鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

272 時雨の荒庭

2022-11-24 12:47:00 | 日記

鎌倉の町中は降っていなくても、谷戸は時雨れている事がよくある。

小雨がぽつぽつと23時間音も無く降る、静かな初冬らしい風情だ。


時雨に潤う我が荒庭は草木の彩度も上がって見える。



我家の前山も深みのある緑褐色の山肌の上に渋めの黄色や橙色の紅葉が引き立つ。

煙雨の仄かな明るみが影を和らげ、山は湿潤な日本画的色彩を見せてくれる。

鎌倉の紅葉は京都の絢爛豪華さとは違う、地味な彩りに潜む中世的な静寂感が見所なのだ。

雨の日は観光客も少なく、枯淡閑寂の鎌倉らしい良さを味わえる。

ーーー塞の神俗世の端の時雨道ーーー


雨上りの薄日の庭で蜜柑の色も寂光を放つようになって来た。



私には蜜柑や果糖類は毒なので食べられないが、もう少し赤味が増すと栗鼠達が挙って食べに来る。

以前に蜜柑を齧る栗鼠の写真を出したが、眼病の今はピント合わせも心許ない。

動物の瞳にオートフォーカス出来る最新鋭カメラは高価過ぎるし、何より隠者愛用のオールドレンズにはオートフォーカス機能自体が無い。

写真は撮れなくとも我が荒庭に栗鼠や小鳥が来てくれるだけで嬉しく幽居も華やぐ。


時雨の俳句で私が最も好きなのは加藤楸邨の句だ。



(句集まぼろしの鹿 初版 加藤楸邨)

「まぼろしの鹿はしぐるるばかりかな」加藤楸邨

この句は彼が良寛筆の鹿の和歌の掛軸を買い逃した時の作だそうだ。

隠者も同じような体験を何度も繰り返しているので、その気持ちはよくわかる。

良寛の書なら夢幻界に移転できる真性のアーティファクトだった筈だ。

同時にこの楸邨の句も読者を夢幻に誘ってくれるレベルの名作だと思う。

またこの句集の初版も稀少本でなかなか見つからず入手に苦労した。


実は薄日の中をぽつりぽつりと降る時雨の日は、鎌倉の山々の地味な色味も少しは華やぐ絶好の散歩日和なのだ。

そんな時雨の日は我が荒庭でさえも、しみじみと離俗幽陰の良さを味わえる。

ーーー時雨るるや幽かに漏れる茶事の音ーーー


©️甲士三郎


271 厨神の冬支度

2022-11-17 13:18:00 | 日記

今週は鎌倉の樹々も少し色付き始めたが、紅葉の見頃は観光客の少なくなる12月に入ってからだ。

いくら怠惰な私でも12月に入る前には冬支度を始めるべきだろう。


冬籠りの用意はまずは厨の整理からだ。

冷蔵庫の上に置いてある厨神の恵比寿大黒をもう少し良い場所にお祀りしたいので、取り敢えず片付け終わるまで別の所に御遷座頂こう。



(木彫恵比寿大黒像 幕末〜明治頃 信楽酒盃 江戸時代)

恵比寿様が魚類、大黒様が穀物の神だ。

作業机の仮の祭壇に地元産の冬野菜と御神酒を御供えし、その間に台所と食器類の大整理をしよう…………と思い丸1日いろいろ試してみたのだが、結局新たな場所は空かず祭壇は元の冷蔵庫上となった。

昔の京都の町屋のような立派な神棚を設る以外、我が厨ではそこが最も上等席なようで情け無い。

ーーー冬支度断固動かぬ厨神ーーー


冬籠りで最重要なのは食糧の備蓄で、特に最近値上がりしている珈琲は安売りの時に買溜めしておいた。

ついでに珈琲卓にも小さな福の神を飾ろう。



(木彫恵比寿大黒小像 江戸時代 ウエッジウッド ペナインポット&カップ 1940年代)

珈琲卓は英国アンティークのライティングデスクなので、洋風の箱額に入れて飾るようにした。

この位の大きさだと置き場所にも困らなくて良い。

神像等は小さい方が日常生活の邪魔にならずに、結果として現代でも生き残れる可能性が高いだろう。

さらに神々と言うより茶飲み友達のように親しめるならいつも居て欲しい。

今月は神無月で日本の神々は出雲に行って留守なのだが、恵比寿大黒は渡来神なので我家に居る訳だ。

ーーー珈琲の湯気を舞はしめ福の神ーーー


古代ローマの竈の神はヴェスタだ。



(ヴェスタ フォルトナ ケレース他のイコノグラム シルバーコイン ローマ時代)

下段中央のヴェスタを囲み色々な家内守護の女神達で祀陣を組んで、朽木の小額に入れれば本棚の隅にも置ける。

このような古代遺物や発掘遺跡の装飾などを見ると、ギリシャローマの多神教時代は一般市民の家庭にも色々な神が居て当然だったのだ。

美しき神々に囲まれた暮しはさぞ賑わしく華やかだったろう。

隠者も冬深く幽居のこれからを、この古の女神達と明るく過ごしたい。

ーーー古の金貨銀貨の女神像 たんと並べて世から隠れむーーー


古人達にとっては神々や精霊とは奉り崇拝する以前に、当たり前に四季を共に暮らすものだった筈だ。

私にしても虚しき日々の傍らに居てくれるだけで楽しく心強く、「我、神と共に在り」とはそう言う事だと思う。


©️甲士三郎


270 枯葉時の句集

2022-11-10 12:58:00 | 日記

暦では立冬となったものの鎌倉はまだだらだらと晩秋の気候が続く。

その後も紅葉は12月末まで残り同じ頃には水仙も咲く、何ともぼんやりとした冬となる。


遅れて訪れて来た秋麗の日々に、好みの音楽を聴きながらの山野の散歩は至福の時間だ。



永福寺奥の小谷は隠者の四季折々の秘密の撮影スポットだ。

薄日差す中に時折吹き起こる風が山の上から枯葉を降らせ、ここなら誰もが映画の名場面の主人公になれる。

団栗や松毬などを拾いつつ歩く内には句歌の草案も想い浮かんでくるだろう。

この深秋の想いに浸れる時節を逃さずに楽しみたい。

ーーー時満ちて光の谷戸に木葉舞ひ 錆びし画室の窓開け放てーーー


毎年この時期は飾れる花が乏しいので、花以外でいろいろ工夫が必要だ。

落葉や木の実を脇役にうまく使おう。



(句集霜林 初版 水原秋桜子 古信楽花入 江戸時代)

「冬菊の纏ふはおのが光のみ」霜林 水原秋桜子

寂光を放つ菊の精を詠んだようなこの句は、秋桜子の生涯屈指の名句だと思う。

彼の句集は初学の頃に感銘を受け古書店で見かける度に何冊か入手して来たが、最近ネットのお陰で長年探していたこの「霜林」も初版本が手に入った。

小説や詩集歌集に比べ俳句集はどれも装丁が地味なせいか、古書業界ではまだ安値で扱われているので私でも気楽に買える。

と言うか鏑木清方の繋がりで集めようと思っていた硯友社(尾崎紅葉 泉鏡花 柳川春葉 巌谷小波ら)の初版本などは美麗な絵や装丁が人気で、もう隠者には遥かな高嶺の花となってしまった。


秋桜子は墨戯の方も品位があってなかなか良い。



(直筆句幅 水原秋桜子)

「啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々」水原秋桜子

幸い日本の詩歌には秋から初冬頃は良い作品が沢山ある。

散歩で拾ってきた落葉と団栗で文机を秋色に埋めれば、喫茶の温もりも一段と深く味わえる。

俳書の最大の長所は季節ごとに掛け替えて楽しめる所だが、自然から離れてしまった現代都会人にはさっぱり人気が無いのが残念だ。

実は上記の冬菊の句の短冊も句集より前から隠匿してあるのでいつか御披露しよう。


鎌倉はあとひと月ほどこんな日が続き、年末は観光客も途絶えて静かな時期となる。

家中の諸事情で旅にも出られぬ隠者は、引き続き夢幻の書画の中に閑居する他ない。

ーーー芋菓子がぼてりと座る本の山ーーー


©️甲士三郎


269 浪漫の灯火器

2022-11-03 12:57:00 | 日記

ーーーランタンが魔法の如く灯る路地 雨に古びる「カフェ浪漫主義」ーーー

晩秋は巷の灯が恋しくなるが、昔から良く通ったカフェがいつの間にか閉店していた。

隠者は家中の事情で食事も自炊で日々引き篭るしか無いものの、その代わり閉居では思うがままに卓上を飾り離俗夢幻の茶飯事を楽しんでいる。


これから冬にかけて灯の下に過ごす時間が増えるので、卓上には思索に耽るのに適した灯火器を選ぼうと思う。



(瀬戸織部灯火器 一升枡 明治〜大正頃)

散歩道で拾った枳殻の実と松毬を朽ちかけの枡に取り合せてみた。

以前は古織部の灯貰いを紹介したが、こちらの燭台は裏側の穴で柱に掛けるようにもなっている。

織部徳利の一面を切った形なので、勿論どこにでも置けて重宝する。

落葉は先週の写真の蔦が散ったのを集めて来た。

今夜の卓上はヨーロッパなら19世紀ファンタジーかラファエロ前派の雰囲気だろうか。

若き日の芥川龍之介が西條八十達とイエイツやアイルランド研究に凝っていたのを思い出す。

ーーーその街は枯葉でさへも美しく 文士の時代鎌倉の街ーーー


本稿にたびたび登場している吉井勇の歌集が今月また1冊増えてしまった。

例によって高価な美麗本ではなく、一応初版だが時代なりに傷んだ物だ。



(祇園双紙 初版 吉井勇 瀬戸珈琲碗 銅製ポット ランタン 大正時代)

大正浪漫の歌集には当然大正時代のランタンが合う。

古びた灯火器の光は夢幻界に移転するのに良き導標ともなってくれる。

吉井勇は以前に「祇園歌集」を紹介したが、今回はそれと同じ竹久夢二の装丁で「祇園双紙」だ。

祇園界隈の歌の他に勇がたびたび試みていた歌物語が載っていて面白いのだが、残念ながら成功しているとは言い難い。

その失敗作も含めて大正文化の華やかさと活気を感じさせる良い本だと思う。

珈琲碗もこの形としては古い大正〜昭和初期の物で、小振りだが結構重厚感がある。

ーーー秋の夜の紅き灯に持つ大正の 珈琲碗の重さ拙さーーー


私は禅僧の墨蹟にはあまり興味が無いのだが、地元円覚寺の釈宗演の書は良いと思う。

特に五字大書は蝋燭の揺らぐ光で観ると荘重さが増してくる。



(四智円明月 釈宗演 李朝燭台 鳳凰形手燭 江戸時代)

臨済禅の巨人釈宗演は明治〜大正の円覚寺管長で鈴木大拙らの師匠だ。

鎌倉の禅師には珍しく詩書画に堪能で鎌倉文士達とも大変親しくしており、知的でバランスの取れた大らかな書風は地元民にも愛されていた。

臨済宗の禅語に「四智円明」があり、彼はそれに「月」を足す事で誰の眼にも見える具象にした所が偉い。

来週は立冬を迎え例年は樹々の紅葉が始まる時期だが今年の気候はまるで予想が付ず、せいぜい日常身辺の茶飯事を深く味わいつつ過ごすばかりだ。

ーーー後手に持ちて昨日の菊捨てに 庭の最も秋深き隅ーーー


今しがた鎌倉宮の七五三で品の良い和装の親子を見かけて思い出した、先月詠んでいた句をこの秋の名残に。

ーーー美しく秋風まとへ袖袂ーーー


©️甲士三郎