---光ごと月を抱きてうねる雲---(旧作)
(探神院の荒れた竹林)
昔から月は物語や詩の題材として沢山の名作を生んで来た。
遥かに想いを馳せる対象として、どこに居ても誰にでも見える月は格好の題材なのだ。
「雪月花の詩など、もう古い」と言う人達もいるが、人間の心は千年二千年くらいでそうそう進歩する物でも無い。
特に悠久の大自然に対しての感じ方は、唐の詩人も現代人も大差無いと思う。
二十世紀後半を振り返ると、芸術も科学技術と同じように進歩する物と言う驕りからか次々と新奇な物が出ては消えて行き、私の印象では全体的に二十世紀前半よりも収穫が少ない気がする。(二十世紀後半で圧倒的に良かったのはエンターテイメントやサブカルチャー方面だ)
結局芸術分野では高浜虚子の「新は深なり」「新より深」の言葉が正解なのだろう。
よって私の句も千年前と変らぬ古さだが御勘弁。
---滝裏の月の光に育つ苔---
鎌倉では十五夜の月が雲隠れだったので、代わりに什器で月夜を演出してみた。
(備前半月皿 黄瀬戸飯碗 古美濃花入)
無月の食卓に天地の造化を案じるのが、無為に生きる隠者らしくて良いだろう。
料理の方は上手な写真がネットにあふれているので私の出る幕は無いと思う。
まあ美食、温泉グルメ等にも飽きた者は、日常の簡素な茶飯事にこそ精神性を見出すしかない。
最近は星景写真と言って、綺麗な天の河や月星の写真がネットにも増えている。
私もちょっと行って試したのだが、湘南の海辺も光害が強くて大した物は撮れなかった。
仲秋の月もあいにくの天気で、私の写真も句歌も不出来でがっかりだ。
せめて十月の後の月に期待しよう。
©︎甲士三郎
(探神院の荒れた竹林)
昔から月は物語や詩の題材として沢山の名作を生んで来た。
遥かに想いを馳せる対象として、どこに居ても誰にでも見える月は格好の題材なのだ。
「雪月花の詩など、もう古い」と言う人達もいるが、人間の心は千年二千年くらいでそうそう進歩する物でも無い。
特に悠久の大自然に対しての感じ方は、唐の詩人も現代人も大差無いと思う。
二十世紀後半を振り返ると、芸術も科学技術と同じように進歩する物と言う驕りからか次々と新奇な物が出ては消えて行き、私の印象では全体的に二十世紀前半よりも収穫が少ない気がする。(二十世紀後半で圧倒的に良かったのはエンターテイメントやサブカルチャー方面だ)
結局芸術分野では高浜虚子の「新は深なり」「新より深」の言葉が正解なのだろう。
よって私の句も千年前と変らぬ古さだが御勘弁。
---滝裏の月の光に育つ苔---
鎌倉では十五夜の月が雲隠れだったので、代わりに什器で月夜を演出してみた。
(備前半月皿 黄瀬戸飯碗 古美濃花入)
無月の食卓に天地の造化を案じるのが、無為に生きる隠者らしくて良いだろう。
料理の方は上手な写真がネットにあふれているので私の出る幕は無いと思う。
まあ美食、温泉グルメ等にも飽きた者は、日常の簡素な茶飯事にこそ精神性を見出すしかない。
最近は星景写真と言って、綺麗な天の河や月星の写真がネットにも増えている。
私もちょっと行って試したのだが、湘南の海辺も光害が強くて大した物は撮れなかった。
仲秋の月もあいにくの天気で、私の写真も句歌も不出来でがっかりだ。
せめて十月の後の月に期待しよう。
©︎甲士三郎