鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

152 真祖の湘南

2020-07-30 13:31:00 | 日記

鎌倉の夏となれば山側の寺社よりも湘南ビーチだが、今年は海水浴場が軒並み閉鎖でやや淋しそうだ。

ただし真の湘南とは古詩にも名高い中国の景勝地で、中世禅の中心地でもあった洞庭湖の南部を指す。

日本には本来湘南と言う地名は無く、幕末明治頃に流行った文人趣味の影響で誰彼となく言い出したらしい。

当時は中国の書籍や図譜が大量に輸入されていて、洞庭湖リゾートは日本の文化人達の憧れの地だったようだ。


日本の陶磁器の絵付は明〜清の古染付を写した物が多く、この九谷の大皿も洞庭湖の景を真似て描かれている。

夏場に使うにはうってつけの涼しげな絵だ。

西洋人ならエーゲ海リゾートと言ったところだろう。


現代人の単なる休暇時のリゾート感覚とは違い、古人達はこの風光明美な保養地に理想の楽園を築くビジョンがあった。

神仙のように富貴長春の暮しを楽しみ、賢人達が集い琴棋書画や文化活動に勤しむような、ユダヤ教なら安息の地約束の地のビジョンだ。


こちらは幕末〜明治頃の古伊万里の染付で、題材は同じく洞庭湖リゾートの景だ。

この絵柄は当時大人気で至る所に描かれている。

同時代の純粋絵画の方はいわゆる文人画の絶頂期で、下手こそ良かれの風潮が今見ると下手すぎて何を描きたいのかさえ判らない物が多く、陶磁器の画工の方が共感できる。


もう一つは愛すべき小品で幕末の古伊万里色絵皿。


我家の古伊万里では一番気に入っている小皿で、このような花咲く湖畔の小庵を終の住処として詩画三昧に暮したいと思う。

太ってよちよち飛んでいる三羽の小鳥が微笑ましい。

隠者の簡素な食卓も、こんな器を並べればちょっと豊かに思えてくる。


日本の湘南は若者の天国と言うイメージだが、真祖の湘南は文化人の楽園だった。

図らずも今年の湘南ビーチは疫病禍で若人達の賑わいは望めず、世捨人達がひっそりと地味に思索に耽る鎌倉となるだろう。


©️甲士三郎


151 鬼門の鬼百合

2020-07-23 13:30:00 | 日記

長引く梅雨に鎌倉の古い木造家屋はみな黴に悩まされている。

鎌倉は東京に比べて気温は34度ほど夏涼しく冬暖かいが、梅雨場の湿度は高く避暑避寒の地としては唯一の欠点であろう。

今週は梅雨もまだ明けないのに近所の路地に鬼百合が沢山咲いて、一方で昔ながらの鉄砲百合が姿を消してしまった。

旧幕府の鬼門にあたる谷戸で鬼百合が増えたのは何の予兆なのか、当代鬼門守護職として調べなくてはならぬ。


ーーー鬼百合の反りて差出す蕊強(こわ)しーーー


普通の百合に比べて鬼百合の花びらは極端に反り返っているので、突き出た蕊がやけに目立つ。

色も強く斑点も強く、この花を「鬼」と名付けた人は慧眼だったと思う。

写真は先週に続き90100年前のオールドレンズで撮っている。


この昭和レトロの床屋さんも先年閉店してしまったが、花壇の手入れだけはしているようだ。


ペンキの剥げた窓枠や引戸などは如何にも今流行りのシャービックで、オークションに出せば結構高値がつくだろう。


この数年で谷戸の旧家が次々と売られて、丹精された庭園諸共更地にされてしまった。

古き良き鎌倉の美しき路地も徐々に姿を変えて、やがては唯の新興住宅地と同じになって行くだろう。

鎌倉の隠者たるこの身の使命は、滅び行く谷戸の美の最後の証人となる事かも知れない。


ーーー破垣(やれがき)を越えて溢れる花々の 殿として立つは鬼百合ーーー


鬼百合の咲く順路をぐるっと抜けて、コンビニでパンとフライドチキンを買って帰る。

そんな質素な昼食のBGMは往年の名曲カーペンターズのイエスタデイワンスモアで、美しかった過去の散歩道の幻視に浸るのだ。


我が荒庭の百合(白百合しか無い)を大正頃のアールヌーボー風のガラス器に活け、底辺に追憶のシノアズリの魚を泳がせば、大正の鎌倉文士達の和洋折衷の暮しを偲ぶに良き寸景となろう。

ーーー荒梅雨の玻璃の花瓶の青影に 陶(すえ)の魚の泳ぐ文机ーーー


©️甲士三郎


150 良家の暮し

2020-07-16 13:30:00 | 日記

歴史を深く読み解けば過去の人類の産業経済、科学技術、文化芸術、時には軍事行動でさえ、その全ての奮闘努力はより良い暮しを求めての事となろう。

ただ良い暮しと言っても金さえあれば満足な人もいるし、深い精神性を希求する人もいる。

いずれにしても個人個人としては良い暮しの具体的な様式が見えていないと、往々にして拝金主義に陥った末に幾ら稼いでも安寧な暮しには至れない。

より良い暮しのビジョンを得るために最も参考にすべきは、それぞれの民族が長い時を掛けて磨き上げて来た気候風土に合った伝統的な生活様式の他はないだろう。


鎌倉に残る古い家々や文士の旧居を見れば、粗末な陋屋であろうと真の日本の良家たる暮しを偲ぶ事が出来る。


日本は明治維新からの脱亜入欧政策や昭和の敗戦で、それまでの日本文化を担って来た知識層と伝統の生活様式を失い、一億総中流の似非洋風生活になった。

その為現代では経済的に豊かな家でも戦前の名家旧家のような精神文化は無く、目指すべき生活様式を喪失してしまった。

例えば英国では今も貴族文化の良い面は残っていて、ビクトリア朝時代の建物にアンティーク家具や美術品を揃え、ローズガーデンの茶会で芸術論を交わすような暮らしを規範としている。


私が思うに現代日本人が目指すには、大正昭和初期の和洋折衷の生活が良い参考になると思う。

千年の叡智の結晶とも言うべき伝統的な暮らしに、現代の電化製品を加えるだけで現代日本人の理想の暮しと成り得る。

自然に溶け込んだような古い日本家屋で(正座は無し)床の間に書画や花を飾り、簡素ながらも季節と風土に即した衣食と、農耕や自然に纏わる神事行事などを楽しむ生活だ。

上の英国の例で言えば19世紀のカントリーコテージの暮しと似ている。

その辺を基本に据えて各々の好みを加え、子孫にまで伝えられるような理想の暮しを工夫して行くべきだろう。


今週の写真は若い頃使っていたライカやクラシックカメラで撮っている。

正に大正昭和初期の鎌倉人が使っていたであろう機種で、レトロな描写を感じて頂ければ幸いだ。

今後も折につけ古風な景には古式写真機を使おうと思うので、いずれ詳しく紹介しよう。


©️甲士三郎


149 神仙界の桃

2020-07-09 13:29:00 | 日記

古来神仙界では桃は不老長寿の霊薬とされて来た。

桃の明るい彩りと瑞々しく張った形が、如何にも若々しさを象徴して不老の効果がありそうに見える。


かなり昔に見た映画で、神仙境のような村があった。

一見普通の長閑な山村に見えて殆どの村人が知的で品性高く、道や家々や花や樹木の配置も美しく、建築や家具什器書画は全て歴史を経た物だ。

村の一番奥まった所にたわわに実った仙桃の大樹が立っていた。

題名も忘れストーリーの印象も残っていないB級映画だが、村の幸福そうな映像だけは覚えている。

その村はキリスト教の天国と違って、実現可能な理想郷に思えた。


(古伊万里色絵四方皿 江戸時代)

皿の絵は西王母へとお付きの童子が仙桃を捧げている場面である。

中国種の桃はお尻が尖っていて、日本の桃とはすぐ区別がつく。

ひと昔には我が楽園の山際に山桃の木があってたまに摘んだりしていたが数年前の台風で倒れてしまい、続けて昨年は庭の中心に咲かせていた枝垂梅もやられた。

同じ庭の杏子の木はかなりの大樹となって健在だが、この春は極端に花付きが悪く実らなかったのは、世界の禍事(まがごと)の予兆だったかも知れない。

どこかで禍事に負けない仙桃の苗が見つかれば、我が夢幻界の庭に植えて世界の安寧を祈りたい。


血糖の呪いで実物の桃が食べられない隠者用に、清朝青磁の桃を入手した。


(青磁桃形水滴 清時代 青磁祭器 李朝時代 青磁盃 明時代)

熟した桃よりもっと若々しい青桃で、不老長寿にも病魔退散にも霊験がある気がする。

有難くアーティファクト(聖遺物)としてお祀りしよう。

盃には普通なら白桃烏龍茶が最適なれども、西洋神の飲物であるネクター(ピーチジュース)を供して疫病禍の世界中にも祈願が及ぶようにしてみた。


おまけで今年新参の猿神様を紹介しよう。


戦後まもなくの頃の輸出用セトノベルティーの猿で、私が申年生まれと言う事でヨーロッパから御帰還願った。

取り合せは白桃では大き過ぎたので李にして、我が荒庭の一画で楽しく遊んでくれると良い。

ただ先住の神獣達と仲良く出来るだろうか、少し心配だ。


©️甲士三郎


148 水色の茶会

2020-07-02 14:09:00 | 日記

気候変動で春秋が2週間づつ減り、その分夏が長くなった気がする。

各種の花の咲く時期を昔と比べると、この10年は明らかに花期が変わってしまった。

その結果私の苦手な夏が5月から10月までの6ヶ月間にも及ぶので、処暑の方策をあれこれと強化する必要がある。

夏の鎌倉の気温は東京より45度低いが、湿度は高いので鬱陶しさは大差ない。

暑さや湿度そのものはエアコンや冷蔵庫に頼れるが、精神面が脆弱なので取り敢えずは日々の茶事の清涼感を上げて心の安寧を保ちたい。


午前のお茶は明るい水色や青緑色の花器茶器を使い、清らかな色の結界を築いて暑に抗するのだ。

少し前にファイアーキングのジェダイ色のマグを紹介したが、アイスティーなら同じファイアーキングでも一番人気の1950年代製ターコイズブルーのティーカップとプレートだ。

半透明のミルクガラスの効果で、上品で深みのある水色が出ている。

紫陽花を明時代の青磁花瓶に入れ水菓子の色も効かせれば、卓上の水色浄土だ。

この茶席なら我が荒庭の花精達も気に入ってくれるだろう。


遠出できない今は、庭先の小さな自然の有難さが良くわかる。

小雨の降りだした軒端の額紫陽花の上に、青揚羽が雨宿りしていた。


雨粒に撃たれたのか、翅が少し濡れて傷んでいる。

翔んでいる青揚羽は思いのほか速いので中々良い写真が撮れないが、これはじっとしているので哀れに思いつつも簡単に撮影できた。

晴れたら元気に翔び立てるかどうか、花精達に頼んでおこう。


夕食後のコーヒータイムには昼よりも重厚な雰囲気が欲しいので、古格ある中国陶磁が良いと思う。


元時代の鈞窯の花瓶と水差しに高麗青磁の筒茶碗で、700年間の星霜の染み込んだ青だ。

表面的な色だけなら現代陶磁器の方が明るくクリアーだが、近付いて観ると色の浅さが目立ち直ぐに飽きが来る

古い鈞窯や竜泉窯青磁は素地の茶褐色の上に、微細な気泡を含んだ半透明釉が何層にも掛かっていて深みがある。

紫陽花も普段は淡い方が私の好みだが、重厚な花器に合わせて濃い目の色を選んだ。

カナダのバードカービングの水鳥が、楽園の涼風を感じさせてくれる。


今後の人生の約半分が夏だと思うと身辺に涼しげな色の物をもっと増やして、例えばエーゲ海の隠者にイメージチェンジするのが良いかも知れない。


©️甲士三郎