(永福寺跡の池)
我が探神院の隣の、頼朝が建立した永福寺跡の池が最近復元された。
ここはは宇治平等院や平泉の毛越寺を模した浄土式庭園の礎石や立石が遺り、池越しに西方阿弥陀浄土の楼閣を望む様式だ。
しかし毛越寺庭園のように美しく復元されると思っていた私が愚かで、結局ただの西洋風の舗装された公園になってしまい浄土の影も形もない。
調査と称して20年も毎年掘ったり埋めたりしていたのは何の意味があったのか。
まあ頼朝の志や鎌倉時代の人々の浄土への憧れなどを、今の役所や造園業者に観想せよと言ってもそれは無理なので仕方ない。

思えば思想史上のパラダイスやユートピアは幻想を抱いては幻滅の繰り返しで、それでも人類がめげないのは生死もまた繰り返すからだろう。
そこから学ぶべきは楽土浄土の建立は社会的に為す事は不可能で、個人個人で具現化する物と言う事だ。
そうは言いつつこの浄土の成れの果ての枯草にも陽は射し、安寧のひと時もある。


別の場所での旧作だが、
---枯園の女神の像に薄日さし 今年最後の蝶の息づく---
荒寥とした楽園の終末の景は如何にも隠者に相応しく、女神像を菩薩像に変えれば東洋的な景にもなるので気に入っている一首だ。
SFに近い発想をすると、遥かな未来の極楽浄土さえ枯れ果て荒廃した後にも希望はある。
56億7千万年後に訪れる未来仏、東方弥勒浄土だ。
弥勒信仰は余りにも気の長い話だったので、即効性のあった阿弥陀信仰ほどは流行らなかった。
永福寺の東方に当る我が探神院の裏山で、この弥勒信仰の経塚が発掘されている。
56億7千万年後は我家の裏が浄土になる予定で楽しみだ。

©︎甲士三郎

66 君子達の遊戯

2018-12-06 13:24:25 | 日記
---冬籠り耳の尖りし琴師範---

(琴棋書画図屏風一双 狩野派 江戸時代 探神院蔵)
琴棋書画(または詩書画三絶)は君子の嗜みと言う。(これらの「書」とは自作の詩を書く事)
昔の偉い人達もしっかり遊んでいたのだ。
竹林の七賢の故事も実態は似たような事だろう
世俗を逃れ理解し合える者達だけで集まって楽しくやろうという訳だ。
隅々まで教育の行き届かなかった時代、乱暴に言えば愚かな王侯や無知蒙昧な大衆の扱いに疲れ果てた知識人だけの理想郷だ。
賢者達の暇に任せた勝負事はさぞ白熱したと思う。

(琴棋書画図屏風 琴の部分)
五柳先生無弦琴の故事は、五柳と言う琴の名手が弦を張っていない琴を持っているのを世人が不思議に思い問うたところ、私の心の中には常に妙なる調べが鳴り響いているので弦は要らないと答えた。
世人に聴かせる必要の無い、己れだけの至高の音楽と言う事だ。
俗世では真の音楽の理解者に恵まれぬ上での奇矯だろう。
本朝にも玄象の琵琶や秘曲の話があるし、隠者の始祖である歌人西行や業平達にも似た思いはあったろう。
彼等も価値のわかる人の中でなら喜んで弾きまくっていたに違いない。

(琴棋書画図屏風 棋の部分)
私も今でこそ隠者に落ちぶれてはいるが、一応ピアノとギターは学生時代からやっている。
ゲームもモンハンはG級ソロクリアーで、詩書画は言うまでも無いだろう。
従って現代版の琴棋書画、君子の遊戯はオールクリアーの達人級なのだ。
我が卑小な人生の中でも、これ位は自慢になると思う。

©︎甲士三郎